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第4話 竜の羞恥心

 ここ数日、無邪気に喜ぶか、文句ばかりを言って拗ねちらかしていたヴェラの意外な表情に、慧芽は目を丸くする。


 お茶の支度をすべて終えた慧芽はお茶のお代わりをいつでも用意できるように控えつつ、二人の様子がつぶさに観察できるような場所を位置取った。


 不躾にならないように顔を下げ、睫毛も臥せながらも、慧芽はもじもじと恥ずかしがるヴェラから意識をそらさない。


「ヴェラ、どうしたんだ。ほら、食べたかったんだろう?」

「う、あ、う……」


 明らかにからかうように微笑んでいる軒炎とは対照的に、とうとうぽっふんっと真っ赤に茹だったヴェラが顔を覆ってしまった。


「だ、ダンナサマのいじわるぅ……っ」

「ん? 何か悪いことでもしたか」

「け、けーめーも! こくうも! いるのに! 恥ずかしくないのっ!?」


 耳まで真っ赤になってしまったヴェラに、軒炎がくすりと笑う。


「可愛いな、ヴェラ。どうしても駄目か?」

「だ、ダメじゃない、けどっ! い、いいの!?」

「もちろん」


 ますます真っ赤になったヴェラは、ふよふよと視線をあちらこちらにさ迷わせていたけれど、とうとう観念したらしい。ちょっとだけ熱に潤んだ瞳で軒炎を見上げた。


「す、末永く、よろしくお願いします……?」


 そう言いながらぱかりと口をあけたヴェラ。

 あることが慧芽の脳裏にひらめく。


「お待ち下さい、主上」


 ヴェラの小さな口の中に軒炎が蜜菓子を差しだそうとしたのを、慧芽は止めた。

 蜜菓子が宙で、一時停止する。

 軒炎は涼しげな視線だけを慧芽によこした。


「どうしたんだ。慧芽」

「仲睦まじいところ大変申し訳ないのですが……もしやと思いましての、進言がございます」

「許す」


 軒炎から発言の許可を改めていただいた慧芽は、ヴェラの様子から気がついたことを、確固たる自信を持って軒炎に進言する。


「おそらくですが、姫様のそのご様子とお言葉より、主上のソレは鳥類などに見られる給餌行動に類するものかと思われます」

「給餌行動?」


 慧芽は深く頷いた。

 竜が人間よりも野生の生き物に近い生態を持っているとしたら、容易に考えられること。


「人で言うところの求愛行動の一種ですが、姫様のお言葉から推察するに、ただの愛情表現だけではなく、求婚に近い意味を持っているのではないでしょうか」

「そうなのか、ヴェラ?」


 軒炎がまばたいて、ヴェラに確認をする。けれどヴェラは恥ずかしいのかそっぽを向いてしまって、まともに返事をしようとしなかった。


 ただし、否定は返ってこない。それが答えなのだろうと結論づけたらしい軒炎が、興味深そうに指先で摘まんだ蜜菓子をまじまじと見つめた。


「ちょっとした戯れのつもりだったが、ヴェラには大事だったみたいだ。さすが梔家しけ七才媛しちさいえん。見事な慧眼た」

「恐れ入ります」


 出すぎた真似だったろうかと少しだけ不安に思っていた慧芽は、軒炎の称賛にほっと息をついた。本来であれば、直接お声がけが許されない皇帝陛下にお声をかけるなんて、笞で打たれてもおかしくはないような無礼だ。知らず内に緊張をしていたようで、肩から少しだけ力が抜ける。


 摘まんだ蜜菓子の重たい意味にしばらく思案顔をしていた軒炎だが、それも一瞬のこと。すぐにまた、ヴェラへと差しだした。ヴェラがぎょっとして軒炎と蜜菓子を見比べる。


「だ、ダンナサマっ?」

「ほらお食べ。私は君の番いなのだから、何もおかしなことはないだろう?」


 軒炎を最初に番いだと主張して押しかけてきたのはヴェラだった。だから遠慮は不要だと言わんばかりに、軒炎は蜜菓子をヴェラの口もとに差しだす。


 楽しそうに目を細める軒炎の笑みに何かよろしくないものが含められている気がして、慧芽はとうとう視線を二人からそらした。


 視線をおもむろに上げれば、壁際で控えている克宇と目が合う。可哀想なことに耐性がないのか、皇帝と姫君の甘酸っぱい雰囲気に当てられて耳を真っ赤にしていた。


 慧芽がやれやれと言わんばかりに肩をすくめて見せると、克宇はぎこちなく顔をそらしてしまう。


 他人の、それも皇帝と竜という、普通とは言いがたい存在同士の色恋沙汰。そこまで恥ずかしがるようなことでもないだろうに。そう言ってしまいたい衝動を慧芽はぐっと飲み込んだ。


 素知らぬ顔で慧芽が控えていると、ようやくヴェラに満足のいく餌付けができたらしい軒炎が慧芽を見た。膝の上のヴェラは頬をモゴモゴさせながら恥ずかしそうに顔を伏せている。


「そうだ、慧芽。ヴェラのことだが」

「はい」


 何だろうかと軒炎に視線を向ければ、軒炎は何かを含むように口の端をつり上げた。

 嫌な予感がした慧芽が丹田に力を入れて身構えると同時、軒炎が口を開く。


「ヴェラの後宮入りがひと月後に決まった。それまでに妃としての最低限の教養を身につけさせておくように」


 ひと月後。

 教育係として区切られた、一つの期限。

 あんまりにも短い期限に、慧芽は頬が引き攣りそうになる。


「それはまた、突然でございますね。急に決められましても。恐れながら、期限が短すぎます」

「急ではない。元々、ヴェラは一度後宮に入れたんだ。ただ後宮の女官では手が負えなかっただけだ。そなたのおかげで、たった数日でヴェラが服を着るようになった。ひと月もあれば、余裕だろう」


 すべては自分の掌の上だと言わんばかりの軒炎に、慧芽は苦虫を噛んだような顔をしてしまう。その表情が意にそぐわなかったのか、軒炎がさらに言葉を重ねて。


「梔家七才媛と呼ばれるそなたなら、できるな」


 むしろできて当然だと言わんばかりの言葉に、慧芽の肩に何か重たい物がどっしりとのしかかったような気がした。重さに耐えきれずに背が丸くなってしまいそうになる。


 けれど、慧芽はしゃんと背筋を伸ばして、膝を折り、腰を落とし、赤い紅を引いた唇を弓形にして。


「仰せのままに、主上」


 それが慧芽に下された勅命であり、慧芽にしかできないことであるというのならば。


 どんなに無茶だと思っても、やらざるを得ないのだから。


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