大陸の全土が高度に機械化されたギガコンプレックスで覆われた東方の成機大陸は、元あった世界の八分の一に過ぎないという。
自我を持つ人工知性があり、惑星全土をネットワークで覆い、遺伝子治療で人類の寿命が飛躍的に伸びようと、未だ国家が一つにならない世界で闘争は日常のことであった。
大陸ごとに分布する単一、あるいは複数から成る国家間での紛争は絶えず、肥大化した企業によるシェア争いの代理戦争が起こっていた世界において、奉仕機械の役割は日常生活のサポートであると同時、有事において戦力になることであった。
故に成機大陸のアンドロニアン達は〝大界災〟において全てが有耶無耶になり、奉仕者を失って尚も常にアップデートを続けていた。
彼の世界において、最早人はエンジニアをする必要はなく、機械が機械の手によって自らを発展させる段階にあったからだ。
なればこそ、個体は定期的にアップデートを受けるが、主人なき街を遺言の如く遺されたプロトコルに従って守っているアンドロニアンは、その巨大な墓標と化した国家が何者の手にも侵されないよう常に最新型を生産する。
そして、膨大な製造能力を持つさしもの成機大陸とはいえど、近代化改修と新型モデルの製造を完全に並行して行うだけのキャパシティはない。
甲種汎用奉仕自動人形グルゼフォーンモデルの1021号は、アップデートの抽選から漏れた故に予備役に回された個体であったのだが、時間を持て余していた。
無理もない。元より彼女達は
彼女の立ちの第一原則は奉仕。つまるところ、他人のためにあるのであって、自己を省みるようには作られていないのが最大の原因であった。
中には創作活動や造物主がかつて行っていた真似事をやってみる個体もあるが、グルゼフォーン1021は、そういったことに興味を持てなかった。
故に考え抜いた後、自らの至上命題を満たせる好機が何処かに転がっていないかと旅に出た。
これは休暇中のアンドロニアンに珍しいことではなく、専門のツアーが組まれる程度に一般的な休みの過ごし方であるのだが……残念ながら、実る確率は一割未満である。
彼女達にもプライドがある。ただ奉仕さえできれば誰でも良いわけではないのだ。
できれば造物主たる宗主種族に近くて、それでいて仕え甲斐のある主人……などと注文を付けていけば該当する案件は少なくなり、結局は大半が肩を落としながら落胆と共に帰郷することとなる。
そんな同類を見ていたグルゼフォーン1021であったが、奉仕欲求に抗えず、最悪どこぞのハウスメイドでもよいので仕え口はないかと人口が多い帝都に出て来たのだが、世界に冠たる連邦帝国といえど彼女の欲を満たすだけの人物とは早々巡り会えなかった。
そも、奉仕種族など作らずとも、人類の九割以上が何かしらの上位者、人口の数%に過ぎない富裕層に仕える存在と言い換えられる資本主義経済下において、長寿種族が跋扈する大陸には既存の従僕家系というものが存在するのだ。
仕えるためのサラブレッドであることは同じであれば、帝都の住人は従僕の専門育成機関を出た人類を重宝するのは当然のこと。
故に結局、職にあぶれたグルゼフォーン1021は、さして楽しくもない観光をしながら時間を潰していたのだが、ある日の晩、運命の出会いを果たすこととなる。
彼女のパッシブセンサーが服の袖を引っ張られたような感覚を覚えたのは、陽も落ちて仮宿に帰ろうかと思っていた時分のことであった。
しかし、メインカメラを向けてみても、袖を引く誰かがいるわけでもなく、センサーからの感も消えていた。
これは帰郷してオーバーホールを受けねばならないかと顔を前に向けた時、再び袖が引かれた。
本格的にバグを疑い始めたグルゼフォーンであったが、ふとセンサーの誤認には、何らかの言語化し難い情報処理の断片が含まれている、という自分達の仕様外に近い、そして同時に仕様でもある文言を思い出した。
気紛れに袖を引かれる感覚に従ってみれば、辿り着いたのは入り組んだ裏路地にぽつねんと建っている一件の店。
いや、門構えからして店と呼んで良いのか微妙なそこにアクティブセンサーを働かせれば、不思議なことに弾き返されて中の状況を探ることはできなかった。
しかし、扉の上部に設けられた磨りガラスからは明かりが漏れていることからして、家人が在宅であることは確実。
再び袖を引かれる感覚に導かれて、グルゼフォーンは知らぬ内にドアをノックしていた。
「はい、どちらさまで……」
僅かな間の後、開かれた扉を見て彼女は思わず言語基系が死んで、率直かつ遠慮のない感想を出していた。
うわ、ちっさ。
それは、正しく陽電子回路に雷撃が落ちたかのような衝撃であった。
170cmほどしかない小さな体躯は、体の部品がどれもこれも小さくて、しかも柔らかそうで何とも可愛らしい。短い手足、あんよと呼びたくなる足で歩く姿はそれだけで愛おしく、抱えて歩いた方がいいのではないかという衝動に駆られた。
「えーと、お初かと存じますが、御用向きは?」
「急な来訪、ご無礼とは存じますがご容赦ください。どうにも〝呼ばれた〟ような気がしまして」
感動を押し殺しながら何とかプロトコル通りの礼を取ったグルゼフォーンであったが、少し遅れて頭脳が認識する。
これは、噂に聞く、しかし成機大陸でも数えるほどのケースしかなかった〝ヒト種〟という存在ではなかろうか。
あまりに小さく、そして常時繁殖が可能でも個体が脆すぎて七合界においては滅びに瀕している種族は、遺伝子治療を行う前の造物主とあまりに似ていた。
「まぁ、立ち話もなんですからどうぞ中へ。私はこの店、Haven of Restの店主、アルブレヒトの子ヨシュアと申します」
「ご丁寧にどうも。成機大陸東部方面軍第二集団、20988集成旅団予備役、グルゼフォーン1021と申します。以後お見知りおきを」
雄性型のアンドロニアンが着ている物から、戦闘用のハードポイントや装甲板を取り払ったような従僕服を着た彼に導かれるがまま店に通された彼女は、まるで己が仕えられる側のように扱われたことに衝撃を受けながら、どうにか疑似感情を暴走させぬよう立ったままの応対を受け容れられた。
しかし、なんと愛らしいのだろうか。自分の半分近くしかない上背。塗れたように光沢のある黒髪を丁寧に束ね、片眼鏡で飾った顔の可愛さは陽電子頭脳に抱え込んだ膨大な語彙ライブラリを以てしても完璧に形容などできようはずもない。
その上、そんな存在から気を遣われるのだ。飲み物を勧められて、飲めないことに死にたくなるような絶望を覚えたグルゼフォーンであったが、ヨシュアはならばと嗅覚があるなら楽しめるだろうと香を焚いてくれた。
この心遣いのなんと嬉しいことであろうか。電脳が焼け付くような悦びを感じると同時、煙に混じる伽羅香が不思議と電子回路に作用して沈静化してくれる。彼女は自分の心が浮かび上がるような、それでいて凪いだような不思議な心地を覚えつつ、これが本当の意味での悦びなのだと悟る。
「お気に召したら幸いです、レディ」
「どうか、当機をそのように丁重に扱わないでください。しょせんは奉仕機械ですので」
それと同時、深い絶望を覚えることにもなった。レディ、中央大陸語で淑女を意味するが、まるで他人に気遣うような呼びかけを認識すると、融合炉が爆発四散してしまいそうな寂しさに震えた。
この種族、いや、あまりに愛おしいヨシュアによそよそしくされると、泣く機能などないのに涙が零れそうになる感情に、アンドロニアンであるからこそ感じることができる情動が満たされ、同時に欠けてしまうことにグルゼフォーンは、これが自らに搭載された奉仕欲求の充足なのだと理解する。
それから彼女の動きは早かった。何とか、どうにかこの好機を逃してはならないと自己アピールと売り込みを始め、ヨシュアに仕えようと努力した。
「ヨシュア様、どうか当機にお仕えする栄誉をお与えいただけませんか。私にはこれが、造物主が結んでくださった縁に思えて仕方がないのです。造物主に最も似たヒト種、我々が数千年望んでも、僅か十数ケースしか出会いのなかった運命に」
感触は悪くなく、慈悲を請うような願いに彼は困ったような、しかし満更でもない表情を浮かべて悩んでいた彼に、この懇願は能く効いたようだ。
最終的にグルゼフォーンはHaven of Restの従業員として、何よりもヨシュアの従僕として仕える栄誉を賜ることになった。
「ヨシュア様、どうか、マスターと呼ぶことをお許しいただけるでしょうか」
「……君が喜ぶのであれば」
「ではマスター。不詳グルゼフォーン1021、当機の全てを懸けてお仕えいたします。どうか、幾久しくよろしくお願いいたします」
グルゼフォーンは跪いて、他の個体が得られない〝仕えるべき主〟を手に入れたという法悦に震えながら、柔らかで脆そうな手をガラス細工を手に取る繊細で手に取り、小さく唇を落とした。
それと同時、衛星を介して行われる共通記憶領域で「帝都で最高のご主人様に見初められたった」というスレッドを立てて、ちょっとしたお祭りを巻き起こしたのは別の話…………。