目次
ブックマーク
応援する
22
コメント
シェア
通報
第3話 学友

 最初の客は誰になるだろうと、開店初日を心待ちにしていた店のカウンターに座るのが、まさか術方を学んだ大竜骸の学院同窓生になるとは思ってもみなかった。


 彼女の名はエリザベス・アビゲイル・ダンバース。愛称はエリザベスのスペルを拾ったイライザだが、彼女をそう呼ぶのは私だけなので耳馴染みはあまりないかもしれない。


 帽子を脱いだ竜胆色の髪は豊かに波打ち、術法的な意味があるのか諸所が墨色や牡丹色、花萌黄の色に染まっていて実に賑やかだ。


 眠そうなジトッとした半眼は穏やかな垂れ目で、今にも泣き出しそうなほどに潤みを帯びた若芽の色をしている。左目の下に入れられた、涙あとのようも見える羽の刺青も相まって、常に泣いているような美貌の彼女は、卒業式で別れた時から何も変わっていなかった。


 外見的特徴は私より20cmも背が高いことに目を瞑れば人間と似ているが、イライザはヒト種ではない。


 ウィッチリングという生来的に術方を操る種族であり、女性しか発生しない特異な種族である。


 それも生まれながらに天才的な術方使いってだけで無法なのも良いところだが、実質的に〝不死〟であり、構成要素に関係する場所から再生するというのだから、純粋に死んだり捕らえられたりで数を減らした種族からすれば、理不尽も大概にしておけよという気になる。


 「やっぱり君は嘘つきくんだったね……ヨシュア……そんな貌をしていたなんて……」


 彼女の手がこちらに伸びたが、肌に触れる寸前に指が不可視の幕に押し返される。彼女の若芽色の眼が見開かれたのは、自分の恒常的に張っている術方をして無力化される結界の強さに驚いたからだろう。


 私はやんわりと頬に差し出された手を取って――自分から触れる分にはOKと設定してある――学友時代、移動教室に行くのを渋っていた彼女を導いた時のように握ってやった。


 「……まぁ、ご覧の通り私はヒト種だよ。だから、色々と自衛策を講じていてね」


 「……それは……ボク相手にも必要だったの……?」


 「ヒト種なんてうろちょろしてたら、何があるか分かったものじゃないだろう?」


 「こんなに強い結界まで張って……」


 寂しそうに眉を下げる彼女には、一心に詫びるしかなかった。護られた学び舎の中でも〝無貌の仮面〟を外すのはリスキー過ぎたし、今も防護策なしでいるのは危険なんだ。


 ある程度の縛りとして、人造神格は私からの赦しがあるか、私から触れる者以外は例外なく弾くように設定してしまっていて、簡単には変えられない。


 まぁ、こういう店のお約束だからね。お触り厳禁ってのは。


 「ごめんね、そういった術方の仕様なんだ。しかしイライザ、君も変わっているね。わざわざ開店から一番にお祝いを届けたいからって未来を読むだなんて」


 「開店を報せる手紙が……今日届くって分かっていたから……」


 「なら初日まで我慢できなかったのかい?」


 「ひ、人が沢山来てたら嫌だから……」


 消え入るような声を出す彼女が開業前に我が店に大輪の華を抱えて訪ねて来たのは、専攻しているのが〝時間視〟であるからだろう。


 世界を構築する数多の要素の中から未来に繋がる物を選って、演算し、演繹し、可能性の高い未来を算出する。


 私と同じく〝時間〟に関する術方を専攻していた彼女は、きっと私か己の未来を読んだのであろう。


 細い細い今にも千切れそうな絹糸を手繰るが如き繊細な作業であるが、やろうと思えば適うはずだ。


 先祖より伝わりし〝無貌の仮面〟によって、西方の半神半人種だと種族を偽っていた私を学生時代から「嘘つきくん」と呼んでいた彼女だ。何かしらの小さな要素から未来を読んで、私が〝Haven of Rest〟を開店させる将来を掴んでいてもおかしくない。


 だからといって、そんな大層なワザを使ってまで、一番に開店祝いを渡したかったと希少な花と草を束ねたブーケなんぞ持ってきてくれなくてもよかったのに。


 「すこしでも……君の一番になりたかったんだよね……嘘つきくん……私のただ一人の学友……」


 「嬉しいことを言ってくれるね、イライザ。いや、立派な官僚様。サー・ダンバースと呼ぶべきかな?」


 「もう……」


 唇を尖らせて少し拗ねた彼女は、竜骸の学院を優等で卒業したにも関わらずヤクザな仕事に就いた私と違って、押しも押されもしない連邦帝国の技術官僚様だ。各地の俊英天才が挙って集まる倍率数百倍を越えた、科挙めいた試験を悠々と突破し、上位五人にのみ与えられる〝騎士爵位〟を得た本物の天才。


 そんな彼女が、ただただコミュ障で「二人一組になってー」という課題を出され、アワアワしていたことを知っている人間は今や少なかろう。


 「どこに配属されたんだっけ? 君ってば、筆無精で全然返事をくれないじゃないか」


 「せ、先術局だよ……て、手紙は忙しいのと……気恥ずかしくて返事ができなくて……それに、君こそ方々に行ってて……全然手紙が届かないじゃないか……」


 思わず少し下品だが、ひゅぅと口笛を鳴らしてしまった。


 正式名称は国防先端高等術方計画局、文字通り国防に関する戦術・戦略級の術法に関する技術を探求する内務国防局の隷下組織。


 既存の術方形態を発展させるのではなく、ゼロから1を生み出して発展させることができる、異次元の天才だけが放り込まれる坩堝のようなところだ。


 ああ、そんな所に我が学友が放り込まれて五年も働いているなんて、何と言う大躍進であろうか。フィールドワークで二人組を作らないといけない時、落涙寸前まで行っていた君はもういないんだね。


 「本来ならシステムを説明すべきだけど、記念すべき初のお客様だ。今日は私の奢りにしておくよ」


 「そ、そんな……悪いよ……お祝いに来たのに……」


 「こんないいものを貰ったんだ。席料くらいオマケしなきゃ釣り合いが取れないよ」


 言って、私は彼女が開店祝いとして持ち込んだ花束を優しく抱きしめた。


 いや、ほんといいものを持って来てくれたよ。


 私が好きな菊を主役に据えている花束は、そのどれも濃密な地脈の上で育てられたのか秘められている力が違う。


 それに、術法的に意味がある摘まれ方をしているのが一目で分かった。


 「この時期に朝露が落ちる前の菊を用立てるなんて中々できるものじゃない。秘めてる力も凄いし、清浄な気が満ち満ちている。その上見栄えが良いときたら、かなり値が張ったんじゃないかな?」


 「そこは……ちょっと……がんばったけど……」


 「ああ、嬉しいな、こんな希少な素材が手に入るなんて。少し飾ったら何にしよう。ドライフラワーにして護符に使っても良いし、いっそお酒に漬けて霊酒にしようか」


 友人からの開店祝いをうきうきと抱きしめて、店の奥の倉庫にしまってあった箱を術方で取り寄せる。店内には人造神格の加護と私の術方陣が全体的に刻んであるので、この店限定ならば私は総てを思うが儘に差配するに近しい力を震えるのだ。


 まぁ、表に出たら凡百の術者でしかないから、調子に乗ると絶対酷い目に遭うから自重は必須なんだけどね。


 「そこまで喜んで貰えてよかったよ……手配した甲斐があったね……」


 「古い友が訪ねて来てくれて、開店を言祝いでくれる。これほど嬉しいことがそうあるかい?」


 目立つ所に花を活けると、私は何時までも立たせているわけにはいかないので彼女を席に案内した。


 そして、座るように椅子を引いて促すと、イライザは少し尻込みしていた。


 「どうかしたのかい?」


 「その、ちょっと、ボクは重いから」


 「レディ、その心配はございませんよ」


 さぁさぁ座ってと促して腰を落ち着けさせると、私より20cmも高い分、体積も上の体を乗せた椅子は滑るように定位置へ収まった。


 「わ……すご……これ、術法具……?」


 「ああ、西方の特注品だ。帝城の晩餐室にあっても恥じない品だよ」


 ただの椅子ではないのだ。特注の術法具でもあるこの椅子は、座っている者の重みに影響されない特性があるため引くのも押すのも簡単だし、音が出ないようにもできる。その上で都合よく、背もたれに体重を預けても転倒しない仕組みになっているんだから便利だろう?


 これを作って貰うのに結構苦労したよ。馴染みの職人から一脚につき貸し一つの精算を求められたんだから、発注した時は悩んだけれど、こうやってお客様を迎えると代価分の価値はあったと心底思うね。


 「お金かけてるね……」


 「そのために探索者なんぞをやったからね」


 七合界が生まれて数千年が経っているが、この七つの世界の法則をぐちゃまぜにしてメビウスの輪を描く一枚板に生まれ変わった世界には不思議が多い。球を成していないのに空と星があり、三つの衛星が煌めいて相互に力を与えあい、人類未到の地も多い。


 大界災が起こった原因を探るため、まだ見ぬ土地と知識を得るため、ファンタジーRPGにありがちな冒険者めいた職業がこの世には存在している。


 「同じ道に進んでくれないのは……見えていたけど……君がそんな嘘を吐いていることまでは見えてなかったよ……」


 まぁ、一種の山師みたいなものだ。私がそんな仕事をしていたのは身分を偽っても誰も訝らない、ヤクザな仕事だからという点が多い。


 とはいえ、何度か死ぬ思いはしたけれど、真っ当にやっていたら不可能だった店の開業までこぎ着ける伝手を幾つも作れたから、後悔はしてないのだけどね。


 「さて、我が学友、君は相変わらず下戸のままかな?」


 「す、少しくらいは飲めるよ……昔から……」


 「では、君の成長を確かめてみるとしようか」


 私は琥珀色の蕩けるような色をした蒸留酒を手に取って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 ふふふ、術方で酒精だけを弱めて飲みやすくする技法というのがあるのだよ。


 前世で覚えたカクテル、それに奇遇なことに学友と同じ名前の物があるから、再現レシピを振る舞って進ぜようじゃないか。


 私は予期せぬ客第一号に饗するため、ミキシンググラスとマドラーを手に取った…………。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?