わたしたちの目の前に突如として空間の歪みが発生し始める。
それもずいぶん大きい。1m……2m……どんどん広がっていく。
「ミニィちゃん! これって身代わり護符の時と同じもの⁉」
「ええ、似ていますが……これは外側からの干渉です」
ミニィちゃんが険しい表情を見せる。
『お前たち、何か来るぞ。防御態勢!』
スーちゃんの声に反応し、わたしはミニィちゃんを抱っこする片手を離してアイテム収納ボックスから防護フィールドの作動スイッチを取り出す。
その間にも空間の歪みは少しずつ大きくなっていく。
これは新たな敵⁉ もしかして、ヤンスの対抗勢力⁉
「えっ? 重っ!」
急にミニィちゃんの体が重たく⁉ ちょっ、このままだと片手じゃ支えられないっ!
膝をついたわたしの手を離れてミニィちゃんが地面に降り立つ。だんだんと目線が高く……いつの間にか上からわたしのことを見下ろすようになっていた。
ミニィちゃん……ミィちゃんの背が伸びた⁉
「アリシア、安心してください」
ミィちゃんが微笑みながら、膝を折って手を差し伸べてくる。混乱しながらもわたしはその手を取った。
「えっと、どういうこと?」
「味方です。きます」
ミィちゃんが空間の歪みのほうへ首を振って視線を向けていた。余裕のある笑みを浮かべている。
あ、そうか! ミィちゃんの体の大きさが戻ったってことは、魔力のパスがつながった⁉ つまりこの穴を開けたのは味方ってことなのね?
空間の歪みが直径3mほどに達したところで穴の成長がピタリと止まる。
来る⁉
「お待たせしましたね。アリシア=グリーン」
一瞬身構えてみたものの、穴の中から現れたのは知っている顔――赤髪の錬金術師・ノーアさんだった。
パストルラン王国の生ける伝説。錬金術師にして賢者の石に至りし者。
「ノーアさんだ!」
「アリシア、お待たせしました」
ノーアさんの後ろから現れたのは――。
「ミィちゃん⁉ えっ、ミィちゃんが2人⁉」
わたしが手を繋いでいるのは……ミィちゃんでノーアさんの後ろにいるのもミィちゃんで……ミィちゃんが2人いる! これが並列処理っていうことなの⁉ 実際目にするとなんだかすごい!
「外のミィちゃん(本体)がノーアさんに頼んで助けに来てくれたってことですよね!」
「そうですよ。結界の解析に少々時間を要してしまいました」
『遅いぞ。ミィシェリア、ノーア。だが助かった』
スーちゃんは咎めるような口調でいて、安堵した様子を隠さなかった。
スーちゃんには2人が助けに来てくれることがわかっていたんだね。そっか、一度身代わり護符で結界に穴を開けているから、わたしたちの場所もわかっていた、と。
「さあ、帰りましょう。変な横やりが入らないうちにね」
「ノーアさん、かっこいい……」
違う違う、顔のことじゃないよ? いやね、顔もかっこいいんだけど、1000歳を超えるおじいちゃんだし……。そうじゃなくて! 人を救えるということがこんなにもかっこいいなんてね。わたしもこうなりたいなって思ってしまったわけですよ……。
「アリシア=グリーン。『賢者の石』になるとはこういうことなのです」
「こういうこと……」
『ノーア、待て。まだアリシアには早い。こんな小娘を泥沼に引き込もうとするんじゃない』
「スークル様、500年ぶりにお会いしたのにずいぶんなお言葉ですね。ずっとこの国のために尽くしてきた私が、40年ぶりに見込みのありそうな若者に出会えたのですよ。少しくらいアピールしても罰は当たらないと思いますが」
『532年と85日ぶりだ、バカめ。それにお前にとって40年など昨日も同じだろうが』
「正確には532年と85日、22時間12分45秒ぶりです」
さすが賢者の石……。
女神様と対等にやり合ってる。
賢者の石になるとこんなふうにかっこよくなれるんだ。
「いいえ、ノーアはただの人だった時から性格は変わっていませんよ。誰に対しても変わらず厚顔無恥でした」
ミィちゃん……それって、しれっとけっこうひどい評価だよ……。
ノーアさん、こんなにかっこいいのに。
「おお、ミィシェリア様。こんなにもお慕い申し上げているのになんと辛辣なお言葉。私は非常に悲しい。最近礼拝をサボってしまっているからでしょうか」
ひどく悲しそうな声なのに表情はにこやかなまま。賢者の石になっても礼拝するものなの? でもまあ女神様を信仰するなら礼拝するか……。人の枠組みから外れてもその気持ちは変わらないっていうのはおもしろいかな。でもちょっと安心かも。
『ノーアはミィシェリアの敬虔な信徒だよ』
ええっ⁉ ノーアさんがミィちゃんの信徒⁉ めっちゃ意外だー!
「アリシア=グリーン、心底意外だという顔をしていますね。私は生涯のテーマとして愛の探求もし続けていますよ」
愛の探求か……。
不老不死で生き続ける存在。誰もがノーアさんを残して通り過ぎていく中で、どんな愛を求めるんだろう。
ふと猫のアイコさんの顔が思い浮かぶ。
「さあ、脱線した話はこれくらいにして戻りましょう」
『そうだな。では「殿」よ。我々は戻る。対話の橋渡しをするという約束は守るよ。準備ができたら連絡する』
【助かるっす。連絡をお待ちしてるでやんすよ】
ずっと黙って見ていたヤンス(殿)が笑顔で手を振っている。
あ、そうなんだ。別に無理やり拘束する気はないのね。平和的に出ていけるならそれは助かるけど……ちょっと拍子抜けかな。ホントに対話の方法がわからなくてここに連れてこられただけなんだなーって改めて認識したー。
あ、でも大事なことを忘れてた!
「あの……この魂ちゃんたちは……」
囚われたままなのはかわいそうです。連れて行ってもいいですか?
【連れていかれると困るっす。彼らはあなたたちの言うところの大事な国民っす】
え、でも死んでしまっていて、空間を彷徨うだけなのはかわいそうじゃ?
【死の概念が根本から違うっす。おいらたちは肉体を持たないっすから】
『アリシア、国の事情に踏み込み過ぎてはいけない』
でも……。
ああ、そうなの。
魂ちゃんたちは困っていたわけじゃないのね。穴に落ちてきたわたしを慰めようとしてくれていたの? ありがとう。またいつか会いに来るね。その時はゆっくり遊んでね。
「はい、帰りましょう! わたしたちの国へ」
わたしはダブルミィちゃんと手を繋ぎ、ノーアさん開けた空間の歪みに飛び込む。
魂ちゃんたち、またいつか!