約束の日――
ヴォルガンが俺達従者に解放宣言を放ってからちょうど3日の月日が経った。
約束の時間までもう少しある。
そのため俺達はイオナ宅の裏庭で各自、自由にしていた。
「エリアス様……やっぱりアタシ、納得行きませんっ! このままヴォルガンを外へ逃がすなんて!」
マオからの抗議。
この3日、ヴォルガンへの復讐を題材に何度か彼女から異議を唱えられているのだ。
「マオ、言いたいことは分かるんだ。だけど向こうは暴力ではなく話し合いで解決してこようとしてる。俺は……平和に終わるならそれが1番だと思うんだよ」
マオは俺が話し終えると、静かに俯いた。
彼女の気持ちは本当に分かる。
元々俺についてきたのも自分が強くなるため。
そして仲間の仇を討つと言っていた。
俺自身、リーヴェン村に帰るためには従者から解放してもらう必要があったし、これ以上子供達が被害に及ぶようであれば、ヤツら『陰の牙』を壊滅させることも考えていたくらいだ。
しかし実際はこの3年、被害の1つもなくただ契約どおり資材と食料の交換のみ。
むしろ『陰の牙』という後ろ盾があったことで、子供達は平和に日常を過ごすことができたと思っている。
そんな奴らが俺達になんの被害も及ぼさず、主従契約を解除するというのだ。
理由自体は俺やマオ、アーゼルやラニアと戦闘能力が比較的高めな子供達との衝突を避けたいという自分本意なものだったが。
それでも誰も傷つかずに解決できるのであれば、話に乗る価値は充分にある。
俺はそう思った。
「だけど……っ! アタシはそれでも……」
下を向くマオが握り込む拳は、絞り出した声と同様に震えている。
コンコンッ――
すると裏庭から店内へ続く扉から控えめなノック音が聞こえ、間もなくガチャッとドアが開く。
「あ、あのぉ……取り込み中でしたか?」
わずかに開かれたドアからひょこっと顔を覗かせたのは、リンだった。
「大丈夫だよ、リン。もしかしてもう到着したのかい?」
言い争う俺とマオを見かねてか、アーゼルが即座に対応してくれた。
リン、彼女には食料庫へ向かうための竜車が迎えにきたら、イオナ武器商店にいる俺達へ知らせるようお願いをしていたのだ。
「うん、いつでも出発できるみたいだよ」
どうやら到着したようだ。
時間通り……ではあるがマオのメンタル面を考えると、もう少し遅くてもよかったけど。
「ほら、ラニア! 行くよっ!」
アーゼルは裏庭で横たわって昼寝中のラニアを揺すぶり起こす。
「……はっ! もう着いたのっ!? 食べ物はどこなのっ!?」
「はぁ……。ラニア、食料庫どころか竜車にも乗ってないよ」
ラニアに対して嘆息を吐くアーゼルは、その後俺へ体を向け「先にいくね」とだけ言い残して外へ向かった。
おそらくあのクール男、俺とマオに話し合う時間をくれたのだろう。
ありがたいが、早く行かねばすでに日も暮れようとしている。
陰の牙の件は、帰ってきてからでも遅くないはず。
「マオ、まずは食料庫だ。帰ってきてからちゃんと話を……」
「アタシ……今はここに居ます」
「マオ……」
「エリアス様、すみません」
マオは俺に深々と頭を下げてから、店内へそそくさと入ってしまった。
「エリアス、ちょっとこっち来な」
裏庭の端で終始に渡って様子を見ていたであろうイオナからの呼び出し。
俺は「なんだよ」と言いつつ婆さんへ駆け寄る。
「アンタの言い分は間違いじゃないと思う」
イオナは険しい表情だったのでどんな説教なのかと思っていたが、まさかの賛同意見だった。
しかし続けて彼女は語る。
「エリアスの考えは分かるよ。今、ヴォルガンはエリアスやマオの高すぎる戦闘力に警戒している。だからこそ子供達には手を出してこないだろうし、陰の牙がこのダストエンドから出ていけば、これ以上の被害だって出ない。これまでに少数の犠牲があったにせよ、今後の多勢が守れるわけだ。さらには食料の問題だって解決するんだし悪いことは1つもない」
「そう、俺もそう考えてこの結論に至った」
「だけどそれはつまらない大人が偉そうに唱える一般論、間違いじゃないけど正解でもない、というやつさ」
イオナは何やら胡散臭い哲学のようなことを抜かすが、その表情こそは本気そのもの。
「……じゃあ何が正解なんだ?」
だから俺も真剣に問いを投げた。
「さあね」
気が抜けた。
なんだ、知らないのかよ。
「だが、物事を真に導くのはいつだって英雄だった」
「英雄? 俺は英雄なんかじゃないけど」
英雄とは常軌を逸した才能で、何か偉大なことを成し遂げた者のこと。
前世である剣聖、優れた剣技で数々の国を救ったことがある。
もしあれを英雄と呼んでいいのであれば、今のエリアスは間違いなく英雄ではない。
前世の記憶を持つ異端児。
今のところちょっとだけ強い子供程度だ。
「……少なくともあの子はそう思ってないと思うよ」
イオナはチラリと店内へ続くドアへ目をやる。
あの子、と言われて俺の脳に浮かんだのは赤髪を揺らし、いつも快く慕ってくれているマオの姿。
「マオは、そうかもしれないな」
彼女は初めて出会った時、俺に一生ついてくるなんていうとんでもない告白をしてきた。
あれから3年、マオはあの時の言葉を一切曲げることなく、俺の傍に居続けている。
俺を慕い、将来は大組織を率いるボスになると、今も信じてやまない。
そういう意味では、俺のことを英雄と思っていてもおかしくない気もする。
「私もそうさ。お前には英雄に成りうる力が充分にあると思うがね」
英雄に成りうる力?
イオナは俺に何を求めている?
そしてその力とは何を意味している?
「ふっ、ちょっとガキには難しかったか。まぁあまり深くは考えなくていい。お前はこれからの人生、自分がしたいようにしな。エリアス、お前の戦闘センス、仲間の統率力があれば、大抵の無茶はまかり通せるはずさ」
統率力て……。
俺まだ組織のボスとかじゃないんだけど。
「えらく自信満々だな」
俺がそう言うと、イオナは偉そうに鼻を鳴らす。
「ふん、私を誰だと思ってんだい? 血狼騎士団元副団長、血喰のイオナとは何を隠そう私のことだよ!」
「いや、なにその物騒な二つ名。本当にお国を守る騎士様だったのか?」
「細かいことはいいんだよ。ほら、マオのことは見といてやる。お前はとりあえず食料庫とやらに行ってこい」
イオナは向かい合う俺の踵をくるりと返させて、背中をポンと押してくる。
婆さんのメッセージはなんとなく理解した。
合理的な妥協案ばかりでなく、たまには理想を語れということだろう。
イオナいわく、俺にはその理想を真にする力があるというが、今はピンと来ない。
昔から戦いに対して犠牲は付き物だ、そう思っていたのでイオナが俺の考えを一般論だと言ったのは、その頃の考え方が今も尚染み付いているからだと思う。
「ほら、早く行きなっ!」
さらにイオナは俺の背中をもう一押し。
仕方ない。
マオのことは婆さんに任せるか。
まずは食料庫に行ってからだ。
「分かったよ、婆さん。マオのこと頼んだ!」
「……はいよっ」
背中越しに婆さんの軽快な返事を聞いた俺は、イオナ武器商店を後にした。