サリーは心配しているのだろう。
気持ちは嬉しいが、どうして喧嘩腰なのか。喜びと不満に、どっち付かずな笑顔となったモーリスはスープカップに口をつけた。
サリーの頬が少し赤くなり「変な誤解しないでよ！」と声を荒げた。それが逆に、モーリスの幸福度をあげてしまったのだろう。
「素直に、心配してるって言えば良いんだぞ、愛翔」
「えぇ、えぇ、心配してますとも！ あたしの仕事がこれ以上増えないことをね！」
「ほんっと、お前は照れ屋だな」
「だから、人の話、聞いてる！？」
「なぁ、ところで」
悪びれた様子もなく、モーリスはファイルを指さした。
「そのファイルは何だ？」
「……あぁ、これは暇なあんたに、少将ちゃんからのお願い事よ」
深いため息をつきながら、サリーはファイルを手渡すと、部屋に備え付けられているミニキッチンに立った。
「カップ、借りるわよ」
「あぁ……なぁ、これ、候補生のファイルだよな？」
「そう。あんたの担当のよ」
ケトルを火にかけ、インスタントコーヒーの瓶へと手を伸ばしながら答えたサリーは、並んでいるカップを二つ下ろした。
ファイルが
「追加調査が必要なのか？」
「まず、その付箋のところを確認して」
手が止まったのは付箋の貼られた箇所。そこにあったのは今期の候補生の中で一番若いケイ・シャーリーの身辺調査書だった。
十五で魔装具使いの適正試験に合格。訓練校時代、射的のスコアは歴代五位記録を打ち出し、十八で候補生として推薦されて今に至る。その昇級の速さは
サンドイッチに手を伸ばしたモーリスは、少し首を傾げた。
「ケイに限って、再調査が必要なトラブルは起きないと思うが……」
成績優秀なことを鼻にかけるようなタイプでもなければ、周りが見えないスタンドプレイをするような愚か者でもない。上にも下にも気に入られるお手本のような出来た青年。それが彼の印象だった。
改めて見返した身辺調査書にも、特に不審なところもなかった。
「俺が寝てる間に何かあったのか？」
モーリスが一度ファイルを閉ざすと同時に、テーブルにカップが静かに置かれた。
インスタント珈琲の湯気が薄い香りを立ち昇らせる。
「あんたの怪我、彼を
「あー、まぁ、そんなとこだけど……いくら適性試験の成績が良くても、現場でへたっちまう奴がいるのは、よくある話だ。しかも初めての
今後の訓練と経験則で補えば良いことで、彼を手放そうかって話であれば時期尚早だろう。そう反論しようとしたモーリスは、向かいに座ったサリーの「そうじゃないの」という言葉に首を傾げた。
「別に、彼を責めてるわけじゃないの。あんたの怪我は自己責任。候補生を守るのは教官の使命だからね」
「じゃぁ、どうしろって言うんだ？」
「あんたに怪我を負わせたことに、責任を感じているみたいなの。それがここ数日の射的スコアに出てるのよ」
「そんなに酷いのか？」
「ええ、残念なことにね。それで、ちょっと行って相談に乗ってきてほしいってわけ。暇でしょ？」
「暇だが……俺はそういうの得意じゃないぞ」
「候補生の精神衛生を守るのも、教官の役目よ」
外室許可をもらってきてあげたからと、笑顔で一枚の紙をちらつかせたサリーはほくそ笑んだ。
「……精神衛生のケアは医務官の仕事だろうが」
「医務官にばかり頼ってたら、現場では使い物にならないわよ。立ち直れる精神を鍛えるのも、あたし達の務め」
「ならお前がいけよ」
「あたしは忙しいの。どこかのクズのおかげで業務は倍増。そもそも、これは少将ちゃんの
モーリスは深々とため息をつく。
遅かれ早かれ分隊長になるであろう候補生たちには、逃げ道が用意されていない。彼らの任務は、城壁に囲まれた町の
サリーの言うように、訓練中のミスでいつまでも立ち止まってしまうような精神では、この先が思いやられるわけだ。
「……サリー、お前、初めて戦場に出た時どうだった？」
「覚えてないわ」
「そうか……まぁ、俺たちが出た時は新たな上位互換種が現れて、生きるのに精一杯だったからな」
青々としたブロッコリーにフォークをさし、モーリスは思案する。
現場に出れば何かに迷っているほど暇ではない。しかし、ケイが数か月前まで送っていた日常は基礎訓練や町の警邏、救助だっただろう。そのことを考えれば、初の魔精石回収は最前線の恐怖を
「……まったく温いな」
「あたしたちの時とは多少状況も違うから仕方ないのよ」
「そうだが……」
小さく唸ったモーリスは納得したわけではなかった。しかし、寝ているだけよりは有意義な時間を過ごせそうだと妥協することにした。
「ケイの適正能力を捨てるのはもったいないからな」
「じゃぁ、お願いするわよ」
仕方ないと頷くモーリスに満足したのか、カップのコーヒーを飲み干したサリーは満面の笑みを見せた。
