薄暗い視界に浮かんだのは、心配そうに眉をしかめるサリーの綺麗な顔だった。
幼いサリーの姿はどこにもない。
「……夢……?」
「モーリス、聞こえてる?」
「……
「サリーだっていってるでしょ。ほら、水枕作ってきたから。ちゃんと横になりなさいな」
目を開けたモーリスにほっとしたのか、サリーは口角を少し上げて笑う。
「なんだ、よ。夜這いなら、もうちっと色気ある誘い方が……」
「あんたはそんな高熱出しても、バカなこと言えるのね」
「悪いな、バカで」
「ほんとバカ……不本意だけど、今夜は看病してあげるから」
サリーの意外な台詞に言葉を失ったモーリスは、ぼやける視界の中で彼の動きをただ追った。
額、顔、首筋と汗ばんだ肌が
力の入らない武骨な指を伸ばし、サリーの手に触れた。タオルをすすいだ指は冷えていて心地よく、モーリスは無意識に指を絡める。
離したくない。側にいて欲しい。
指先の熱さから思いが伝わったのだろうか。サリーは目を細めて息をついた。
「ほら、寝なさい。ここにいるから」
「……ありがとう、愛翔」
ひやりとするサリーの指先に安堵したのか、うっすらと開いていた
サリーは呆れる様に「サリーだって言ってるのに」とため息交じりに呟き、熱を持つモーリスの頬に触れる。そこには金糸のような髪がぺったりと貼りついていた。
絞りなおしたタオルで頬を拭い、肩で息をする辛そうな様子を見つめる。その瞳には後悔の色が揺らいでいた。
「……迎えに行くの遅れて、ごめん」
すでに意識を手放している彼に、その言葉が届いていないことは百も承知であったが、サリーはごめんと繰り返した。
◇◇◇
発熱と意識混濁から幾日が過ぎた。
カーテンの隙間から差し込む陽射しが顔に降りかかり、眩しさでモーリスは目を覚ました。気怠さは残っていたものの、いい加減寝ているのも飽きていた彼は体を起こし、ベッドの横にあるサイドテーブルの上を見た。
時計の針はすでに、いつもの起床時間を過ぎている。
すぐさま洗面所に向かうと汗にまみれたシャツを脱ぎ捨て、べたつく頭のてっ辺から熱いシャワーをかけた。そこではたと気付く。
「ああ……外出許可、出てなかったな」
シャワーの栓を閉め、腕の傷痕に指を沿わせた。
しっかりと縫合されたそこはだいぶ調子が良さそうに見えた。昨夜、回診に訪れた黒須も、もう数日もすれば基礎トレーニングの許可も下ろせると言っていた。
しかし、すっかり寝るのに飽きてしまったモーリスは、暇であることに限界を感じていた。
足は無事なのだから、せめてランニングくらいいだろうに。──熱にうなされた事など綺麗さっぱりシャワーと共に流してしまったのか。モーリスは大きなため息をついた。
傷痕に軟膏を湿布して手早く包帯を巻き終え、下着姿のままで部屋に戻ると、その片隅にあるトレーニング器具が目に入った。
濡れたままの髪を雑にタオルでがしがしと拭きながらそれを見る。
片手
「入るわよ。そろそろ暇してると思って──何してんのよ!?」
朝食が載った朝食とファイルを持って入ってきたサリーが、金切り声を上げた。
「何って、暇だから片手懸垂」
「バカモーリス! まだ基礎トレーニングの許可、下りてないでしょう!」
「右腕は怪我してないんだから良いだろう」
「落ちてぶつけるかもしれないでしょ! 傷が開いたらどうするの」
簡素なテーブルに、ばんっとファイルが叩きつけられた。
そんなヘマはしない。と出かかった反論を飲み込んだモーリスはしぶしぶと降りると、椅子に腰を下ろした。
ぱたぱたと、髪から水が滴り、簡素なテーブルを濡らした。それを目ざとく見たサリーが、ほらと言って指をさす。
「髪も乾かさないで! そんな恰好でバカやって風邪ひいても、あたしは知らないからね」
「俺が悪うございました」
「反省してないでしょ」
バンバンっとファイルでテーブルを叩いたサリーは、モーリスが湯気を立てたカップに手を伸ばすと深いため息をついた。