最初は、綺麗な人だと思った。
「ほい」
「えっ」
「やるよ、コレ」
コロンと手の上に転がり落ちる黄色い宝石に、俺は目を見開いた。
「部活、頑張ってな」
そう言って笑う彼はひどく美しくて、真っすぐで――俺は初めて恋に恋に落ちた気がした。
「なあ、隣の佐藤さん可愛くね?」
「わかる」
「俺は高木さん派だなー。やっぱおっぱいある方がいいっしょ!」
「うわ、お前サイテー」
「はあー? んじゃお前は嫌いなのかよ。おっぱいだぞ、おっぱい」
(……馬鹿馬鹿しい)
隣の席を陣取ってする会話じゃないだろうに。
ちらりと視線を向ければ、何が面白いのかはしゃいでいる同級生たちの姿。正直、彼等の言っていることはわからなくもないが、だからと言ってそこまで話題にするほどではないと思う。
(俺にはきっと、恋愛なんて一生縁がないんだろうな)
人を好きになるとか、人に興味を持つとか。そもそもそういう感覚がわからないのだ。ただ人並みに誰かの迷惑にならず、人並みに会話して生きていければいい。――ずっと、そう思っていた。それなのに。
「……綺麗な人だったな」
彼は、そんな俺のひねくれた価値観を全て壊して、強引に中に入り込んできた。でも不快じゃない。温かくて、どこか優しい気持ちになる。
(こんなの、初めてだ)
人混みに紛れて行く彼の背中を見送る。見えなくなっても脳裏に焼き付いた笑顔が、何度も自分の頭の中を反芻する。願わくばあの笑顔をもう一度見てみたいと願ってしまうほどには――。
「それって恋じゃん」
「!」
ふと、背後に居た女子の声にハッとする。自分に言われたわけではないのに、明瞭に明確に、その言葉が自分の心の中に落ちて行く。
(恋……? これが……?)
自覚すれば、なんてことはない。ドクドクと脈打つ心音が、いつもより早い。まるで全速力でトラックを何周もした時のようだ。
「俺……あの人が好きなんだ」
一目惚れ、なんて遠い存在だと思っていた。けど、実際に自分がなったんだから、きっとこれは一目惚れで間違いないのだろう。
(世界が、キラキラしてる)
みんな、こんなに綺麗な世界を見ていたのか。それなら騒ぐ理由もわかる。
「……名前」
名前、知らない。聞けなかった。俺はあの人が行ってしまった方へと視線を向ける。今から追いかけたところで、今の自分が追いつくとは思えない。
(聞いておけばよかったな)
視線を落とし、手のひらの宝石を見つめる。知ってか知らずか、渡されたのは『れもん』味の飴だった。
「……かわいい」
小さなキューブ型の飴は、まるで彼の笑顔のようにキラキラと輝いている。
(……誰かに聞けば、わかるだろうか)
同い年くらいだった。学校も休みだし、もしかしたら友達の応援に来ていたのかもしれない。あとで聞いてみよう。それでもし、知り合いがいたらその時は。
(もう一度、会いたい)
俺は、手元に残された宝石を、祈るように大事に両手で包み込んだ。――嗚呼、顔が熱い。
その後、〝彼〟を知るのに、そう時間はかからなかった。
一つ上の先輩でテニス部に入っていた彼は、数日前に引退が決定してしまい、今は受験勉強に励んでいるらしい。名前は――。
(青井春、先輩……)
明るくて、友人も多い彼は、いつだって誰かと一緒に居た。どれだけ俺が見つめても、彼は気づかないし、知らない。最初はもう一度見られたことに安心していたけれど、俺は所詮その他大勢であるのだと気づいてしまってからは、それだけじゃ足りなくなってしまった。
(先輩、今日は何してるんだろう)
(先輩が好きな音楽って何だろう)
(先輩、高校どこ行くのかな)
気が付けば頭の中は先輩の事ばかりで、俺にも止めようがない。走り出した感情はひとりでにどんどん膨らみ、やがては取り返しのつかないくらいに大きく育っていた。
「っ、せん、ぱい……っ」
――それに気づいたのは、自分の欲を先輩で発散してしまった時だった。
あの時は罪悪感でしばらく先輩を見られなかったけれど、それも徐々に収まって来て――。
「卒業おめでとう!!」
けれど、立ち直った時にはもう、遅かった。
屈託なく笑う彼は証書の入った黒い筒を握っており、卒業生の付ける花を胸元に付けている。
(えっ)
卒業式……もう? 先輩と出会ったのは夏前で、それなのに、もう卒業って……。
(――早すぎる)
自分の心の奥がざわつく。気持ちが悪い。明日からは先輩のいない世界で生きて行くのかと思うと、それだけで視界が真っ暗になってしまう。
(どうして、もっと早く気が付かなかったんだろ)
自分たち学生には、三年という期限があって、それが終わってしまえばただの他人に戻ってしまうというのに。どうしてもっと早く行動しなかったんだろう。どうして話しかけなかったのだろう。どうしてどうしてどうして――――。
「っ、先輩……」
――そうだ。先輩と同じ高校に行こう。そうしたらあと三年は延長できる。そうすれば二年は先輩の隣に居ることが出来る。
(次はちゃんと、最初から意識してもらわないと)
時間は有限。そのことを身をもって知った今の俺には、〝見ているだけでいい〟なんて思考は一切浮かんでこなかった。幸い、先輩の行く高校はスポーツ推薦を取っている。頭は悪いけど、陸上で採用してもらえば問題ない。俺は死に物狂いで部活に励んだ。〝彼〟のいない世界はやっぱりつまらなかったけれど、この先にいるのだと思うと毎日頑張ることが出来た。
追いかけて、追いかけて。無事推薦をもらった時は迷わずに受けた。先輩に会う為なら苦しい部活も厳しい指導も、全部耐えられると思ったから。
そして迎えた入学式で、俺は真っ先に先輩の姿を探した。中学での部活の先輩は一人もいなかったから、探すのに一か月もかかってしまったけれど、無事見つけることが出来た。
(先輩だ)
生まれつき色素の薄い髪が風に靡く。真っすぐに見つめて来る大きな瞳は、あの時から変わらない。
触れたい。話したい。一緒に居たい。
(好きだ)
好き。好き。好きです、先輩。俺、ここまで来ました。先輩。先輩。
「好きです、先輩。俺と付き合ってください」
――早く、俺を見つけて。