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龍妃の淑女教育係
龍妃の淑女教育係
采火
異世界恋愛和風・中華
2024年12月16日
公開日
3万字
連載中
 慧芽は古今東西の学を修めることで有名な一族・梔家の才媛の一人。そんな慧芽へある日、離宮に匿われた姫君を皇妃として相応しい淑女に仕立てるよう、勅命がくだされる。
 忽然と現れた皇帝の妃候補。慧芽は訝しげに思いながらも、姫君の世話役兼教育係になることを引き受けたけれど……。

「姫様! いい加減、お衣裳を着てください!」
「イーヤー! 動きにくいの! ヴェラはダンナサマに会うんだからジャマしないでよう!」

 皇帝の妃候補はまさかの竜!
 竜が人になれるなんて数多の書物を読んできた慧芽でさえ知らなかったけれど、どうやら「皇帝がつがい」である紫雲竜ヴェラは特別な竜らしい。

 その特別な竜を己の治世に組み込もうとする腹黒皇帝陛下の勅命の下、同じく勅命を受けた護衛武官・克宇と共に、人の常識すらままならない竜の少女ヴェラをあの手この手で躾ていく、慧芽のちょっと変わった教育生活が幕を開ける。

第1話 離宮の姫君

 慧芽けいめいがふと目を離した瞬間、視界の隅で領巾ひれがひらひらと滑り落ちていった。


 ハッとして視線を上げると、まるで雪の中に足跡を残していくように、上衣、帯、蔽膝へいしつ、裾が、無造作に脱ぎ捨てられていく。


 そして最後には、その道筋の先でかしゃんと繊細な金細工が床に落ちる音がして。


 嫌がる姫君にあの手この手でようやく衣裳を着せ終わったはずの慧芽は、満足気に弧を描いていた紅い唇を思い切り歪めた。わなわなと体が震え、赤く染めた強気な眦がきゅっとつり上がる。可憐な花鈿を施すその額には青筋まで浮かんだ。


 もう何度目か分からないやるせなさに、怒りもわいてくるというもの。


 慧芽は胸の内に籠る感情と自らの裾を上品にさばくと、脱ぎ捨てられた衣を追いかけ、衣装部屋から顔を突き出した。そしてその先にある居室で、壁を向いたまま微動だにしない青年に、ぴしゃりと言い放つ。


克宇こくう様! 護衛役が何をボサッとしているのです! 姫様を追いかけてください! 姫様の素肌を人目にさらすなどした日には、首が飛ぶのは私たちですよ!」

「あっ、ハイッ! 今すぐ連れ戻します!」

「回収したらこの上衣をかぶせるように! 決して素肌を見てはなりませんよ!」

「そんな無茶なぁ!」


 一寸先に壁を見ていた克宇が肩を跳ね上げた。


 ここ数日の慧芽の怒声の賜物か。姫君が素っ裸になると条件反射で壁を向くようになっていた護衛武官の克宇が、慌てて部屋を出ていこうとする。


 その克宇を引き留めて上衣を渡した慧芽は、もう一枚衣裳部屋から衣をひっつかむと、自らも克宇のあとを追うように逃げ出した姫君を追いかけた。


(せめてこの宮、いや、離宮の区画から出ていないと良いけれど)


 胸中でぼやきながらも、大きく頭を振る。案じたところであのじゃじゃ馬娘ならぬじゃじゃ竜娘は、本能に任せて生きているのだから無駄だろう。慧芽は大きくため息をついて気を引き締めた。


 慧芽に課せられた使命は、本能のままに生きるこの野生児を淑女――いずれは皇妃にふさわしい存在として、振る舞いを身につけさせること。


 それがまさか、衣服を着ることから教えないといけないなんて。


 目の前の餌に軽々と飛びついてしまった過去の自分を、慧芽は早くも後悔しそうだ。


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