日暮れ時間近、民家に明かりが灯り始める時刻が迫っていた。しかし、木々が生い茂る五十八番通りに並ぶ民家に、温かな明かりは一つとして灯っていない。
この一帯も避難が完了しているのだろう。
「サリー、怪しいものはないか?」
『なさそうよ。ここ一体に停まってる車両の識別番号も、問題ないわ』
「民家、一件ずつ
『そうね。それが……あら?』
「どうした?」
何かを見つけたらしい反応に問い返すと、モーリスは空を見上げた。そして、
何が引っ掛かるのかと確認をしてみても、特に気になるものはない。
『三時の方角。見覚えのない林があるわ』
「林? 地図では確認が出来ないな……よし、そこに向かおう」
真剣身を帯びたサリーの声に、そこだと直感が働く。
目標地点を定めたモーリスは
ややあって、たどり着いた小高い丘は
モニターグラスに映し出される地図を確認すると、そこは古い墓地が点在する丘と記されている。確かに墓地と共に木々も生えていることは、何ら不思議でない。しかし、こんもりとした木々で墓地はすっかり見えなくなっている。手入れがされていないにしては、違和感が残った。
『モーリス……ねぇ、甘い匂いがしない?』
イヤホンの向こうで声が震えていた。
眉をひそめたモーリスは、確かめるように鼻をすんっと鳴らす。そうして、サリーが声を震わせる意味にすぐ気がついた。
そよぐ風にのって届いた匂いは、赤の森と同じ
モーリスの脳裏に、サリーの苦しむ顔がよぎった。
「──降りて来い。紅火は上空で待機だ」
スクリーングラスの地図を詳細画面に切り替えながらそう告げれば、数拍の間をおいて了解と返事が届いた。
上空に視線を投げると、降下した紅火の背から飛び降りた影が視界に入った。
ばさりと
白雪の上に立ったモーリスの腕の中に飛び込んできたサリーの顔面は蒼白だ。堪らずその震える肩を抱きしめた。
「大丈夫か? 無理なら──」
「清良ちゃんのことを考えたら、無理って言えない」
「そうか……ターゲットの確認が取れるまでは、弾を温存したい」
サリーから手を離したモーリスは、腰の革ベルトに固定された鞘から、バタフライナイフにしては大きい
彼の接近戦用の愛刀──
磨かれた刃に浮かぶ波紋は炎がうねるようで、熱を感じさせる空気をまとっている。
「
「……そうね。敵の数も分かってないし、何より、塀の
「無駄撃ちって言うなよ」
苦笑いながら、一度、刃を収納したモーリスはサリーを前に座らせると、空を見上げた。
「完全に日が落ちる前に、目標確認したいとこだな」
「……塀の中に魔樹がいるのは変よ。この匂いを
首に巻き付けていたスカーフを口元まで引き上げたサリーは、前方に厳しい眼差しを向けた。
了解と頷いたモーリスは、白雪の背をそっと叩いて前進を促す。それに反応した白雪は僅かに首を巡らせ、二人の様子を伺った。
「魔樹の匂いを辿る。行くぞ」
静かに命じれば、白雪は喉の奥で低く唸り、地面を蹴って林に突入した。
日が差し込む林の中は、黄昏色に染まり赤く燃えているようだ。
この匂いに、どこまで耐えられるのか。
サリーを側に感じながら、モーリスはぞくりとした感覚に息を飲む。
今はそれどころではない。耐えろ、集中しろ。──自身に言い聞かせて奥歯を噛み締めた。
変わり映えのしない黒い影のような幹の間を進んでいくと、風もないのに木々が枝葉を揺らした。
「喰いちぎれ!」
刃から放たれた幾本もの赤い閃光が、しなる触手を切り裂き、残った太い一本に、白雪の鋭い牙が立てられた。