傷だらけのイオナとマオ。
婆さんは来るって信じてたと言っていたが、こりゃ到底間に合ったとは言えないな。
「イオナの婆さん、大丈夫か?」
「……あぁ、命はね。ただいくつかの骨はイッちまってる。悪いがこれ以上は戦えないよ」
倒れたままそう言うイオナ。
さっきは辿々しかった口調も少し滑らかさが戻っているあたり、本当に大丈夫そうだ。
残るはマオだが……。
「エリアスッ! なんでお前がここにいる!?」
すでに負傷しているヴォルガン、左腕もないし……ってなんだあのフサフサの見た目は!?
ありゃまるでホワイトタイガーを二足歩行にした感じ、完全に別人になってるじゃねぇか。
だが、低い声や話し方は以前のヴォルガン。
本人に間違いはなさそうだ。
……だけど今はアイツの相手をしている暇はない。
俺はヴォルガンに一切構わず、少し離れた位置に倒れ込んでいるマオの元へ向かい、彼女の身体を抱え込んだ。
よかった、息はしてる。
安否が確認できてホッとした時、マオはゆっくりと目を開いた。
「マオッ!?」
マオは眩しそうにパチパチと目を瞬かせ、次第に俺としっかり目が合う。
「……エリ、アス様? どうしてここに?」
「もちろん、ヴォルガンをぶっ飛ばしにだ。俺が来たからにはもう大丈夫だからな」
「ふふ……初めから心配なんてしてないですよ。ボスであるエリアス様が、悪の親玉を倒すのは初めから決まっていることですから。あとは、お願いします」
マオは静かに目を閉じた。
一瞬心配になったが、眠っただけのようだ。
呼吸は変わらず……いやむしろさっきよりも深い呼吸リズムになっていることから、完全に休息モードって様子。
「エリアスッ! この俺を前に堂々と無視するとは、偉くなったもんだなァッ! 死にてぇのか!?」
そう吠えるヴォルガン。
見た目だけじゃなく、氣の総量や魔力量も今までとは段違いに増えている。
どうも見掛け倒しってわけじゃなさそうだ。
「ヴォルガン。一応聞くが、イオナの婆さんとマオをこんな目に遭わせたのはお前か?」
「あん? この状況で俺じゃないわけがないだろ、おかしなことを聞くやつだ!」
ヴォルガンはガハハ、と愉しげに答える。
「……そうか、良かった」
「良かった? 何を言ってる?」
純粋に首を傾げるヴォルガン。
そんな疑問が浮かぶということは、今の自分の立場を理解していないということだ。
俺はマオの傍に転がっていた刀を拾い上げた。
わずかにマオの氣が宿っている。
つまりさっきまで彼女が使っていたということ。
「……真剣を使うのは、久しぶりか」
そう一瞬物思いにふけったのは、本物の刀を手に取ったのがエリアスとしては初めてだったからだ。
今まで真剣というのは殺しの目的で使用していた。
それをエリアスとして使うのは、少しだけ抵抗があっただけ。
だが俺はこのダストエンドに初めて来た時から、なんとなく直感していた。
躊躇なく人を殺せるという非常な心が必要になると。
もしかしたら今がその時なのかもしれないな。
俺は拾った刀を見てふと思った。
そしてこれに宿ったわずかなマオの氣。
勝ちたかったという感情がバンバン伝わってくる。
そんな彼女の気持ちを背負うためにも、俺はこの武器で戦いたい。
そう思ったからこそ、この真剣を握ったのだ。
「だ、か、らァッ! 何無視してんだっつってるだろうがっ!」
再びヴォルガンが吠える。
気づけばその低い声は間近から。
そう、すでにヤツは俺の目の前に現れており、未だ残存している左腕を大きく振るってきたのだ。
速い――っ!?
俺は咄嗟にヴォルガンの拳を潜るように避け、そのままヤツの体を抜き去っていく。
「エリアス、やはりお前は避けるか……」
ブシュッ――
ヴォルガンの左脇腹から血が吹き出す。
「な、なんだ……!?」
俺は刀についた血を振り払ってから答える。
「なんだ、ってお前が遅いから斬っただけだが」
「な……っ!?」
すれ違いざまに斬りつけたことに関して、ヴォルガンは驚いているようだが、本当に動きが遅かったので容易に斬ることができた。
今のヤツ、おそらく消耗し過ぎている。
息も絶え絶えで肩を弾ませながら呼吸をしているし、何より流した血の量がものすごく多い。
倒れるのも時間の問題だろう。
「完全獣化している俺が遅いだと!? バカなことを言うなっ! いいか、今すぐ仕留めてやるっ!」
再び向かい直したヴォルガンは、俺に一撃加えんと勢いのままに迫りくる。
よくこの傷でこんなに動けるものだ。
手負いにも関わらず、おそらく今まで戦ってきた陰の牙の誰よりも強い。
きっと3年前の俺では、今のヴォルガンにも多少苦戦したであろう。
しかし今の俺の相手ではない。
「
「……っ!?」
ヴォルガンの足が止まった。
俺の放つ冷徹な氣空気に一瞬臆した様子。
そして俺はその隙に、瞬発的な加速で相手の背後に回り込み、剣を振るった。
しかしさすがのヴォルガン。
反応が凄まじく速い、1歩退くことで刃を避けようとするが、俺は寸前で振り下ろしを止める。
動きの静止にヴォルガンは一瞬ぽかんとするが、俺はその隙に再び背後に回り込み、刀を振るった。
だがそれも寸止め。
そして俺はさらに死角へ回り込み、刀を打つ、そして止めるをひたすら繰り返す。
ヴォルガンも持ち前の反応速度で対応してきたが、時折避けきれない刀筋もあった。
しかしそれも俺が直前で振りを止めているので、ヴォルガンはダメージ無し。
これは何をしているのか?
一見すると意味の無い行動。
しかし当の本人ヴォルガンは、長い時間俺の冷たい氣にあてられながら緊迫した空気で刀を避けなければならない。
しかも自分が致命傷を受けるであろう刀筋を寸止めされ続けることで、死を何度も連想させられる。
そつ、これこそが死霞斬の真骨頂。
まるで
幾度となく訪れる
そんな中、突如放たれる本物の攻撃。
下から上へと斜めに斬り上げる、極めて精密で鋭い
これが剣聖時代使っていた技のひとつ『死霞斬』
一撃でもその太刀を受けると、刀への恐怖が相手の体に染みついてしまうという。
この3年間、俺は魔法……ではなく、自らが持つ氣の総量アップとコントロール制度に磨きをかけ続けた。
少しでも剣聖時代と同じ動きを、同じ技を放てるようにと、毎日……毎日……。
もちろん8歳の体、限度はある。
しかしいずれ戦うであろう強敵との戦闘のため、ひたすら剣だけを見つめてきたのだ。
本当は魔法を極めたかったんだけど、あんまり目立つ魔法は放てないし……というか本当は魔法自体使っちゃダメなんだけど。
なら今だけは剣術を磨くのもありか、ということで久しぶりに俺は剣修行を行ったのだ。
「ブハ……ッ!」
刀を正面から受けたヴォルガン。
斜めに入った傷口からは多量の血が吹き出しながらも、倒れずに俺の前に立ち塞がっている。
死霞斬が効いていない?
「……ま、待て、これ、以上はやめようぜ」
……と思っていると、ヴォルガンは突然見たことないほど弱音を吐き始め、ゆっくり後ずさっていく。
俺はそんな言葉お構いなしに刀を向けた。
「ダメだ。お前は俺の仲間を傷つけた。すでに俺の中で許すという選択肢は残っていない」
俺は3年前、ひとつだけ決めたことがある。
それは仲間を傷つけられた時、その相手を決して許さないと。
これは少し大袈裟かもしれないが、例えそれが神だろうと世界だろうと俺は立ち向かうつもりだ。
……だから俺はヴォルガンを絶対に許さない。
ヤツが俺に恐怖を抱きつつ退く姿。
そこにかつてのヴォルガンはいなかった。
「ヴォルガン様っ!」
すると突然ヤツを呼ぶ声がした。
傍にある小屋の上だ。
黒コートにメガネの男が屋根を足場にして、こちらを見下ろしている。
「……ディアモンドッ! ようやく来たかっ!」
ヴォルガンはその男、ディアモンドを見上げるや否や余裕の笑みを浮かべるのだった。