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雨降る夜に誓う。俺が守る!③

 壁にかけられたレインコートから、ぽたぽたと雨水が滴り落ちた。

 振り返ると、俯いたシェリーの肩をライサが支えているのが目に映った。二人の足元は雨水で濡れて、素足のままの白い指先を泥が汚していた。

 モーリスはそこから視線を逸らし、精一杯いつものように笑顔を顔に浮かべた。


「あー、母さん、落ち着いたら連絡くれよな」

「分かってるわよ。愛翔君、うちのバカ息子、存分にこき使ってね!」

「はーい! おばさんも、無理しないでね。行ってらっしゃい」

「おい、こき使うってなんだよ!」

「仲良くしようってことでしょ? ほら、上がってよ」


 騒ぎながら愛翔に手を引かれて家に上がった。

 そのまま数歩、廊下を進むと、背後で小さな嗚咽が響いた。どうしても気になったモーリスは足を止め、ちらりと振り返ると、シェリーが必死に声を堪えてライサに縋りつく姿を盗み見た。


(何が起きているんだ……?)


 父と母の慌ただしい招集だけでも、不安は大きかった。それに加えて、幼馴染の母が見せる動揺を見たのだ。不安になるなと言う方が、到底無理な話だろう。

 不安に息苦しさを覚えたその時、モーリスは自分の手を強く握りしめた愛翔の横顔を振り返った。

 そこにあったのは、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳。

 いつもなら、愛くるしく「どうしたの?」と小首を傾げたり、揶揄って「寂しいの?」と笑いかけてくるつぶららな瞳ではなかった。

 モーリスの手から力が抜け、無意識に握っていた手を放していた。

 白い指が、するりと離れていく。

 前を歩く愛翔はリビングに入りって数歩進むと、すとんとその場にしゃがみ込んだ。そして、まるで糸の切れた操り人形のように、微動だにしなくなった。


「……何があったんだよ、愛翔」


 彼の目の前に腰を下ろし、その愛らしい顔を覗き込む。その綺麗な鳶色とびいろの瞳には、あふれんばかりの涙が浮かんでいた。

 先ほどの陽気な会話は、空元気だったのだろうか。無理に笑っていたのか。

 モーリスの不安がさらに膨れ上がった。

 白い指がぎこちなく動き、戸惑い気味にモーリスの両腕を掴んだ。そして、すがるように小さな頭が胸に押し付けられ、か細い声が「おにいちゃんが」と言う。

 ドクンっとモーリスの鼓動が大きく跳ねた。


「シン叔父さん?」


 背筋を伝ったのは髪を濡らした雨水だろうか。聞き直しながら、嫌なものを感じていたモーリスは息を飲んだ。

 脳裏に浮かんだのは、目を細めて笑う男。愛翔が『おにいちゃん』と呼んで懐いているが、母シェリーの実弟だ。歳の離れた姉弟ということもあり、愛翔だけでなくモーリスから見ても、彼はオジサンと呼ぶには若かった。

 その叔父は軍人となり、今年の春から海沿いのイサゴ基地に赴任となったことを、モーリスも知っていた。


「イサゴで、何かあったのかよ」

「……わから、ない……分からないよ」

「なんだよ、それ」

「……だって、だって」


 そう言って、ポケットから小さな情報端末を引っ張り出した愛翔は、動画を画面に映し出した。

 暗い画面には何も映っていない。だが、そこにゼイゼイと荒い息遣いが入り込んでいた。誰かがいることだけが伝わるその異様さに、モーリスは背中が冷えていくのを感じた。


『マナ……冬休みの約束、守れそうに、ない。すまないな……姉さんを、頼むぞ』


 モーリスも聞き覚えのある声は、途切れとぎれに響いてきた。しばらくして「またな」と言葉を残し、動画は終わった。

 真っ暗な画面を見つめていたモーリスはぎこちなく顔を上げる。そこには、涙をこぼす愛翔がいた。

 手から端末が落ち、ごとりと音を立てた。

 言葉が出ず、滑り落ちた端末を拾い上げることも忘れて、モーリスは震える愛翔を見つめた。


「……おにいちゃん……生きてる、よね?」


 その問いに、頷くことは出来なかった。

 息をすることを忘れたように、モーリスは愛翔を凝視するだけだ。ぼろぼろと零れる涙を止めることが出来ず、気休めの言葉すら思いつかない。

 頭を中を埋め尽くすのは、最悪の結末ばかりだった。


「生きてるって、言ってよ……」


 必死に訴える愛翔の小さな手が胸を叩く。

 モーリスは、それを受け止めることしか出来ず、やっと動いた手で小さな肩を抱きしめた。嗚咽おえつを堪える背中を撫でて、胸の内で嗚呼ああと呟く。


(そうか。父さんは、イサゴに向かったのか……)


 平穏な首都で生活をしていて、自分達がどこにいるのか忘れていたことに気づく。

 ここは魔物の巣窟そうくつの森を多く抱える大地オズオービル。人間が栄華を誇っていたのは遥か昔のこと。最前線では、いつ凶悪な獣が牙をむき襲い来るか分からない危機に晒された新世界だ。


 強くなければ、大切なものは守れない。戦えなければ、大切な人を残してくことになる。

 この夜、モーリスはよわい十にして、そのことに気づいた。


「──俺が、守る」

「モーリス?」

「俺が、お前も、お前の母さんも守る。だから……泣くな!」


 上げられた愛らしい泣き顔を、モーリスは脳裏に焼き付けた。そして、誓った。

 大切な人が泣かないように、笑って過ごせるために、武器を手に取ろう。必ず軍人になる──と。

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