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第4話

「春先輩っ」

放課後。約束通りに待ち合わせ場所で待っていれば、甘利がバタバタと走り寄ってくる。その姿に「おー。お疲れ」と手を上げる。

「すみません、お待たせてしまって」

「いや。別にそんなに待ってねーし、気にすんな」

ひらりと手を振れば、その手を掴まれる。

(は?)

「よくないです」

「おい、甘利?」

「変な人に声かけられませんでしたか? 知らない人に触られたりしませんでした?」

「お前が一番変なやつだし、触ってんのもお前だな」

「そうですか、よかったです」

「いや、何もよくねーけど」

ぎゅうっと手を握られる。こいつは俺のことを幼女か何かと勘違いしてんのか?

(つーかここ、学校の敷地内なんだけど)

万一いたとしても、とっくに教師陣に捕まっているだろう。知らんけど。

パッと甘利の手から自分の手を救出する。「あっ」と甘利が残念そうな声を上げるが、無視だ無視。

「んじゃいくぞー」

「は、はいっ」

ハッとした甘利が、パタパタと追いかけてくる。まずはその辺を歩きながら、被写体になりそうな物を探すとしよう。幸い、昼に晴れてからずっと晴れ模様が続いている。

(天気予報もこの後は晴れだって言ってるし、折り畳み傘も持ってるから急に降ってきても大丈夫だろ)

俺は早速近くの公園に向かった。ついてくる甘利は相変わらずの笑顔だった。


「春先輩、見てください。小さな花がたくさん咲いてます」

「おー。そうだな」

「あ、あっちに蛙いますよ。鯉もいる。あれは、鴨ですかね?」

「んー、たぶん?」

「あ、猫いました。追いかけますか?」

「おー……って!」

「ちょっと待って!」と声を上げる。猫に釣られてどこかに行きそうになる甘利の首根っこを掴んで、俺はひくりと頬を引き攣らせた。

(何だこいつ……!)

――自由人すぎないか!?

きょとんとする甘利が「どうしたんですか、先輩?」と首を傾げる。どうしたもこうしたもあるか。

公園に来た瞬間、花壇に行ったと思えば中心にある湖に興味を示し、かと思えば草むらにいる猫を追いかけようとする。

(これじゃあ写真を撮る暇もねーじゃんっ!)

「お前、ちょっとは大人しくだな……!」

「春先輩」

「今度は何だよ!」

「鳩と猫に囲まれてしまいました」

「は?」

甘利の言葉に、俺は視線を足元に向ける。そこにはいつの間にか集まった鳩と猫が互いに威嚇をしている。

(喧嘩勃発数秒前じゃねーか!)

右には鳩の集団。左には猫の集団。互いに譲れないものがあるのか、今もなお戦闘体制だ。

「っ、甘利! 逃げるぞ!」

「えっ」

巻き込まれたらたまったものじゃない。俺は甘利の腕を掴むと、走り出した。背後でゴングが響く。


「はぁっ、はぁ……!」

(ここまで来れば、大丈夫だろ、っ!)

さっきいた場所からほぼ真反対の場所まで逃げてきた俺たちは、足を止める。はあ、と息を切らして膝に手を置けば、後ろを走っていた甘利が「大丈夫ですか?」と顔を覗きこんでくる。相変わらず余裕そうだ。

「っ、息一つ切れてねーのムカつく」

「えっ。あ、それは……」

「まあいいや。とりあえず一枚は面白いもん撮れたし、残り二枚だな」

「早く行くぞ」と告げれば、甘利が頷く。

それからもあっちこっちに興味を示す甘利を引っ張ったり、時には放置して、写真を撮っていく。甘利の言う通り、外に出て良かったかもしれない。どんどん溜まっていく写真を見つめながら、そう思う。――それに。

(甘利がいろんなものに興味を示すから、いつもは撮らないものまで撮ってる気がする)

日常的に見ている、何でもないものが写真として映っている様は、存外悪いものじゃない。最初はどんなものを撮ろうか、季節柄梅雨にしたほうがいいいのかと悩んでいたが、今は限定しなくてよかったと思う。

「春先輩」

「ん?」

何度目かもわからない、甘利の呼びかけに振り返る。

「見てください、わんちゃんです」

「……」

ハッ、ハッと息をする犬に、俺の目は遠くを見つめる。……ここ数時間で気づいたが、甘利という男はどうやら動物に好かれやすい体質らしい。初めて見る柴犬は首輪をしているらしいが、リードの先はどこにも繋がっていない。

「なあ、そいつ迷子なんじゃね?」

「えっ」

甘利が柴犬を見る。柴犬も甘利を見る。……犬通しが顔を合わせているようで、つい笑いそうになってしまう。

笑いを堪えていれば、甘利が俺を見上げる。神妙そうな顔をする彼を見ていれば「先輩」と呼びかけられる。

「あ?」

「こいつ、迷子みたいです」

「ぶはっ!」

神妙な顔で何をいうのかと思えば。

(だからそう言ってるのに……!)

柴犬も今飼い主がいないことに気がついたと言わんばかりの顔をしている。その顔が甘利の顔とそっくりで、余計に笑いが止まらなくなってしまう。

とりあえず迷子のままは可哀想だということで、柴犬の飼い主を探すことになった。

「つっても、飼い主なんてどうやって見つけりゃいいんだ?

「たぶんですけど、いきなりいなくなったなら向こうも探してるんじゃないでしょうか」

「あー、それもそうか」

甘利の言葉に応えながら、リード先の柴犬を見つめる。一応飼い主の匂いを辿るように指示を出してはいるものの、本当に探しているのかはわからない。

(写真を撮りにきただけなのに、まさかこんなことになるとは……)

まあ、退屈はしないけど、落ち着いて撮れないのは少し不安になる。はあ、とため息を吐き出して空を見上げる。いつの間にか夕陽は傾いていた。

程なくして、飼い主は無事見つかった。甘利の言う通り、向こうも探しいていたようで、公園を一周まわる頃には落ち合うことができた。お礼をしたいと言う飼い主に「それじゃあ、わんちゃんの写真を撮らせてください」と告げれば、快く了承してくれた。飼い主にお礼を言って、俺は甘利にそろそろ帰ろうと告げる。笑顔で頷く甘利は、やはり犬っぽい。

「それにしても可愛かったですね。先輩も撫でさせてもらえばよかったのに」

「いや。俺猫派だし」

「えっ」

ガン、とショックを受けたような顔をする甘利に、俺は首を傾げる。そんなにショックか?

「まあ、お前は同族って感じで、向こうも安心してたんじゃね?」

「同族……犬っぽいってことですか?」

「ああ。まあ、猫よりは犬じゃね?」

整った顔立ちをしていながら、中身は思った以上に人懐っこい。うん、やっぱり犬だな。なんて思っていれば、甘利の足が止まっていることに気がつく。振り返れば、甘利は何故か真面目な顔で俺を見つめていた。

(え? 何、俺なんか言っちゃいけないこと言った?)

「……先輩、犬と猫って一緒に飼えましたっけ?」

「は? え、まあ、飼えると思う、けど」

「じゃあ、大丈夫ですね」

ふわりと微笑む甘利。(何なんだ?)と視線を向ければ、甘利は嬉しそうに笑みを浮かべながら「俺の将来設計が危うく崩れるところでした」と言い出す。瞬間、甘利の言いたいことが理解できた。

「お前っ、一緒には住まねーからな!?」

「えっ!」

「当たり前だろ!?」

何がどうしてそんなことになったのか。そもそも付き合ってすらいないのに、ただの先輩後輩が一緒に住むわけがない。万一、誰かとルームシェアをするにしても、その時は甘利以外の人間にするつもりだ。主に俺の心の安寧のために。

ショックに膝から崩れ落ちる甘利に「濡れるぞー」と声を掛けつつ、俺は足早に帰路を進んでいく。後ろを追いかけてくるはずの甘利が中々来ないことに不思議に思って振り返れば、四つん這いになっている甘利の周りを子供達が囲っていた。

「なっ!?」

(何してんだ、あいつ!?)

きゃっきゃと子供たちが甘利の背中に乗ってはしゃいでいる。甘利は苦笑いをしながらそれに応えている。

(あいつ、動物じゃなくて子供にも好かれんのかよ!?)

流石に予想外すぎる。慌てて甘利の方へ駆け寄れば、同時に四方から子供達のお母さんやお父さんが駆け寄ってきた。「すみません、うちの子が!」と謝る彼女たちに、甘利は「いえ、お気になさらず」と笑顔で対応している。その様子を見つつ、俺は頭を抱えた。

「……もうお前を一人にするのやめるわ」

「えっ、それってプロポーズ……」

「違うから」

飛びかかってきそうな甘利の頭をぐっと押さえつけながら、今日何度目かのため息を吐き出す。ただ写真を撮るために来ただけなのに、すげー疲れた。

(帰ったらすぐ寝よ)

そう思っていれば、ふと地面に描かれた落書きが目に入る。先ほどの子供達の誰かが描いて行ったのだろう。「かわいい」と笑ってカメラを構えれば、甘利が突然石を持って地面に何かを描きはじめた。何してるんだ、と視線を向ければ、見えたものに俺は目が点になる。

「……何だそれ?」

「猫です」

「ね、ねこ……?」

位置の低い三角の耳に、破綻した顔。何故か左右でひげの数が違うし、体は大きな楕円から四つの棒を生やした省エネ設計だ。尻尾は何故か途中で一回転している。これ豚の尻尾だろ、どう見ても。

(……どっちかっていえば、UMAじゃね?)

反応が悪かったことが気に食わなかったのか、甘利が最後に吹き出しを付けて『ニャー』と書く。歪な猫の登場に、俺はとうとう吹き出してしまった。

「ぶふっ、!」

「ちょっ、先輩汚いですっ」

ギョッとして逃げる甘利。失礼だなと言ってやりたいのに、堪えきれない笑いがそうさせてくれない。

(絵下手にもほどがあるだろ)

ふふふ、と込み上げる笑い声を押し殺し、俺は震える手でシャッターを切る。奇妙な宇宙人(猫)を描いている甘利がぽかんとした顔をしており、それが絵の顔と似ているものだからとうとう本格的に吹き出してしまった。

「あはははっ! おまっ、へたすぎだろっ、! はははっ、うぇっ、ごほっ、ごほっ! っ、ひぃー!」

「むっ。結構難しいんですよ、猫って」

「ひひひっ、! そ、そうだな、難しいなっ、うあはははっ!」

「……先輩の笑い方やば」

うるさい。誰のせいだと思ってんだ。

喉の奥が痙攣し、腹の奥が上下する。だんだん腹が痛くなってきて、俺はその場にズルズルと座り込んだ。より近くなった宇宙人(猫)の存在にまた笑いが込み上げて来る。必死に笑いを抑えて持ち直そうとするものの、拗ねた甘利が『ひどいニャー』と書き加えるものだから俺の努力は無駄に終わってしまった。

「ひーっ! やばっ、腹いてぇ、っ、ふふっ」

「……」

「あー、笑い過ぎて涙出てきたっ」

ひーひーと声を上げて笑っていれば、目尻に浮かぶ涙。それを拭おうと手を上げて――その手が掴まれる。

「っ、は」

「春先輩」

すっと差し込む影に目を見開く。触れる唇の感触に、俺は止まらなかった笑いが一気に引っ込んだ。


(――は?)


とん、と尻が地面に付く。離れた甘利が小さく笑みを浮かべて「濡れちゃいますよ」と呟いた。ぽろっと溢れる涙を甘利の指先が掬う。

「そろそろ帰りましょうか」

そういう甘利は、まるでおとぎ話に出て来る王子様のようで――俺は息が止まるのを感じた。


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