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2-7 そんなお前だから好きなんだ

 ふと、モーリスの冷静な部分が上官である綾乃を思い出す。

 ドア越しにガサガサの男の声を聞かされた彼女の心中はいかばかりだっただろう。さらに、この状況をどう報告しろと言うのか。


 蓋を開ければただの大人の情事の問題。それを報告するのは、ケイの問題以上に厄介だと思い、モーリスは盛大なため息をつきかけた。ふと、ケイのことを思い出した。


 アサゴは結婚ラッシュかと疑問が浮かんだが、それをさえぎるように甘柿を齧る音がカリッと響いた。さらには鼻をすする音までもが、モーリスの思考を邪魔し始める。

 横を見れば、涙と鼻水で汚れたサリーがティッシュの箱に手を伸ばしていた。


「ね、誰を連れてきたと思う?」

「さぁな。誰だっていいよ」


 その婚約者とやらが付き合っていた男なのか、サリーの片思いかは些細なことだ。軍人なのか非戦闘員なのか、多少の興味はあったが、それを知ったとして何かが変わるわけでもない。それよりも何かもっと、重要なことを見逃しているような気がして、モーリスはじっとサリーを見つめた。


 その視線に気づいたのか、サリーは居心地悪そうに身じろぐと尖らせた唇からため息をこぼした。


「二股されてたことに気づかないなんて、バカだと思う?」

「付き合ってたのかよ」

「……あたしは、本気だったんだから。本気で好きだから」


 ティッシュで何度も涙をぬぐい、鼻をかみ、大きく息を吸う。


「ちゃんと笑顔でおめでとうって言ったんだよ」


 偉いでしょ。頑張ったでしょ。そうガサガサの声が訴えた。

 泣くその姿に、幼かったころの姿が重なり、モーリスは考えようとしていたことを綺麗さっぱり頭から消し去った。代わりに思い出すのは、今まで見てきたサリーの泣き顔ばかりだ。


「昔っから、お前は泣き虫だよな」


 サリーの頭に手を伸ばしたモーリスは、腕の中に静かに抱き寄せた。まるで宝物を抱えるように、そっと優しく。


「人形が壊された、髪飾りを川に投げられたってよく泣いてさ」

「……急に何言いだすの」

「お前が泣くたびに、相手ボコりに行ったら、なんで喧嘩するんだって、また泣いて怒ってよ」

「だって、あんた怪我ばっかりして……」

「今回だってそうだ。お前泣かした男、ボコりに行ったら怒るだろ?」

「当たり前でしょ! 非戦闘員にケガさせたら減給どころじゃ済まないわよ。バカ!」

「お前こそバカだろ。少しは自分を労われよ」


 頭を撫でると、サリーは顔を赤らめてモーリスを睨みつけた。

 そうか相手は非戦闘員か。仕立て屋の娘ならそれなりに財力もあるいいとこの坊ちゃんなのだろう。そんなことを推測しながら、勝ち目のない恋をしていたサリーにモーリスは呆れた。

 性別云々の前に、いつ命を落とすか分からない軍人が、恋愛結婚できるほど世間は優しくない。


 膝を抱えたサリーは「好きだから迷惑かけたくない」と消えそうな声をこぼす。


「筋金入りのバカだよ、お前は」


 裏切られたことを泣いて恨み言の一つでも言えばいい。言う権利くらいある。しかし、サリーは明日になったら何事もなかった顔をして笑うのだろう。

 本心は未練たらたらだと言うのに、大人であろうとしている姿を想像し、モーリスはいたたまれなくなる。


 俺だったら、それも全部受け止めるのに。そう思いながら、実情は何もしてやれないことに歯痒さを感じていた。それと同じくらい、彼にここまで愛される男に嫉妬心をくすぶらせている。


「その女の前で腰砕けるくらいのキス、見せつけとけばよかったんだよ」

「冗談じゃないわよ。セイラちゃん、良い子なんだから。本当に、祝福、してるんだから」


 泣き腫らした顔で言われても説得力がない。しかし、その矛盾だらけの言葉が全て本心だということも、モーリスは十分に理解していた。


「……お前、厄介な生き方してるよな」


 これが佐里愛翔という男の生き方であり、魅力でもあり、この長い腐れ縁をモーリスが切れない一つの理由でもあった。

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