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4-14 心残りがない人生なんてあるのだろうか

 モーリスが愛用の銃を磨く姿を見ていたサリーは「ねぇ」と呼び止めた。

 手を止めたモーリスはサリーを見て、ふと甘い花の匂いを思い出した。こちらを見るその顔に、が重なる。

 まだ、森で嗅いだ匂いが嗅覚を麻痺させているのか。


 深く息を吐いたモーリスは、浮つきそうな内なる自身を押し込めた。その様子に、サリーは首を傾げて眉をひそめたが、特に問うことなく話しを続けた。


「ケイの様子はどうだったの?」

「……あぁ、あいつの班は順当にスコアを重ねていたな。だいぶ冷静になったようだ」

「良かった! あとは清良ちゃんが勇気を出して打ち明ければ、何かしら進展するわね」


 我がことのように喜んだサリーは、口元に笑みを浮かべながら立ち上がった。だが、シンクの前で立ち止まった彼は何を思ったのか、その縁を掴んだまま動きを止めた。そうして、何も話さなくなった。


 不自然な沈黙に、モーリスはサリーの様子を伺う。少し丸められた背中が震えてるように見えた。

 自分が基地を離れている間に何かあったのだろう。察したモーリスは、さてどうしたものかと思案する。サリーは素直に話をしてくれるのか。不安に思いながら黙っていると、赤い唇がため息をこぼし、静かに動いた。


「何が一番かなんて分からないけど、若い子が心残りのまま戦場に出るのは、良い気がしないわ」


 哀愁が漂う声音は、わずかだが震えている。

 すすで汚れた指先をぬぐったモーリスは彼の背後に立つと、抱き締めるようにして、彼の肩口に顔を寄せた。


「若いとか関係ないだろ」


 そっと両手を前に回し、腕の中にサリーを引き寄せる。逃さないように抱き締めて耳元で囁けば、強張っていたその肩から少しだけ力が抜けた。

 いつもの調子なら、肘が鳩尾みぞおちにめりこんでいただろう。だが、サリーは微動だにしなかった。


「前線に出たら、いつ死ぬか分からないんだ」

「そうね」

「……どうしたんだ? 今日はやけに素直だな」


 てっきり「あんたに心残りなんてないでしょ」とでも揶揄からかわれ、いつものように冷めた視線を向けられると思った。モーリスは、拍子抜けも良いところだとばかりに、サリーの顔を後ろから覗き込んだ。


 そこに、予想もしない弱りきった顔があった。

 長い睫毛まつげが小刻みに揺れ、その瞳が潤んでいる。


「昨日……教官になって初めて受け持った教え子の殉職を知らされたの」


 張りの失われた声が静かに告げた。


 ややあって、モーリスが低く嗚呼ああと頷く。

 サリーは声を震わせて「つらいわね」とこぼす。その声音があまりにもはかなげだった。

 堪らず肩を強く抱きしめた。

 そうでもしないと、海に浚われる砂浜の城のようにサリーが崩れるように思えた。

 押し寄せるさざ波のように、嫌な耳鳴りが響いていた。


「若い子を死地に送らなくていい時代は、来るのかな」

「どうだろうな。聖痕を持つ獣サケル・ベスティアを撃てれば、あるいは……まぁ、俺にはそんな力なんてないけどな」


 笑ってそう言えば、目を見開いたサリーは肩越しにモーリスを振り返った。

 悲しみの色はどこへやら。綺麗な瞳が驚きに見開かれ、その口が僅かに開いている。


「なんだよ、その顔」

「あんたのことだから、俺が撃つって言うかと思った」

「まさか。自分の力量が分からなきゃ、軍人は務まらないだろ。無駄死にするために武器を持つわけじゃない」


 柔らかなピンクブロンドの髪を撫でたモーリスは、目を細めて笑った。


「俺達は候補生あいつらに技術を教え、訓練の場を与え、生き抜くことを伝えるだけだ。どんなに情けない姿をさらしても、生き残ったもん勝ち。だろ?」


 その問いに、そうねと短く返したサリーはごそごそと身じろぎ、モーリスに向き直ると彼の背に両手を回した。その肩口に額を擦りつけ、柔らかなシャボンの香りを吸い込むと、甘える様にその胸に額を擦り付けた。


「ありがとう……ちょっとだけ、泣かせて」

「俺以外のヤツの為に流すってのはしゃくだけど、いくらでもどうぞ」

「……バカ」


 モーリスの体温を感じながら、サリーは声を殺して涙を流した。

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