縮こまるサリーの姿は、いつもの堂々としたボンテージ姿から想像がつかないほど弱々しい。
柿が盛られた皿と水を注いだコップをベッド横のテーブルに置き、モーリスが床にどっかり座り込む。しばらくして、サリーは毛布からもぞもぞと顔を出した。
「とりあえず水分を取れ。むくみと涙で酷い顔だぞ」
「……モーリスっていつもそうよね。デリカシーがなさすぎ」
唇を尖らせて不満そうな様子のサリーだったが、体を起こして掴んだコップの水を秒で空にした。
口紅が残る濡れた唇からこぼれたのは盛大なため息だった。
十数秒の沈黙の後、モーリスをちらりと見るサリーは、まるで話を振って頂戴と言わんばかりの上目遣いだ。それに気づきいたモーリスはテーブルに肘をつくと、望み通りに「何があったんだ?」と尋ねた。
ややあって、かすれた声が事情を語り始めた。
「セイラちゃんが結婚するの」
「あー、お前が懇意にしてる仕立て屋の娘だったか?」
「うん……あたしは、セイラちゃんの弟くんを助けたことがきっかけで、ご家族とも付き合いがあるんだけど」
「ん? まさか、その弟に手を出して訴えられたとか?」
さらにそれが結婚相手に知られて破談になり、嘆いたうら若き娘が命をなげたのか、賠償問題に発展したのか。そう無理くり事件にしようとすると、腫れぼったい目がぎろりとモーリスを睨みつけた。
泣き腫らしていても、十分に圧がある視線だ。
「冗談だって」
「あたしは、男なら誰でも良い訳じゃないの。それくらい分かるでしょ!?」
「へいへい」
「そもそも弟くんはまだ初等教育を受けるようなお子様よ。守備範囲外だわ」
「……少しは元気、出てきたじゃねぇかよ」
ガサガサの声で「お水お替り」といったサリーがコップをずいっと押し出す。それに大人しく従い、コップに水を注ぎなおして渡したモーリスは、そのままベッドに腰を下ろしてサリーの傍に寄った。
コップを掴んだ指先のマニキュアが一部欠けているのが眼に入り、モーリスはついっと床に視線を向けた。
まるで散った花弁のように、赤いつけ爪がポツンとあった。その辺りは、瓶が散乱していた場所だ。瓶を投げた時にでもはがれたのだろうか。
サリーが荒れていただろう様子を想像し、モーリスは小さくため息をこぼした。
「で、昨日何があったんだ?」
「……婚約者を連れて挨拶に来てくれたの」
「めでたい話じゃないか。一緒に夜通し祝い酒でも……て訳じゃなさそうだが」
言いながら、モーリスは散らかっていた酒瓶の量を思い出す。
宿舎に一般人は入れない。つまりあの量を飲んだのはサリーただ一人なのだ。
アサゴの教官連中はどちらかと言えば男所帯で酒飲みが多い。何かしら口実をつけて酒盛りをすることもしばしばだ。その筆頭はサリーではあるが、荒れるような酒飲みに誰かを付き合わせたりしたことはない。モーリスでさえ、彼が楽しくない酒を飲んでいるのを見たことはなかった。
「外で二人と祝い酒は飲んだわ。セイラちゃんは妹みたいなものだし」
「祝ってやりたい気持ちに嘘はない、と」
「そうよ。そうなんだけど……」
再びサリーは涙声になる。
「……まさかとは思うが、その婚約者ってのが」
付き合ったことのある男だったんじゃ。そう言いかけたモーリスは言葉をつまらせ、己の勘のよさを呪った。いや、勘が冴えなくても気付いただろう。
サリーの頬を枯れない涙が伝い落ちる。
その涙に弱いんだよなと思いながら、モーリスは視線をついっと反らし、髪をかき乱しながら床を睨んだ。
泣きたいなら俺を呼べばいいのに。俺に八つ当たりすれば良いだろう。そう思いつつ、モーリスは包帯が巻かれる腕に視線を向けた。この怪我のせいで、未だ禁酒生活を強いられている。酒に付き合えなど言えないだろう。
「飲まないと忘れられないくらい、そいつが好きなのか?」
嫉妬心を悟られまいとして、モーリスは平静を装いながらサリーを振り返った。そこには、涙を手の甲で必死に拭う姿があった。