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第9話 初めてのお客様

 官僚とは民に尽くす第一の奴隷であって、これを以て自らを公僕とす。


 就任式で読み上げさせられる連邦帝国の国是が一つであり、貴種はその尊き血で以て軍務と公務によって国民を護り、官僚はその身を粉にする日頃の働きで国体を成すに不可欠たる民に奉公する。これらの代価として国民は労働を行い租税を納め、諸法に従う。これこそが真っ当な国体というものである。


 その意識を固めさせる言葉であるが、これでは正しく奴隷ではないかとウィルウィエイラ・スミソニア=ハイアッツビルは口から魂が出そうな勢いで天を仰いだ。


 忙しい。あまりに忙しい。


 同期からは外事一課の配属なんて超出世コースで将来は約束されたようなもの。上手く行けば騎士爵位どころか貴種の仲間入りもできるのではないかと羨まれる内務省勤務であるが、実態はひたすらに自らの精神と肉体を石臼にかけて成果を捻り出す拷問に等しいものだった。


 ゴマの油と官僚は絞れば絞るだけ出る、とは上手く言った物である。


 口性のない者達が、この街区一つに政府施設が集中した中央省庁官舎群を〝不夜城〟と呼ぶのも得心が行くほどに労働体系はひたすらにブラックだった。


 なにせ、配達などで訪れる者達が「あそこの建物が暗かったことなんてみたことがない」と口を揃えて言うのだから。


 何せ公務員と貴種には〝労働法〟という盾がないのだ。建国時に児童労働が問題になって制定された法律は、民の傘であって公の奴隷を守るために作られたものではないが故。


 その上、矢鱈と色々加盟させられる倶楽部や団体の参加費、国家に奉仕する者の義務として一定以上購入しなければならない国債、果ては最低限の身なりを成立させるための膨大な服飾費などで銀貨には羽が生えたようなもので、全く以て有閑にして高貴なお役所勤めという風情はない。


 連邦帝国は、心の底から体育会系かつ実力主義の国家なのだ。力ある者は、最後の最後まで振り絞って〝ガラ〟になるまで奉公せよ。それに付いていけない物は失せよ。正しくその有様であるため、新人官僚のウィルウィエイラには癒やしはなかった。


 「……今日で何連勤めだっけ……?」


 ぼんやりと外事一課の天井を眺めながら、読みかけの書簡や――それも解読困難なほどに高度な外国語で書かれている――書きかけの書類が積み上がった自分の執務机で、文字通り死体のように脱力しながら彼女は呟いた。


 たしか、記憶が定かであったならば、連休というものは〝お客様期間〟などと揶揄される最初の半年くらいしかなかったはずだ。最後の全休は……と思って予定表を書き付けた帳面を開くと、十二日前であった。


 ただ、その日も心ゆくまで休めたかと言えば微妙なものだ。深夜遅くに帰って昼まで泥のように眠り、起きた後は欲しくもなかった給料の半分はする夜会服を着込んで倶楽部周り。同期会はそこそこ楽しかったが、省庁間の交流会なんぞ顔と名前を驟雨の如く浴びせられる記憶力の拷問が如き有様で、何一つ愉快ではなく、むしろ「トチったら出世の目がなくなる」というプレッシャーに圧搾されるような思いであった。


 「……うぇ、でも室長の方がエグい…………」


 勘弁してくれよと帳面を捲ると、術法で内容が共有される仕組みになっている公務表が目に映ったが、ウィルウィエイラの上席にして外事一課の長たるゼアリリューゼの予定表はえげつないことになっていた。


 文字通り分刻み。早朝から会議に出席したと思ったら昼餐会に顔を出して御前会議にも参列し、ついでもって夕刻からは大使館を巡って懇親会やら夜会の連続。夜行性種族に合わせてド深夜に行われている会合にも参加している彼女は、更に翌日の予定が早朝から始まっていることを加味すると、今日は三十分とわたくしの時間を取れていないことになる。


 よくこれで発狂しないな、本物の貴族スゲぇと感嘆しつつ、ウィルウィエイラは現実逃避を止めて目の前の仕事に挑み掛かった。


 仕事には喰らい付かないと追いかけられる。尻を叩かれながらひぃひぃ走るよりは、必死に追いかけている方がマシだ。


 公的には設定されている昼休憩の時間も無視してようやく一段落付いた彼女は、書簡の束に私信が混じっていることに気が付いた。


 まだ中央大陸に留学する前、新皇大陸にいたころの友人が送ってきた物で、朝のドタバタに紛れて持って来てしまっていたのだろう。


 一流の神祇官になって神殿生活も思うがままというのに、探索者にして歩き巫女なんてヤクザの極みみたいな商売を選んだ彼女が連絡を寄越すのは珍しい。


 さて、何の用事だろうと思って開いて見れば、どうしたものか、ただの義理事であった。


 探索者時代に世話になったし世話もしてやった戦友が帝都で店を開くので、代わりに行って祝って欲しいという内容であったからだ。


 同封されている国際為替手形には、割ととんでもない金額が記載されているせいで、どんな高級店に行かされるのだと戦慄したウィルウィエイラであったが、金を送りつけられてしまっては否を言えない。


 幸いにも明日は早朝会議もないし、面倒事は早くに片付けるに限るかと古い友人の伝書鳩をやることにして、彼女は四時間の残業の後に内務省から借り馬車で出発した。


 「またえらく辺鄙な所にある店だなぁ……」


 貴種が使うような首なし馬の馬車は使えないので、普通の馬が牽く流しの馬車に乗って店に訪れた彼女は、控えめな看板を見上げて首を傾げた。


 立地もよくないし、門構えも実に控えめ。隣家の大きさを考えると箱もそう大きくないだろうに、あれだけの額を寄越す必要があるのだろうか。


 ……もしやエッチなお店では? と一瞬邪念が過ったウィルウィエイラであるが、流石にそれはないかと小さく笑って考えを追い払った。


 「Haven of Rest、天国の休息所か。ま、疲れた魂を癒やしてくれる場所なんて、そうそうないんだけどね」


 店に掛かっている看板には、そう書かれてあった。楽園のような木々が茂る場所で、後ろ姿だけが映る男性が林檎を片手に持った意匠は何らかの宗教画めいている。


 さて、お手並み拝見とOPENの表札がかかるドアを開いたウィルウィエイラは、驚きの連続に見舞われることとなった。


 清浄な空気、豪奢なれど行き過ぎていない内装、珍しいアンドロニアンの侍女。


 だが、そんなことよりも……。


 「ようこそHaven of Restへいらっしゃいました」


 「ひ、ひひ、ひと、ヒト種!?」


 小さく、脆く、そして何より愛らしい。絶滅危惧種の人類が、従僕服を纏って立っていることにウィルウィエイラは大きく驚いた。


 何と芳醇な生命力であろうか。多くの長命な種族は、生きて行くことを次第に飽いて魂を褪せさせていくのに、ヒト種は最期の最期まで生きる魂の活力が失せることのない珍しい種族だ。


 魂が、生気がいつまでも若々しいというべきであろうか。十代と老境の同種族で見比べても、表面上の落ち着きに違いはあろうと生きる気力の差がそうないのは、魂や生気を見る種族にとって永遠にお年頃でピッチピチといっていい特異性。


 そして、その生気を啜って生きる死霊族にとっては、天上より注ぐ甘露を全身に纏ったような、見るだけで生きる気力が涌いてくるような存在なのだ。


 斯くも瑞々しく〝生きる〟ことに熱心な人類が他にいるだろうか。震えるような衝撃を受けてまともに受け答えができないまま、ウィルウィエイラは客席に案内されて言われるがままに自分の給料でも中々高額なチャージ料に頷いた。


 正直、貧乏下士官ではなく官僚なので金はあるが、中々勇気の要る金額であった。しかし、懐にはアスラールが包んでくれた予算がある。


 開店祝いにこれでお大臣してくれと言ってくれた友人に、人生で一番の感謝を捧げながらウィルウィエイラは一杯の緋茶を受け取った。


 「これは……」


 「はい、マウリヤのトリブラ産で良い物がありまして。渋くスッキリした味わいに甘く仕立てた林檎が合うかと思い、飾り菓子を浮かべてみました」


 緋色の茶に浮かぶのは一輪の薔薇。いや、薔薇の形になるように切って組み上げた林檎の薄切りであった。恐らく砂糖をまぶしてからオーブンでカリッと焼き上げたのか、形を崩すことなく飴色になったそれからは得も言えぬ芳香と同時に〝作り手の生気〟が燻る。


 料理とは本質的に生きるために必要な行為の中で、生殖に次いで強い物だ。故に作り手が心得ていれば、その当人の生気がよく宿る。


 他者より生気を得て生きている死霊族にとって、この茶は一流の料理人が卓一杯に広げた宮廷晩餐料理よりも唾液腺を刺激するものであった。


 たった一杯の茶と侮る勿れ。全身全霊の技量で注がれたのか、この緋茶には濃密なヨシュアの生気が込められている。


 震える手で成機大陸の青磁を取り上げた彼女は、青と赤のコントラストが美しい茶に唇を添えて、何とか音を立てぬよう一口啜り……硬直した。


 おお、何と香しく、それでいて汚れのない生気か。純真にして無垢なそれは、一度も汚れを浴びたことのない、〝穢れるような行い〟をしたことのない者だけが醸し出せる得も言えぬ美味。


 枯渇し掛かっていた生気が一息に取り戻される感覚にウィルウィエイラは絶頂にも似た痺れを覚えた。


 これだけ生を喚起する物がこの世に存在するのか。そして、それを手ずから煎れた物が斯くも愛らしいのかと驚愕しつつ、彼女は一心に茶を飲んで悦楽を貪った。


 だが、それも永遠とはいかない。あっと言う間に空になった茶を見て、この世の終わりのような絶望が胸に去来する。


 されども、その深い深い落胆は一瞬で押し流された。保温術法が掛かったティーポットの中には、まだ緋茶がたっぷり残っており、茶が染みて尚も食感の生きる林檎の薔薇もまだまだ咲いているのだから。


 「気に入って頂けましたか」


 「ひゃ、ひゃい」


 ここはHaven of Rest。正しく天の休息所だと悟ったウィルウィエイラは、青い頬をぽぅっと染めて、ほんの一瞬で自分を虜にした店主に頷いた…………。



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