比企中佐は深く息を吸うと、内ポケットの中からピルケースを取り出した。蓋を開け、音を鳴らして手に落としたのはカラフルなラムネ菓子。それをぼりぼり食べながら、資料に目を通して唖然する面々を眺めていた。
顔を青ざめさせる者、ため息をこぼす者と反応は様々だったが、そのほとんどが緊張を
その中、窓辺で端末を確認していたモーリスは、肘でサリーの腕を小突いた。
「同時期にこれだけ発生するってのは聞いたことないな。しばらく、アサゴは手薄になるぞ」
声を
「現在、アサゴ周辺だけでなく遠方でも異変の報告が多発している。東部、北部からの要請も重なった。各地に精鋭を派遣し対処する」
教官室が一瞬ざわめく。しかし、比企中佐がピルケースを振ると、ざわめきは静まり返った。
「対象に赤の森も含まれるため、当面の実地訓練は中止となる。その代わり、アサゴ市街地、及び近郊の警邏実地訓練を前倒しする」
説明を聞きながら、モーリスはアサゴ内に残る軍人の数をざっと計算して息を飲んだ。
人数だけを考えれば旅団程度の数にはなるが、前線から離れて日が長い者もいれば、魔装の扱えない一介の軍人も多い。
後詰めになる隊のリストを見て、背中に冷たい汗が落ちるのを感じた。それはサリーも同じだったのだろう。彼も紅い唇をきつく結んで比企中佐に視線を送っていた。戦いになるのか、敵は何なのか、と。
教官の一人が、挙手をして疑問を投げ掛けた。
「比企中佐、これは市街戦を想定しての配置ですか?」
「当然、考慮されている」
その回答に、再び小さなざわめきが上がった。
「俺も二十年以上軍人やってるが、こんなことは初めてだ。
さらに説明が続く中、モーリスは口元を指でさすりながら考えを巡らせる。
まず多くの魔精石を使うことだ。基地に保管されているものには、当然だが限りがある。その消耗は民間で使われる照明や機器を動かす比ではない。備蓄状況によっては、アサゴの街中に使われるエネルギーを全て
さらに、発動すると多くの魔装使いが装置にかかりきりとなることになる。基地の人員が削減される今は、出来れば使いたくない手のはずだ。
事前に民間人を避難させるのに一介の兵卒、それを援護するのに候補生を使ったとしても、人手に不安要素が残る。それに、候補生が使っている魔装は訓練用のものだ。それで、どこまで戦えるのか──考え出せば不安要素が次々に首を
モーリスが低く唸ると、サリーは彼の脇腹を小突いた。
「シーバートが意図的に基地の人員を減らそうとしている可能性は?」
「ありうるな。狙いは何だと思う?」
「さぁ……手っ取り早く、慎士を摑まえて吐かせた方が良さそうね」
「魔物は来ると思うか?」
「来たとしても、
声を潜めて話していた二人は、そろってため息をつく。
比企中佐の説明が一度途切れた。そうして担当する候補生の説明に入ると、教官室に僅かなざわめきが起きた。どうやら、担当する候補生にだいぶ
モーリスとサリーはお互いの担当枠を見て顔をしかめた。それを見て、ジンが声をかける。
「なぁ、お前らも
「ジンもか」
「どういう事かしら。少将ちゃんもよ」
そう小声で話していると、痛いほどの視線が三人に向けられた。しかし、その視線は比企中佐のよく通る声で、彼に再び戻されることとなる。
「モーリス、サリー、それとジン! お前たちには、翁川中尉と共に
突然の指令に、三人は一瞬言葉を詰まらせた。
教官の中でもトップクラスの四名を出す。つまり、戦闘が高確率で発生すると仮定した上、その戦闘を四名のみで食い止めるという無茶苦茶な作戦ということか。
命を懸けろ。そういわれているも同じだ。
しかし、不可能ではない。
綾乃が「よろしくお願いします」と静かに告げると、声を揃えて了解の意思を告げた。
「次に、印のついている六分隊。お前達にはリストにある候補生にバディを組ませ、狙撃地点で待機を命じる。魔物の進行を阻害し、翁川中尉らの援護だ」
作戦の詳細がさらに告げられる。
静まりかえった教官室に淡々と響いた。あらかた説明が終わると、再度、ざわめきが大きくなる。
お互いの任務の確認をする者だけではない。不安を口にする者もいた。前線を離れて久しい者も少なくないことを考えれば、彼らの反応は致し方ないのかもしれない。
カシャカシャと音を立てたピルケースから、色とりどりのラムネが転げ落ち、比企中佐は口へと放り込む。ボリボリと音を響かせながらそれを噛み砕き、教官達が再び静まるのを待った。
ごくりと、ラムネが嚥下された。
「──繰り返すが、市街戦を想定している。候補生たちには訓練だと伝える。しかし、それは建前だ。お前たちは、実戦に突入することを念頭に置いて行動するように」
しんと静まる中、比企中佐は続けて号令をかけた。
「民間人の避難誘導、及び市街地訓練を定刻通りに開始する」