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1-6 情けない姿を見せたくない男心

 魔精石ませいせきを受け渡した後、宿舎に戻ったモーリスは自室に入ると血にまみれたコートを脱ぎ捨てた。無残に袖が引きちぎられたシャツをゴミ箱に、汚れた服をランドリーボックスへと投げ入れ、洗いざらしのシャツに手を通す。


 やけに冷たく感じる床をひたひたと進み、小さな冷蔵庫の前にかがむとそれを開けた。としたそこに並ぶ酒の瓶を眺め、ため息をついこぼす。


 日頃の食事は軍の食堂ですます。自炊はほとんどしないため、そこに並ぶものが寂しいのは致し方ないだろう。それにしても、見事に酒とミネラルウォーターしかない。


「……しばらく酒はお預けか」


 仕方ないと己に言い聞かせたモーリスは、横に置かれたミネラルウォーターのボトルを掴み取り、無造作に冷蔵庫の扉を閉めた。

 処方された抗生剤と鎮痛剤を冷えた水と一緒に胃へ流し込む。空になったボトルを投げ捨て、簡素なベッドに腰を下ろした。


 麻酔が切れたのだろう。熱を持った腕がじくじくと痛み始めていた。


「しくったなぁ……」


 無様な姿をさらしてしまった。

 後悔の念を抱き、体をベッドへ横たえたモーリスの視界に無機質な天井が写る。そこにある室内灯の明かりがあまりにも眩しく感じられた。


 手探りでベッドヘッドにあるリモコンを掴み操作すれば、室内は一気に暗闇となった。

 安堵あんどの息をついて瞳を閉ざしたモーリスは、装甲飛竜アルマ・ドラゴンの上で見たサリーを脳裏に浮かべていた。


 洗浄と回復の魔法でモーリスに応急処置をほどこした彼の顔は真剣そのものだった。心配するような素振りもなければ、いつものように突っかかっることもなかった。

 あの時、何を考えていたのだろうか。改めて考えてみても、さっぱりわからない。居たたまれない空気を感じ、ふざけて声をかけるどころか笑いかけることすらはばかられた。こんなことは、初めてだった


 候補生の状況を聞くことで、その場の嫌な空気を払拭しようとしたモーリスだったが、果たしてその選択は正解だったのか。


「むしろののしられた方が気が楽だ……」


 吐き出す息が熱くなるのを感じながら、モーリスは薄れ始めた意識を繋ぎ止めた。

 このまま動けなくなるのは実に情けない。小さな意地が込み上げてくる。


 いくらかばったとは言え、派手にやりすぎたと後悔するも、時すでに遅し。もう少しやりようもあったかもしれないと考えれば、気が滅入りそうになる。

 混濁しそうになる意識の中、思い浮かぶのはサリーの顔だった。


「……泣きそうだったな」


 手当てをするサリーの顔は、泣くのを堪えているようにも見え、モーリスは記憶にある幼い姿を重ねずにはいられなかった。



『バカモーリス! 喧嘩なんてするから怪我するんだよ!』


 ぼろぼろのぬいぐるみを胸に抱き、大粒の涙を流して何度も「バカモーリス」と罵る姿に胸が苦しくなった。


 止まらない涙を拭いたくて、じくじくと痛む腕を持ち上げるも、その指は届かない。すぐ目の前にいる筈なのに、その姿はとても遠い。

 いくら指を伸ばしても小さなサリーの涙を拭うことが出来ない。歯がゆさに、揺らぐ意識の中でモーリスは「泣くなよ」と低くこぼした。


 現実と夢の境界線があやふやなまま、息苦しさにもがくように再び手を伸ばす。

 あと少し、あと少し。そう繰り返していると、聞き覚えのある声が耳に届いてきた。


「──リス、モーリス?」


 いつになく優しい声に、モーリスはこれが夢だと察した。

 届いてくるこの声も、記憶から再生されたものだろう。そう思いながら、モーリスは気怠さと熱さに喘ぎながら重たいまぶたを押し上げた。

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