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第5話  ~甘利side~

最初は、綺麗な人だと思った。


「ほい」

「えっ」

「やるよ、コレ」

コロンと手の上に転がり落ちる黄色い宝石に、俺は目を見開いた。

「部活、頑張ってな」

そう言って笑う彼はひどく美しくて、真っすぐで――俺は初めて恋に恋に落ちた気がした。


「なあ、隣の佐藤さん可愛くね?」

「わかる」

「俺は高木さん派だなー。やっぱおっぱいある方がいいっしょ!」

「うわ、お前サイテー」

「はあー? んじゃお前は嫌いなのかよ。おっぱいだぞ、おっぱい」

(……馬鹿馬鹿しい)

隣の席を陣取ってする会話じゃないだろうに。

ちらりと視線を向ければ、何が面白いのかはしゃいでいる同級生たちの姿。正直、彼等の言っていることはわからなくもないが、だからと言ってそこまで話題にするほどではないと思う。

(俺にはきっと、恋愛なんて一生縁がないんだろうな)

人を好きになるとか、人に興味を持つとか。そもそもそういう感覚がわからないのだ。ただ人並みに誰かの迷惑にならず、人並みに会話して生きていければいい。――ずっと、そう思っていた。それなのに。

「……綺麗な人だったな」

彼は、そんな俺のひねくれた価値観を全て壊して、強引に中に入り込んできた。でも不快じゃない。温かくて、どこか優しい気持ちになる。

(こんなの、初めてだ)

人混みに紛れて行く彼の背中を見送る。見えなくなっても脳裏に焼き付いた笑顔が、何度も自分の頭の中を反芻する。願わくばあの笑顔をもう一度見てみたいと願ってしまうほどには――。

「それって恋じゃん」

「!」

ふと、背後に居た女子の声にハッとする。自分に言われたわけではないのに、明瞭に明確に、その言葉が自分の心の中に落ちて行く。

(恋……? これが……?)

自覚すれば、なんてことはない。ドクドクと脈打つ心音が、いつもより早い。まるで全速力でトラックを何周もした時のようだ。


「俺……あの人が好きなんだ」


一目惚れ、なんて遠い存在だと思っていた。けど、実際に自分がなったんだから、きっとこれは一目惚れで間違いないのだろう。

(世界が、キラキラしてる)

みんな、こんなに綺麗な世界を見ていたのか。それなら騒ぐ理由もわかる。

「……名前」

名前、知らない。聞けなかった。俺はあの人が行ってしまった方へと視線を向ける。今から追いかけたところで、今の自分が追いつくとは思えない。

(聞いておけばよかったな)

視線を落とし、手のひらの宝石を見つめる。知ってか知らずか、渡されたのは『れもん』味の飴だった。

「……かわいい」

小さなキューブ型の飴は、まるで彼の笑顔のようにキラキラと輝いている。

(……誰かに聞けば、わかるだろうか)

同い年くらいだった。学校も休みだし、もしかしたら友達の応援に来ていたのかもしれない。あとで聞いてみよう。それでもし、知り合いがいたらその時は。

(もう一度、会いたい)

俺は、手元に残された宝石を、祈るように大事に両手で包み込んだ。――嗚呼、顔が熱い。


その後、〝彼〟を知るのに、そう時間はかからなかった。

一つ上の先輩でテニス部に入っていた彼は、数日前に引退が決定してしまい、今は受験勉強に励んでいるらしい。名前は――。

(青井春、先輩……)

明るくて、友人も多い彼は、いつだって誰かと一緒に居た。どれだけ俺が見つめても、彼は気づかないし、知らない。最初はもう一度見られたことに安心していたけれど、俺は所詮その他大勢であるのだと気づいてしまってからは、それだけじゃ足りなくなってしまった。

(先輩、今日は何してるんだろう)

(先輩が好きな音楽って何だろう)

(先輩、高校どこ行くのかな)

気が付けば頭の中は先輩の事ばかりで、俺にも止めようがない。走り出した感情はひとりでにどんどん膨らみ、やがては取り返しのつかないくらいに大きく育っていた。

「っ、せん、ぱい……っ」

――それに気づいたのは、自分の欲を先輩で発散してしまった時だった。


あの時は罪悪感でしばらく先輩を見られなかったけれど、それも徐々に収まって来て――。

「卒業おめでとう!!」

けれど、立ち直った時にはもう、遅かった。

屈託なく笑う彼は証書の入った黒い筒を握っており、卒業生の付ける花を胸元に付けている。

(えっ)

卒業式……もう? 先輩と出会ったのは夏前で、それなのに、もう卒業って……。

(――早すぎる)

自分の心の奥がざわつく。気持ちが悪い。明日からは先輩のいない世界で生きて行くのかと思うと、それだけで視界が真っ暗になってしまう。

(どうして、もっと早く気が付かなかったんだろ)

自分たち学生には、三年という期限があって、それが終わってしまえばただの他人に戻ってしまうというのに。どうしてもっと早く行動しなかったんだろう。どうして話しかけなかったのだろう。どうしてどうしてどうして――――。

「っ、先輩……」


――そうだ。先輩と同じ高校に行こう。そうしたらあと三年は延長できる。そうすれば二年は先輩の隣に居ることが出来る。

(次はちゃんと、最初から意識してもらわないと)

時間は有限。そのことを身をもって知った今の俺には、〝見ているだけでいい〟なんて思考は一切浮かんでこなかった。幸い、先輩の行く高校はスポーツ推薦を取っている。頭は悪いけど、陸上で採用してもらえば問題ない。俺は死に物狂いで部活に励んだ。〝彼〟のいない世界はやっぱりつまらなかったけれど、この先にいるのだと思うと毎日頑張ることが出来た。

追いかけて、追いかけて。無事推薦をもらった時は迷わずに受けた。先輩に会う為なら苦しい部活も厳しい指導も、全部耐えられると思ったから。

そして迎えた入学式で、俺は真っ先に先輩の姿を探した。中学での部活の先輩は一人もいなかったから、探すのに一か月もかかってしまったけれど、無事見つけることが出来た。

(先輩だ)

生まれつき色素の薄い髪が風に靡く。真っすぐに見つめて来る大きな瞳は、あの時から変わらない。

触れたい。話したい。一緒に居たい。

(好きだ)

好き。好き。好きです、先輩。俺、ここまで来ました。先輩。先輩。


「好きです、先輩。俺と付き合ってください」


――早く、俺を見つけて。


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