新規開店日、ドアの呼び鈴が引っ切りなしに鳴って大忙しで大儲け……なんて淡い夢を見たりはしていない。
立地が立地である上、探索者をやっていた私は方々を旅していたので友人知人の住まいは疎らに散っているし、引きこもりも少なくない。帝都には最近越してきたこともあって、人脈を繋いで貰うのが精一杯であるため、閑古鳥が列を成して鳴くことくらいは覚悟していた。
ただ……。
チリンチリンと呼び鈴がなり、はいただいまと足音を立てない小走りでグルゼフォーンが入り口へ駆けていった。
「ヨシュアさんのお宅でお間違いないですかね。お届け物にあがりました」
そういって帽子を脱ぎ軽く礼をしたのは、グライフニオンと呼ばれる種族であった。
胴から下が獣、上体がヒトの彼等は、強いて言うならケンタウロスに近い外見なのだが、私が知る神話のそれと違って、彼等の上体には下半身と同じくモフモフした被毛が備わっている。
むしろ、グリフォンの上半分を被毛がある人間にした感じと行ったところだろうか。
「えーと、国際便ですね。西方大陸、テッサロニケーのネペレー様からです」
「はい、ご丁寧にどうも。お疲れ様です」
荷物を受け取ったグルゼフォーンが美事な楷書で――それこそプリントしたような正確さだ――サインをしていたので、私は冷たい水に薄切りにしたレモンを浮かべて盆に載せた。
「どうも、宅配お疲れ様です」
「あ、これはどーもご丁寧に……って、ヒト種!?」
宅配便のお兄さんは労いのグラスを受け取ろうとして手元を見た後、そこから順に視線を上げて私の顔を認識し、ヒト種だと理解すると酷く驚いていた。
それもそうだろう。最早全世界で一万人と生き残っておらず、その大半が保護という名目で愛玩されている種族なのだ。こんな鄙びた路地裏の店で見かけたならば、グラスの一つも取り落としかけよう。
「私、当店Haven of Restの店主、ヨシュアと申します。今後ともご贔屓に」
「あ、は、はい」
う、うわ、かっわい……と小さな呟きを無視しながら、私は笑顔でショップカードを渡した。
無論、彼が来てくれることを期待しているのではなく、宣伝戦略だ。帝都では物流業は中流層の仕事なので、流石に彼のお賃金でチャージ料を払えるとは思えない。
ただ、役員や上役ともなると話は違うだろう。噂が広がって太客が来てくれれば上々という寸法よ。
特に我が小さな城には人造神格による加護がある。きっと、この見るからに人の良さそうな青年も下手な所で話しはするまい。良縁祈願のご加護に繋がることを願って、来る人来る人に愛想を振りまいているのである。
なんだか硝子の向こうに収容されたパンダのような気分だが、ぽーっとした顔付きで帰っていく宅配のお兄さんからしてウケがいいことは確実なので我慢しよう。
我が細やかにして遠大なる希望のため、初期投資は欠かせないのだ。
「マスター、こちらのお荷物、いかがしましょう」
「どうせしばらく暇なんだ、開けてみるよ」
荷物を受け取って、流麗な西方語の筆跡を辿ると懐かしい気持ちになった。
西方大陸で探索者をやっていた頃の太客だ。開店を報せる手紙を送ったのだけれど、距離と役職的に遠征できないからと、態々詫びの手紙と一緒に開店祝いをくれるとは。マメだねぇ。
「おや、甘雲糸の香糸じゃないか。凄い高級品だ」
丁寧に開封した荷物には、中々嬉しい記念品が入っていた。
半神半人の中でも天に属する権能を持つ者だけが操る〝雲を操作する術〟にて編んだ、季節の香りを閉じ込めた糸だ。毛糸玉を手繰るように空に浮かぶ雲を編み上げる光景は中々見られるものではないし、こうやって香に仕立ててくれた物となれば希少さは尚更だ。
服に編み込めば常に香が燻るこの世で一着の逸品となり、香炉に入れれば季節の香りを楽しめる最上級の贈答品。随分と気張ってくれたもんだ。
「……夏の匂いがする」
鼻を寄せて息を吸い込めば、爽やかに生い茂る青草を思わせる夏の匂いがした。向こうは緯度的に手紙が届いた頃が夏の盛りだっただろうから、一番良い時期の匂いを送ってくれたんだな。
「これはとっておきにしよう」
丁寧に箱に戻して指を鳴らし、二階の倉庫に転送しているとグルゼフォーンがこちらをじっと見ていた。
どうしたのかと問えば、お友達が多いのですねと無機質な声が返ってきた。
「これでいて流しの探索者として結構鳴らした方なんだ。知り合いだけなら全土にいるよ」
「よくぞ御身で世界を行脚して無事でいらっしゃいましたね」
無茶するなぁと言いたげな顔だけど、父から受け継いだ〝無貌の仮面〟や〝大竜骸の学院〟で磨いた術法、そして旅の途中で手に入れた様々な道具や得難い縁を駆使して頑張ったんだよ。長い話になるから仕事をしながらするものではないけれど、今度聞かせて進ぜよう。
「しかし、開店祝いは引っ切りなしに届きますが、お客様は中々いらっしゃいませんね」
「そういうものさ。こういう商売は焦ったら負けだ。気長に行こう、気長に……」
そう言っているうちに、またチリンとベルが鳴った。
さて、お次は誰のお祝いだと思って目線をやれば、扉の向こうに立っていたのは一人の死霊族であった。
高位の魂が優れた死者の肉体に憑依して発生する不死者の一族であり、新生するにあたって新たな自我と魂を形成する不思議な種族だが、彼女は特徴からしてヒト種を原形に持つ死霊族だろうか。
珍しいな、ヒト種の肉体は脆いし、死ねば直ぐに朽ちるから依代になることは珍しいと学院の本で学んだのだけど。
ただ、着込んでいる上等そうなローブからして、彼女は配達員ではないだろう。
客だ。開店初日、第二号のお客様だ。
「えー、えーと、お邪魔します……」
「ようこそHaven of Restへいらっしゃいました」
あまりハイテンションにならないよう気を付けて、お客様第二号を出迎えると、くるくると弧を描く緑色の癖を帯びた長い前髪の下で、墨色の眼が驚愕に見開かれるのが分かった。
「ひ、ひひ、ひと、ヒト種!?」
「私、当店の主、アルブレヒトの子ヨシュアと申します。お客様、ご芳名をお伺いしても」
うーん、驚く顔が新鮮で面白い。丸っこい輪郭は依代が若くして死んだのか顔のパーツも含めて全てが小さくて、大変に愛らしかった。大きなフードで頭部を殆ど隠しているが、これはお洒落なのか、それとも何かのコンプレックスがあるのか。
ん? おお、ローブの襟元で揺れているのは連邦大陸の国章である三首竜の紋章じゃないか! 貴族か官僚しか身に付けることの許されないそれは、彼女が太客である証拠に他ならない。
誰か知らんがデカした! 初っ端から良い客が来てくれたぞ!!
しかし、自分に近い上背の人間と喋るのは久し振りだな。首が痛くならなくて助かる。
「わ、わわ、わた、わたし、ウィ、ウィルウィエイラ……です。そ、そのー、が、がが、学生時代の知人の紹介で」
「やはりご紹介ですね! どなたからですか?」
「ええ、え、えーと、アメンのアスラール……」
「アスラール! ああ、懐かしい! では御身は新皇大陸のお生まれですか!」
なるほど、納得だ。あそこは珍しく不死者が忌み嫌われておらず、むしろ定命が率先して不死者になる方法を研究している大陸だから、高貴な死体に魂が取り付いて生まれたとかだろう。
そして、アスラールは探索者時代に二年ほど連んでいた〝死体繕師〟だ。死体や死者の魂を玩弄するのではなく、無念の魂を死体に下ろして本願を遂げさせてやる、こっちでは〝白いネクロマンサー〟とも呼ばれる新皇大陸の死霊術師で、遺跡を潜る仕事を一緒にやったものだ。
半人半猫たるバスティアンの彼女と遺跡巡りをやっていたのは二十代頭のことだが、よもや縁を忘れず知人を紹介してくれるとは!
遺言代理人にして死者のために立つ決闘代理人でもあった彼女と繋がりがある官僚なら、さぞや稼ぎがいい太客なのだろう。これで死後ではなく生前に会えていれば、今すぐにでも跪いてプロポーズしているところだぞ。
「良い店らしいから来てみろと……で、でも、ヒト種と合えるなんて……」
「ここはそれが売りの店でして。さ、どうぞこちらに」
私は小躍りしたい気持ちでウィルウィエイラ嬢を座席に案内し、第二号のお客様を全力で歓待することにした…………。