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第43話 英雄、到る



 エリアスが街を駆け始めた頃――



 イオナ武器商店前では、完全獣化したヴォルガンとガントレットを装備したイオナが向かい合い、今まさに戦いの火蓋が切られようとしていた。


「死ねェッ! ババアッ!」


 まず動いたのはヴォルガン。

 年老いた老婆、そして自らの母親へ向けるにはあまりに高威力。

 常人では目で追えないほどの速度でイオナへ迫ったヴォルガンは、容赦なく拳を振り抜いた。


 ブンッ――


 ドスッ――


 風を切る音に、遅れて響く鈍い打撃音。


「ウブ……ッ!」


 ヴォルガンから放たれた拳は、見事イオナに命中……とはいかず、空を切ったのみ。

 本当に命中したのは、イオナのガントレット。

 硬い装甲がヴォルガンの腹部へめり込み、勢いよく後方へ飛ばされた。


「私相手に力でゴリ押そうなんざ、100年早いよっ!」


 イオナは転がった先のヴォルガンへそう吐き捨てるが、当の本人は何事もなかったかのようにスッと立ち上がってみせる。


「テメェこそ、完全獣化の頑丈さを忘れたわけじゃねぇよな?」


 ヤツが浮かべる余裕の笑み。

 その表情は決して強がってるわけでもなく、絶対的な自信に満ち溢れている、そんな様子だった。

 実際イオナが殴った腹部に関して、目立った傷は1つもない。


「あぁ、もちろんだよ」


 それから次に仕掛けるはイオナ。

 ヴォルガンへまっすぐ向かったイオナは一切速度を落とすことなくヤツの眼前まで近づき、ジグザグとヴォルガンの周りを駆け回る。

 それは身軽で且つ、虎獣人特有の脚力が揃って初めて成せる技だ。


 イオナは常にヴォルガンの死角へ回り込む。


 ザシュッ――


 ザシュッ――


 イオナはガントレット装備の手刀で、ヴォルガンの体を徐々に抉りとっていく。


 これが副団長時代、血喰ちくいと呼ばれた所以、イオナは通常であれば殴り込むガントレットという武器を、まるで刃物のように使いこなし、徐々に肉体を抉りとるのだ。


 しかしさすがヴォルガン。

 さっそく適応してきたのか、切り傷から血を漏らしながらもイオナの動きに合わせて強靭な腕を振り回していく。


「だから、効かねぇって!」


 そんな最速の剛腕もイオナは間一髪、全てスレスレで躱してながらも隙があれば一撃加えてみせる。


「やっぱりこれじゃ時間がかかるね」


 そう言うイオナは少し戦い方を変えた。

 拳を丸め、そのまま打ち始めたのだ。


 S級冒険者級の完全獣化ヴォルガンが一心不乱に振り回す強靭な腕を、常にギリギリの間合いで躱しつつも拳を打ち続けるイオナの戦いは、しばらく途切れることなく続いた。


 そしてその均衡は突如として破れることとなる。


「ブハ……ッ!」


 戦闘中ヴォルガンが突然膝をつき、大量の血を吐き出したのだ。


「はぁ……どれだけ頑丈なんだよ。普通の相手なら一撃でこうなるはずなんだがね」


 イオナはそんなヴォルガンを見下しながら、深くため息をついた。


「……ババアッ、何をしたっ!?」


「ふん、昔の私では成し得なかった技さ。拳に氣を練り込み、相手の体に叩き込む」


「それだけの攻撃で、この俺がやられるわけねぇだろ……カハッ!」


「ほら、あんまり騒ぐんじゃない。私の攻撃は内臓にまで届いてるんだ。このまま動き回ると、本当に死ぬよ」


「……内臓、だと?」


「【裂掌破れっしょうは】これは氣を衝撃波として放つ技。いくら強靭な肉体を持ったとしても、中までは守りきれないからね」


「くそ、ババア! くだらねぇ小細工しやがって!」 


 マオに左腕を斬り落とされ、イオナに内臓を壊されて、すでにもう虫の息のはず。

 そんなヴォルガンだが、グッと足を踏ん張って再び堂々とした立ち姿を見せてくる。


「お前、まだそんな力があるのか……?」


「俺は、まだ死ねねぇ。狼共を殺すまではっ!」



 狼共。

 ヴォルガンがそう呼んだのは、血狼騎士団のグレイ・アルモンド団長含む一族のことだ。

 ヤツが国家反逆の罪を犯すことになったのも、彼……いや、彼の一族である狼族との因縁が全ての原因。


 少し過去に遡る。



 獣人の中で最も強い種族は何だ?


「狼だ!」

「虎だ!」

「いや狼だろ!」

「虎だって!」


 狼族と虎族は昔から力が拮抗していた。

 ある時は狼が勝ち、ある時は虎が勝つ。


 この戦況は過去何百年にも渡って繰り広げられていたものだったが、この均衡は世にとっては必要不可欠なものだった。


 なぜならばそれが破られた時、国家に絶対的な権力が誕生してしまうから。


 そういった未来を互いの種族が理解しているからこそあえて均衡を保っている、そんな側面も実はあった。


 しかしそんな時、狼族に天才が誕生した。

 名はグレイ・アルモンド。

 若干10歳にして完全獣化の会得、その2年後に狼族最強へと成った男。


 もちろんそんな男に虎族は手も足も出ず。


 そう、グレイはその存在を持って、この数百年分の均衡を軽くぶっ壊したのである。


 それから歴史は動いた。


 まず血狼騎士団の設立。

 そしてグレイ・アルモンドは初代団長として団を率い、長年ヴォルグリア国に敵対していた魔法国エルファリアに白旗を上げさせた。

 その功績を讃えられた騎士団は、国王直下最高幹部としての席を手に入れ、今尚その地位は揺るがずにいる。


 それに対して虎族。

 狼族と並ぶ王者としての地位は一瞬にして落ちぶれてしまった。


 特に虎族に関しては今まで絶対的優位な立場と分かっていながら、他の種族を蔑み、ぞんざいな扱いをしてきた過去がある。

 そんな歴史を歩んできた虎族が地へ落ちた時、待っていたのはもちろん他種族からの報復だ。

 実際、虎族が犯罪を犯したわけではなかったのでこの街から追い出されることはなかったが、街のどこを歩いても強い嫌悪を向けられて、宿泊施設や商業施設の利用など、断られることもよくあった。


 何か事件があった時も、虎族への疑いは当たり前。


 こんなの、やってられるか――


 そう思った虎族の大半は、この国を去ることになった。



 それから20年後、狼族と人族によって構成された血狼騎士団に、街に残った数少ない虎族であるイオナ・アーレンスが入団。

 当初はそれこそ団員や街の人々からの迫害を受け続けたイオナだったが、騎士団員として収めた功績が彼女を見る目を変えていった。

 そして並外れた身体能力と周りからの厚い信頼を得ていったイオナは、副団長へまで上り詰めたのだ。


 そうやって虎族への心証が徐々に良い方向へ向く中、裏ではヴォルガンが狼族への復讐を企んでいた。


「俺達がこんな目に遭ったのは、全て狼族のせいだ。奴らを一網打尽にして、再び虎族の時代を創ってやろうぜ!」 


 ヴォルガンは多くの虎族を従えて、ヴォルグリア城へ乗り込んできた。

 しかもグレイ団長不在を狙ってだ。

 目的は現国王の首と騎士団の全滅。


 騎士団と同等の頭数を揃えてきたヴォルガン。

 さらには団長不在と実力No.2であるイオナは同族殺しが禁忌のために戦いの参加は困難。

 こうなれば虎族が有利なのは目に見えている。


 ヴォルガンもよく考えたものだ。

 しかしヤツとして計算外だったのは、同族イオナの戦闘介入。

 まさかイオナが自ら犯罪に手を染めるとは思わなかった。


 それから戦況は大逆転。

 数々の反逆者を時には殺しつつヴォルガンまで辿り着いたイオナは、実の息子が首謀者だという事実をそこで知った。

 そして我を忘れて剣を振るい、気づけばヴォルガンは瀕死状態、イオナはついさっき帰還したグレイ団長に取り押さえられたところで、この虎族反逆事件は幕を閉じたのだ。


 その後、捕えられた虎族はもちろんダストエンド送り。


 副団長イオナは、反逆者から国を救った英雄と同時に同族殺しの罪に。

 今までと今回の功績、何よりグレイ団長から同族殺し罪免除の申し出があったことで一度は罪を逃れたが、国民は同じ虎族であるイオナへの嫌悪感と同族殺しを容認できず、国は再審を行った結果、他の虎族と同様ダストエンド送りとなってしまった。


 あれから50年、イオナはあの時の決断に一切の後悔はない。

 いや……あえて後悔を挙げるとすればヴォルガンを殺しきれなかったこと。


 あの事件の時に……ダストエンドに来てすぐに始末していれば。


 今更そんな想いが頭をよぎるがもうすでに遅い、過去には戻れないのだから。


 それにあの当時、イオナは騎士団追放とダストエンド送りという最高刑の執行により心が完全に折れていた。

 周りのことなんてどうでも良いとさえ思っていたので、どうしようもない。



 そして現在。


 ヴォルガンは狼族への憎悪、怒りの感情を持って迫り寄り、強靭な腕を振るった。

 しかしイオナは再び間一髪と避けていく。


「ヴォルガン、お前なぜ動けるんだい?」


 驚嘆したイオナの問いに、ヤツは一度止まって口を開く。


「氣は治療にも使えるって知らねぇのか? 急いで止血したんだよ!」


 ヴォルガンはニタリ顔を見せつけて、再び攻撃に転じた。

 完全獣化は体の大きさが変わると同時に、体内エネルギーの総量も大きく増える。

 つまり氣を使った様々な芸当も大幅に強化されるという。


 それから状況が一変。

 イオナに攻撃が当たり始めたのだ。

 息もずいぶんあがっている。


 しかしまだなんとかヴォルガンの拳を受け流し、直撃だけは避けているという感じ。


「ババア、老いってのは恐ろしいなっ!」


「何を、まだまださ……うぐっ!」


 いよいよイオナは攻撃を受け流しきれず直接拳をくらってしまい、大きく後方に飛ばされた。


「ようやく決着かよ、くそババア!」


 ニンマリと余裕の笑みを浮かべるヴォルガンは、今も尚、殴られた衝撃で倒れ込むイオナへゆっくりと近づいていく。


「はぁ……はぁ……はぁ……っ」


 拳を叩き込まれたイオナ、あの1発で肋骨のほとんどは折れ、一部が片肺を貫いている。

 息をするのもやっとで、なかなか起き上がることができない。


 そんなイオナの真上をまたがって偉そうに立つヴォルガン。

 ヤツは彼女を見下ろし、問いかける。


「……言い残すことはあるか?」


 自分の体の状況をいち早く察したイオナは、無駄に動こうとはせずゆっくりと言葉を発した。


「悪党が存在する、限り……英雄はまた存在、する」


「……あぁ!?」


 今の発言に理解が及ばないといった様子のヴォルガンに、イオナはさらに言葉を付け加える。


「お前を倒すもの、は、絶対に……いる、ってこと、だよ。この、クソ悪党が、」


 息が絶え絶えになりつつも、言いたいことをハッキリと伝えたイオナはゆっくり目を瞑った。


「……ふん、最後まで偉そうなババアだったぜ。さっさと殺して島を出るか。じゃあな、ババアッ!」


 ヴォルガンは全力で拳を振りかぶった。

 あとは迷わず振り下ろすだけ。

 これで長年の因縁である母親を仕留め、心置きなく島からおさらばできる。


 そんなトドメの前に生まれた一瞬の時間。

 突如として現れた赤い炎がヴォルガンの目に入った。


「……ファイア、ランスッ!!」


「なんだ……っ!?」


 掛け声と共にやってきた炎を見て、咄嗟に危険と感じたヴォルガンは今の位置から大きく後ろに飛び跳ね、その場から退いた。


「お前……っ!? なんでここに!?」


 ヴォルガンは、そこに現れた者の姿を見て驚きを隠しきれていない様子。

 そんな狼族の様子なんて気にも留めず、その者は腕に纏った炎を掻き消してからイオナへ声をかけていく。


「婆さん、遅れて悪かった。ちゃんと生きてるか?」


「ったく遅いに、決まってるだろうが……だけど、来るって信じてたよ、エリアス」


 エリアスは間一髪ヴォルガンの企みを阻止することができたのだった。

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