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第3話

甘利と一緒に飯を食うようになって、一ヶ月が過ぎた。

季節は梅雨。梅雨前線が例年よりも長く停滞しているようで、今日も今日とて雨が降り注いでいる。


――カシャ。

「うーん……」

「どうしたんですか、春先輩」

スマートフォンを外に向けながら唸っていた俺は、甘利の言葉に振り返った。

「いや、今度部活で写真を三枚提出しなきゃいけねーんだけど、どういうのがいいかまだ決まってなくて」

「じゃあ俺を撮ってください」

「それは却下」

「なんでですか!」

わっと叫び、抱きついてこようとする甘利を押し退け、俺はカメラロールを見る。


――発端は先週の放課後の部活。

俺の入っている写真部はほとんどが幽霊部員で、いつも集まるのは二人か三人程度だった。しかし昨日は珍しく部員が全員集まったのだ。課題をしたり、最近ハマっているアニメや漫画の話をしたりと部員たちが適当に過ごしていれば、顧問の先生がやってきた。そして部員が揃っていることに感動した顧問は涙目になり、「よし! 課題を出そう!」と言い出したのだ。

もちろん何人かが反発したものの、勢いに乗った先生は止まらず「それじゃあ、来週の木曜日までに写真を一人三枚提出してね! いい写真を待ってるよ!」と言い逃げして行ったのだ。そして今日は提出予定の週の火曜日。そろそろ撮らないとと思ってこうしてカメラを向けているわけだが。

(雨続きでなんも撮れねー)

バシャバシャと降り続ける雨に、眉を寄せる。そもそも課題なんて今まで出したことねーのに、なんでこのタイミングなんだか。

「はー、課題とか面倒過ぎてやる気でねー」

「? でも先輩、コンクールにはいつも写真出してるじゃないですか。それも結構こまめに」

「……なんでお前が知ってんだよ」

「春先輩が撮った写真ですもん。全部見てますので」

怖っ。

やっぱりこいつ、ストーカーなんじゃね、と思いつつ、甘利を見る。……にこりと笑みを浮かべているのが恐ろしい。すすす、と静かに距離を取れば、純粋な目をした甘利が首を傾げた。……なんでそんな純粋な目が出来るのか、俺はお前に問いかけたい。

「やりにくいテーマなんですか?」

「あ? あー、いや。今回はテーマ無し」

「? なし? なんでもいいってことですか?」

「そ。撮って出せってだけ」

だから困ってるんだ、と呟く。そもそも、活動が少なくてバイトができるからってこの部活を選んだのだ。――つまるところ、撮りたいものなんかない。でも、適当なものを出すのは……なんだか申し訳ない気がして。

(まあ、それで詰まってるわけなんだけど)

ス、と写真をスライドして一枚ずつ見比べていく。甘利が手元を覗き込んできたので、見やすいように少しだけスマホを傾けてやった。

「うーん……?」

「な。イマイチだろ?」

首を傾げる甘利に、俺は呟く。反応が薄いということは、それだけ印象も薄い写真だということだ。

ここ一週間、ずっと雨続きで、どれも同じような写真に見えてしまうのだ。風景を撮る俺としては、もっとパッとしたものを撮りたいんだけど、それが中々叶わない。

(こういう時、カメラが違ければ見える景色が違うんだろうなぁ)

別に今後もカメラを続けたいと思っているわけではないし、心底カメラが欲しいわけでもないけど。こういう時ばかりはないものねだりをしてしまう。俺の悪い癖だ。

「しゃーね。数うちゃ当たるってことで、もうちょっとだけ撮――」

「先輩っ!」

「うおっ!?」

ガタンッと激しい音が響き、甘利が立ち上がる。

突然なんだと振り返れば、フンと鼻を鳴らし、どこか自信満々な顔をしている甘利が目に入る。……何となく嫌な予感が過ったのは気のせいじゃないだろう。

「な、なんだよ、急に」

「俺に手伝わせてください!」

「はあ?」

「写真、良いのが撮れるまで俺が付き合います!」

(ほらやっぱな!)

突然何を言い出すのかと思えば、予想の斜め上をいくのが甘利だ。

「いや、別にいらねーけど」

「ガーン」

ガーン、って。口で言うやつ初めて見たぞ。

ショックで真っ白になる甘利がへなへなと崩れ落ちる。……多少罪悪感が湧いてこないでもないが、それでもいらないものはいらない。

「な、なんでですか……」

「なんでって。お前に手伝ってもらうほど、真面目にやってるわけじゃねーし」

「うう……春先輩との、デートが……」

「デート? あっ!」

(そういうことか!)

こいつ、手伝うとか言っておきながら、それを狙っていたのか!

「おっ、ま……! 油断も隙もねえな!」

「好きはありますよ。春先輩にだけですけど」

「そっちのすきじゃねーよ!」

ぽかっと甘利の頭を軽く叩く。全く、この後輩はすぐにそっち方面に持って行こうとする。大きくため息を吐けば、机に突っ伏した甘利の大きな目がこちらに向けられる。涙目になって潤んでいるように見えるのは、きっと気のせいだ。そうに違いない。

「でも、一緒に出かけたらもしかしたらいいの撮れるかもしれませんよ?」

「うっ」

「今日なら俺も部活休みですし、放課後、どうですか?」

くん、と制服の袖を掴まれる。その姿がクゥンと甘える犬のようで、言葉に詰まってしまう。

(こ、いつ……!)

わざとやってんだろ、その顔……! じゃなかったらもはやテロだ。これだから顔のいいやつは。

「っ……お前は撮らねーからな」

「!」

「あと、デートじゃねえから」

そう告げれば甘利は満面の笑みをこぼす。

「それでいいです。俺が春先輩ともっと一緒にいたいだけなので」

「っ、お前、ほんと素直だな」

「先輩のことで意地張っても意味ないですから」

ふふ、と笑う甘利。心底嬉しそうなのがわかって、それが余計に恥ずかしくなる。

(くそ、なんかいいように転がされてる気分……っ)

もちろん、甘利にはそんな気持ちはないんだろうけど。あったらとんでもない策士だ。

「それに撮るのは俺じゃなくていいです。空でも猫でも木でも建物でも草でも石でも、先輩ならきっと素敵に撮るだろうから」

ふわりと笑みを浮かべる甘利に、俺は言葉に詰まる。

(そんな、ことねーし)

顔が熱い。照れているのが自分でもわかる。

「っ、い、石は、流石にねーだろ……」

「? 前に撮ってたじゃないですか。去年の冬ごろに」

「……俺はお前がこえーよ」

はあ、とため息を吐きながら言えば、「えっ!?」と声をあげる甘利。何をそんな驚くことがあるのか。むしろ覚えている方がおかしいだろ。

じとっと甘利を見つめれば、さっと視線が逸らされる。口元を抑え、俯く甘利。予想外の反応に大丈夫かと声をかけようとして、俺はやめた。

「春先輩が俺を見てる……可愛い……」

「通報していいか?」

あと俺は男だ。可愛くない。

悶える甘利を横目に、俺はペットボトルの茶を飲む。そろそろ昼休みが終わる。俺は立ち上がってスマホを見た。

「時間はHRが終わったらでいいよな。待ち合わせ場所は校門……いや、やっぱ昇降口でいいか?」

校門にしようと言いかけて、ふとあの日のことを思い出した。忘れたいという程ではないが忌々しくも恥ずかしい記憶に引っ張られそうで、咄嗟に場所を変える。甘利は気づいているのかいないのか、「はい!」と意気揚々と頷く。……この顔は、気づいてないな?

(まあ、別にいいけど)

「んじゃ、そういうことで」と甘利に背を向ければ、なぜか腹が締め付けられる。腰に感じる温かい体温に、ぞっとする。

「うううう……春先輩とデートに行けるなんて、俺、幸せ過ぎて……!」

「離せばかっ! デートじゃねーし、抱きついてくんな!」

「それでもいいです。俺が勝手に思ってるだけなので。はあ……春先輩いい匂いする……」

「ヒィッ! わ、わかった! わかったから離せ馬鹿っ!」

ぎゅううううっと抱きしめられ、すんすんと服を嗅がれる。その行為に全身に鳥肌が立った。

(こいつッ、まじで一発ぶん殴っていいか!?)

腕が内臓を圧し潰す。さっき食べたばかりのパンが口から出てしまいそうだ。甘利の奇行も最近は落ち着いて来たし、俺も慣れてきたから大丈夫だろうと思っていたのに。

「離せ!」

「嫌です。もう少し……」

「あと三秒で離れなかったらお前のこと本気で嫌いになるぞ」

そう告げた瞬間、解放される腹。

バッと手を引いた甘利は、両手を降参するように掲げている。チラリと向けられる視線は、どこか拗ねているようにも泣きそうになっているようにも見えて。

「離しました……ので、その……嫌いになるのは、勘弁してください」

「ぷはッ」

渋々と言わんばかりの顔で言う甘利に、俺はつい吹き出してしまった。

(こいつ、素直過ぎっ)

本当に俺に嫌われるのが嫌なのだろう。クククッと笑いを堪えていれば、甘利の不安そうな顔が俺を見上げる。不安そうな目がちょっとだけ可愛くて、俺は甘利の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

「わっ」

「言うこと聞けてえらいなーお前は」

「ちょっ、何するんですかっ」

「んー? 後輩可愛がってるだけ」

わしゃわしゃと黒い癖っ毛を撫でていれば、チャイムの音が響く。パッと手を離せば、乱れた髪の下でむすっとする甘利が見えた。

(こいつ、こんなんでも見栄えいいのかよ)

「……ずるいです、先輩」

「は? 何が?」

「いえ、なんでも」と呟く甘利。何の話かはわからないが、もたもたしていたら本礼が鳴ってしまう。ゴミをまとめて、手に取る。甘利と一緒に足早に教室棟へと向かえば、一年と二年で別れる階段が見えてくる。

「んじゃ、午後も頑張れよ」

「はい。先輩も」

甘利の声に「さんきゅ」と返して上に上がる階段へ足を踏み出す。短い階段の中腹辺りで「春先輩!」と呼ばれる声がする。振り返れば、階段を下っているはずの甘利がまだそこに立っていた。何してんだと言いかけて、先に甘利の声が響く。差し込む陽が甘利を照らしていた。いつの間にか雨は止んでいたらしい。

「春先輩」

「なんだよ、お前も早くしねーと遅刻――」

「明日のデート、楽しみにしてますね」

そう言って笑う甘利は、軽く手を振ると階段を下って行って。俺はその場にズルっと崩れ落ちた。バクバクと鳴る心臓が、うるさい。

(な、なんだよ、今の……っ)

不覚にも、一瞬撮りたいと思ってしまった。


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