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第10話 食卓の地獄絵図

「わぁっ! 今日のゴハン、おいしー!」

「それはようございました」


 朝から慧芽の言いつけで薄い夜着を着せられて終日不機嫌だったはずのヴェラが、ご機嫌に大きな口をあけて椀の中のあつものを飲み込んでいく。


 一杯目をすっかり平らげると、その椀をぐいっと慧芽に突きつけた。


「けーめー! おかわり!」

「よろしいですが、二杯目はこちらの匙を使って食べましょうね」


 ヴェラが金色の瞳をますます輝かせて、羮をねだる。慧芽は椀を受け取る代わりにヴェラの手に匙を握らせると、椀へと羮のお代わりをよそった。


 ヴェラは待ちきれないのか、匙をかじかじとかじり始めてしまう。


「姫様、匙をかじってはなりません」

「うー、ゴハン~っ」

「その匙を昨日のように食べてしまったら、今日はもうこの羮は食べられません。お野菜だけの汁になりますよ」

「食べてないよっ」


 慧芽が匙をかじるヴェラを注意すれば、ヴェラは慌てて口から匙を取り出した。木を削って作られた匙の先端が、まるで草の茎をほぐしたかのように割れている。慧芽は叱るべきかどうか逡巡し、ひと言だけでかじることはやめたようだったので、今回は見逃すことにした。


「ではどうぞ。ちゃんと匙で食べれるなら、この鍋の羮は全部、姫様のものですよ」

「ゼンブいいの!?」

「はい。姫様のための羮ですから」


 満面の笑顔でヴェラが匙を握った。

 匙で椀によそわれた赤みがかった汁をすくって飲み、白身のぷりぷりとした肉をさらっては食む。時折、うまく口に運べなくて匙からこぼれてしまうが、そのたびに根気よく慧芽は正しい匙の持ち方を教え、丁寧にゆっくりと食事を進めることを説いた。


 そうしてヴェラが五杯目の羮を人間らしく平らげる頃、慧芽は自分の食事に手をつけようとして気がつく。


「克宇様? お食べにならないのですか」

「いや……ちょっと、食欲が……」


 ヴェラの行儀作法の手本になるように、三人で食卓を囲むことにしていたのだけれど、ヴェラの世話をしていた慧芽だけではなく、珍しく克宇までも食事に手がついていない。


 慧芽が指摘すれば、克宇は落ち込んだように机に肘をつき、うつむいた状態で手に額を乗せて、顔を隠してしまった。


「食欲がなくともお食べください。食は生の源です。それとも、もう少し精がつくようなお食事のほうが良かったでしょうか。毒の処理をすれば私たちもあの蛇を食べられたので、少し残せば良かったですね」

「いらないです食べないですやめてください」


 げんなりした声で克宇は慧芽に主張すると、眉間にしわを寄せて、ヴェラのための羮が入った鍋を見る。


「……慧芽殿はよく平気ですね。俺にはその鍋の中身が、地獄絵図にしか見えないのですが」


 そう言われ、慧芽は鍋の中をのぞき込んだ。


 半分ほどに減ってはいるが、まだまだ羮は残っている。普通の羮と少々違うのは、汁に蛇の血を混ぜたことで濁った赤色になっており、さらには、鱗を丁寧にはいだ蛇の肉がぶつ切りに入っていることだろうか。よくよく見てみれば、蛇の頭らしき部分が、赤い汁の中をぷかぷかと漂っている。


 これぞ、慧芽渾身の蛇汁だった。


 ヴェラから取り上げた毒蛇を、蛇が大の苦手らしい克宇になんとか仕留めてもらい、慧芽が無毒の蛇の食用方法を参考にして調理した。


 頑張るヴェラのために作った羮だ。ヴェラが蛇のどの部位を好んで食べるのかが分からなかったので、慧芽は血抜きや毒消しをしないまま調理した。故に慧芽と克宇は食べられないし、食べてはならない殺人料理になっている。


 慧芽は克宇の言うところの地獄絵図を見下ろしながら、確かに見た目はよろしくないなと苦笑した。その上、常人にはまず食することが不可能な羮なので、一歩誤れば、現実のほうまで地獄絵図になるのは間違いなかった。


「見た目はもう少し改良できるか、要検討いたします。食材の管理も、厳重にする必要がありますね」

「そういうことではないのですが」

「そういうことではないのですか?」


 慧芽が克宇の意図するところを理解できずに聞き返すと、克宇はそうだと言わんばかりに首を縦に振った。だけど慧芽にとっては別におかしなことは何もなくて。


「姫様と私たちでは、食べる物がわずかに違うことを、ここ数日で把握しました。人向けの食事も召し上がっていらっしゃいますが、おそらく姫様の主食や好物は、爬虫類の生き物なのでしょう。だから食事は十二分に出しているにも関わらず、蜥蜴や蛇を捕まえて、食べようとするのだと考えられます。ならば食事に、定期的に好物を混ぜ込めば、少なくとも、生きた蜥蜴を丸飲みしようとすることはなくなるはずです」


 理路整然と、慧芽は地獄絵図を食卓に出す理由を並べ立てた。


 克宇は承服しかねるようにしかめっ面になるばかりだ。でも結局のところ、竜にとって必要なものと認めたのか、のろのろと自分の前に置かれた箸に手をつけ始める。


「できれば今後、姫君の食事を作る際は、俺のいないところで蛇を扱っていただければと思います……」

「こくうはヘビ、キライなのー? よっわ~い!」


 それまで夢中で羮を食べていたヴェラが不意に顔を上げて、けらけらと笑った。うまく匙を口に入れられなかったのか、羮の汁で口もとが濡れている。慧芽が無言で手を伸ばし、手巾でその口もとをぬぐった。


 対する克宇はヴェラに「弱い」と評されて、拗ねたように箸で惣菜をつつき始めて。


「克宇様、お行儀が悪いです」

「慧芽殿、手厳しいです」

「けーめー、もっと怒ってよう! ヴェラがやるともっと怒るじゃん!」

「姫様は注意してもすぐに直らないから叱るのですよ。克宇様をご覧なさいませ。すぐにやめたでしょう?」


 慧芽は不公平だと唇を尖らせるヴェラを諭しながら、こぼれた汁をぬぐったり、匙の持ち方を直したりと、かいがいしく世話をした。


 二人の少女の見目の年はそう変わらないけれど、慧芽が化粧をして大人びた雰囲気をまとうのと対照的に、ヴェラの言動は幼子とそう変わらないためか、克宇の目にはまるで母娘のように映って微笑ましい。


 ただし、その食卓の上に、地獄絵図を落としこんだような羮がなければの話だけれど。


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