どれくらい唇を合わせていただろうか。
唇を離したモーリスが見下ろしたサリーは、今にも不愉快だと言い出しそうに睨みつけていた。だが、その顔は耳まで赤く染まっている。
「なぁ、俺にしとけ」
それは何年も、何度も繰り返してきた告白。
「あんたみたいな女たらし、お断りよ」
「俺はいつだってお前一筋だろうが」
「嘘つき! 絶対、お断り!」
ふんっとそっぽを向くサリーの髪に指を差し込み撫でれば、そのかさついた唇が尖って不満を表した。
「愛翔、素直になれよ」
「その名前で呼ばないで!」
「俺が呼ばないで、誰が呼ぶんだよ」
涙の跡を指でこすると、血色の良くなった頬が膨らむ。
「化粧したお綺麗なサリーじゃなくても、泣き崩れるまで抱き潰す自信あるけど?」
「そんな言葉、信じないわよ! あんたいつも可愛い彼女つれてるじゃない」
「そんなことはない。今はフリーだ」
どうして伝わらないのかと疑問に思いながら、そのすね顔を見る。うっすらと無精ひげが出てるのさえ可愛いと思っているあたり、この恋心は重症なんだろう。
そんなことを考えていると可笑しさが込みあげ、モーリスは小さく噴き出した。
「ぶっさいくな泣き顔だな」
「ほんっと、失礼」
モーリスの胸を押して体を起こしたサリーは彼を一睨みする。だが、
どうしたのかと優しく尋ねれば、サリーの両手はモーリスの固い背中に回された。
胸元で、柔らかなピンクブロンドの髪が揺れる。
「明日から、ちゃんと歩けるから。ちゃんと、サリーになるから」
「愛翔のままで良いぞ」
「いや。サリーに戻る」
ぐりぐりと頭が胸に押し付けられ、モーリスはやれやれとばかりにその髪を撫でる。
胸元がしっとりと濡れていく熱を感じながら乱れた髪をほぐし、ふと窓に視線を向けた。
薄暗さが増した空は、今にも泣き出しそうな曇天だ。せめて青空なら少しは気が晴れるものの。
モーリスは震えるサリーの背中を撫でながら、あと何度、こうして涙に付き合うのだろうかと、ぼんやり考えていた。
空気を読まない空から、ぽつんっと雫が落ちてきた。瞬く間に、窓が濡れていった。
「あー……少尉ちゃんに何て報告するかな」
にわかに、雨と一緒に降ってきた現実問題が脳裏をかすめた。
彼女は今も心配して小さな胸を痛めているだろう。どうすれば、安心させられるのか。サリーを見ながら考えたモーリスは妙案を思いつき、にんまりと口元を緩めた。
「とりあえず、俺と付き合うことにしとこうか」
「──は?」
サリーの声音が一段低くなった。
「いや、少将ちゃんへの報告な。恋人たる俺が慰めておいたから大丈夫だよ、みたいに軽く言えば、安心するかと思って」
「絶対無理!」
「なんで。俺もフリーだし、支障はないだろ」
「だから! そう簡単にハイ次ってのはなしって言ったでしょ!?」
「じゃぁ、時間が空けば良いってことだな。一週間か? 十日?」
「そうじゃなくって!」
顔を上げたサリーの目から涙が引いていた。悪びれる様子のないモーリスの顔を見て、まるで酸欠状態の金魚のように口をぱくつかせている。
「一ヵ月か? 十年以上、好きだって言い続けてるんだ、そのくらい待つよ」
「あー、もう! あんたって本当に……」
真っ赤な顔をして、言葉を失ったサリーは、再び頭突きをするようにモーリスの胸に額を額を押し付けた。それを受け止め、モーリスは窓の外を見る。
冷たい雨が静かな音をたて、色付いた葉を濡らしていた。
「……俺にしておけば良いのに」
小さな呟きはサリーに届いたのか。彼はぴくりと肩を震わせたが、モーリスの胸に寄り添ったまま何も答えなかった。