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第13話 ヒューロとバン

「ヒューロ様とバン様はどんなお方なのですか」


 慧芽が深く掘り下げれば、ヴェラは一瞬だけきょとんとし、そのあとすぐに満面の笑顔を向けた。子供が自慢話をするかのように顔を輝かせて、「聞いて聞いて!」と語りだす。


「ヒューロはなんでも知ってるんだよ! 人間の言葉を教えてくれたのもヒューロ! 優しいの! バンもね! すっごく強いの! ケンカしたら、ヴェラ負けちゃう! あとね、ヴェラって名前をくれたのもヒューロ! 卵はバンが見つけてくれたんだって!」


 興奮気味に頬を高潮させて話すヴェラは、自分以外の竜の話ができることが嬉しいようで、口が止まらない。しれっと混ぜられた竜は卵生であるという事実は、今夜にでも観察日記に追記するべく、慧芽の脳内の大事なところに覚え書きとして残しておく。


「お二人は今、どちらにいらっしゃるのですか?」

「ヒューロはねぇ、ずうっと向こうのほうで山になったよ。バンは分かんない。番い探しに行けってポイってされたから、そのあと、見てない」


 ヴェラはある方向を指でさしてヒューロという竜の居場所を示すけれど、バンという竜については知らないと首を振る。


 慧芽は軽くうなずきながら、ヴェラが指をさした方向にあるものに思いを巡らせた。


 この目で見たことはないけれど、確か古今の大陸地図を比較すると、天峰国の遥か北に、百年ほど前の地図から山が一つ、つけ加えられていたはずだ。


 あれは地図の精度が低いゆえに記載が漏れていたのかと思っていたけれど、竜が山となり、それが地図に追記されただけというのであれば、地形すら変じてしまう竜の影響力の大きさに、改めて人智を越えるものという印象が強まる。


 思案する慧芽に代わり、それまで部屋の片隅で彫刻のように立っていた克宇も話に混ざってきて。


「姫君。不躾な質問で申し訳ありませんが、ヒューロという竜は山になったのですか?」

「うん。ヒューロはね、氷が体にいっぱいくっついてね、動けなくなっちゃったんだって。ヴェラが出会った時もね、もうほとんど動けなくなってたよ。ヒューロがしゃべれなくなるくらいに動けなくなってからも会いに行ったけどね、ちょっとずつ氷がふえて、今はもう山なんだ~」


 克宇は感嘆の声をあげ、しきりに興味深そうにうなずいている。しまいには「ぜひ、いつかそのお山に行ってみたいものです」とまで言い出した。


 純粋な興味で話を聞いている克宇とは対照的に、ずっと思案顔をしていた慧芽は、気楽に話すヴェラの言葉から一つのことを想起する。


 それは竜の死という概念だ。


「ヒューロ様は、亡くなられたのですか?」

「なくなる?」

「死ぬ、ということです」


 いまいち慧芽の意図を理解できなかったらしいヴェラに、慧芽は率直な言葉で言い直す。

 ヴェラはぱちぱちと目をまばたくと、ぷくっと頬を膨らませた。


 ここでヴェラが気を立てるのを想定していなかった慧芽はぎょっとするけれど、ぷくっと頬を膨らませただけのヴェラは、それ以上の癇癪を起こすことなく、むしろ拗ねたように慧芽に言い返す。


「リュウは死なないって、ヒューロが言ってたから、死なないもん」

「死なない?」

「うん。リュウは人の千年を生きたあと、大地にゲイゴーされるから死なないって言ってた」


 げいごー、迎合、と口の中でつぶやいて、慧芽は竜の死生感をなんとなく理解した。


 おそらく竜という存在は、人間の肉体以上に「大地に還る」という意識が強いのだろう。だから話すことも動くこともできず氷山となった竜を、ヴェラは「死」と認識していない。


 ではヴェラが死という概念を知らないかと言えば、そうではなく、きちんと死という現象が他の生き物にあるということは理解しているようだった。


 そして竜は、人の何倍もの時を生きるのを当然としているようで、慧芽はその時の感覚が果たして人間と同じであるのかと、改めて疑問に思ってしまう。


 閑話休題。

 このままでは話が脱線していって帰ってこれないので。


「話を戻しましょう。姫様、先ほど私は、竜の力の強大さについて知って欲しいと言いましたね」

「うん!」

「たとえば姫様が竜のお姿で、言い伝えのように嵐を呼び、雷を落とし、その立派な尾や腕を奮ったとしましょう。そうなりますと、皇帝のおわしますこの都も、一夜にして滅びます」

「ほろぶの? 弱くない?」


 今度はヴェラが驚く番で、首を傾げてしまう。

 聞き返すヴェラに、その通りだと慧芽は深く頷いて。


「そうです。弱いのです。竜の暴力の前には、人という生き物はとても弱く、すべてが死し、壊れ、無に帰すのです」

「……ぜんぶ?」


 どの言葉がヴェラの琴線に触れたのか。

 ヴェラはそれまでの快活な態度をひそめさせて、表情をかげらせた。金の双眸が、慧芽を見上げてくる。


「ぜんぶって、ダンナサマもいる?」

「はい。国が滅ぶとき、皇帝もまた滅びましょう。軒炎皇帝陛下は武勇の王です。国の滅亡の際は自ら軍を率い、その災禍を払うべく先導に立つでしょう。臣民よりも先に災いと対峙するのは、それを守る国の役割でございます。つまり」


 ここで慧芽は言葉を区切り、小さく深呼吸をした。

 ヴェラがどう思うかは分からないが、これだけは伝えなければ、理解してもらわねばならないこと。


「もし万が一、いにしえの竜のように、姫様が人に仇なす竜となった時は、軒炎皇帝陛下が直々に討伐なされることでしょう。ですから姫様、決して、人を傷つけてはなりません。物を壊すようなこともお気をつけくださいませ。それが人として、軒炎皇帝陛下のおそばに侍るための、絶対の誓約とお思いください」


 これが今日一番、慧芽がヴェラに教えたかったことだ。


 物を壊さない、人を傷つけない。

 人間にとっても当たり前だが、竜であるヴェラはその当たり前を少しでもはずれれば、人の、国の敵になりかねない。


 軒炎を旦那様と慕うヴェラだけれど、もしもの時がおとずれて国の敵になったのであれば、軒炎はためらわずヴェラを討つ。


 これは絶対だろう。

 そうでなければ皇帝の器、足り得ない。


 故に、ヴェラにこれだけは肝に銘じてもらわねばならなかった。


 これまでの生活で恐ろしいほどの脅威を慧芽自身が感じたことはないけれど、この離宮に来る前の暴挙っぷりは、克宇が配されている事実と彼から聞いた話から想像はついていた。


 だからこそ、絶対にそんな日がこないとは言いきれない。


 いつかその日を知らずに迎えてしまわぬよう、ヴェラに人と竜の違いを教えておくのも、自分の役割だと慧芽は思っている。


 何か思うことがあるのか、ちょっとだけ不機嫌そうな表情になったヴェラだが、慧芽の言葉にしかとうなずく。


「わかった。気をつけるね。ヴェラ、あんまりリュウにもならないようにする」

「どうしてもという時は、誰もいない、広々としたところでお願いしますね」

「はーい」


 ヴェラが素直に返事をする。

 聞き分けの良いヴェラに、慧芽も笑みを浮かべた。


(普段からこうやって素直に聞いてくれると嬉しいのだけれど)


 内心で少々ヴェラへの小言を漏らすが、本人に直接言って、わざわざ機嫌を損ねる必要もない。


 今日の講義は、こうして終えたのだった。


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