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第2話

甘利を引き連れてやって来たのは、文化部の部屋が並ぶ第二棟の一角だった。

「ほら、入れよ」

「ありがとうございます」

扉を開け、甘利を中に招き入れる。甘利は珍しそうに周囲を見渡しており、中の備品に興味津々に視線を向けていた。まるで初めて人の家に来た犬のような反応だと思ったのは、秘密にしておこう。

教室の真ん中には、八つの机を繋げて向かい合わせになっている席がある。会議室の机のようだが、これは単にゲームがやりやすいようにと後輩たちがくっ付けたまま、放置されているだけだ。

「適当に座って」と声をかけながら座れば、甘利は流れるように俺の隣の席に座った。あまりにも自然だったから、びっくりする間もなかった。

「先輩、ここって?」

「写真部の活動場所兼、部室。俺、写真部だから」

「写真部……」

「悪かったな、こんなところで。人のいないいい場所ってここくらいしか思いつかなかったんだよ」

嫌なら出てっていいぞと告げれば、甘利はブンブンと必死に首を振る。その様子につい吹き出してしまった。

(そんなに必死にならなくても追い出したりしねーよ)

教室に来られるより、よっぽど気が楽だ。俺は袋を机に置いて、中から食べかけのおにぎりを取り出した。「早く食わねーと時間なくなるぞー」と告げれば、甘利は慌てて持ってきた鞄を漁り出した。出てきた弁当箱にぎょっとする。

(でっか!?)

重箱!? しかも二段とか……!

(だから鞄だったのか!)

最初見た時は『どうして鞄ごと?』と思っていたが、まさかこんな弁当を持ってきていたとは。確かにこれじゃあ包みだけで持ち歩くより鞄ごとの方が楽かもしれない。

「お前、めっちゃ食うじゃん……」

「めっちゃ食べる俺は嫌いですか?」

「いや、好きも嫌いもないけどさ」

甘利が慣れたように包みを開ければ、大きな弁当箱の上から更におにぎりが三つ出てきた。中に埋まっているはずのおかずが飛び出している。

(卵焼きにウインナーに、唐揚げ……)

色とりどりだな。

驚く俺をよそに、開けられる弁当。中には鶏肉やブロッコリーを中心に、沢山のおかずが詰め込まれていた。

(め、めちゃくちゃバランス良いな!?)

素人が見てもわかる。これは弁当を作った人はとんでもない上級者だ。母親なのか父親なのかはわからないが、この量を作るなんてすごい。しかも美味そう。

(そういえば昨日、コンビニに行った時に弁当を見て「小さいんですね」と言ってたけど)

あれってそういう意味だったのか。

どちらかと言えば、甘利の方が変なのだが、わざわざそれを言う気にはなれなかった。それほどまでに、目の前の弁当は凄い輝きを放っている。

「春先輩? どうかしましたか?」

「え、あ、いや。何でもない」

「?」

首を傾げる甘利。俺は垂れそうになる涎を拭きつつ、視線を逸らした。……ていうか、弁当であれなら普段どれだけ食ってるんだ、コイツ。

箸を取り出し、行儀よく手を合わせた甘利は「いただきます」と告げ、箸を動かし始める。綺麗な所作をしているのに、吸い込んでいくスピードが尋常じゃない。

(すげーな)

大食い選手権見てるみたいだ。

じろじろ見るのも悪いかと、俺も静かに飯を再開する。甘利のを見た後だと、おにぎりがすごく小さく見えるが、俺はあんなには食えないのでこれくらいでちょうどいい。ぱきりと海苔を割って食んでいれば、じっと見つめて来る甘利の目に気付いた。

「なーに見てんだよ」

「はっ! す、すみません。なんかつい……吸い込まれるみたいに目が行ってしまって」

「は?」

(何言ってんだ、こいつ)

顔を赤らめながらよくわからないことを口にする甘利。少し考えてみたが、理解は出来そうになかった。

「なあ、それってどういう」

「な、何でもないです! 気にしないでください!」

「は?」

叫ぶようにそう言った甘利は、勢いよく弁当を掻き込み始めた。そんなに慌てて食わなくてもいいのに。リスのように頬を膨らませる甘利が面白くて、「喉詰まらせるぞー」と揶揄えば「っ、子供じゃないんですから大丈夫です」と赤い顔で返された。

(可愛いなー)

後輩ってこんな感じなんだろうか。

俺は食べ終わったおにぎりのゴミを袋に収め、パックにストローを突き刺す。今日はすっきりとした緑茶だ。口の中に和の香りを感じながらぼうっと甘利の事を見ていれば、「先輩?」と首を傾げられた。

「んあ? なに?」

「あ、いえ。何か食べたいものでもあるのかと思って」

「? 別にねーけど」

「えっ」

えってなんだ、えって。

変な奴だな、と首を傾げれば、「だって」と甘利が呟く。

「すごい見て来るので、そうなのかなって」

「んや。別に。ぼうっとしてただけ」

「そ、そうですか……」

しょぼん、とする甘利に、俺は脳内でやらかしたと呟いた。まさかそんなことでショックを受けるとは考えもしていなかった。ぽりぽりと頬を掻きながら、甘利の弁当を見つめる。手の付けられていないもう一つの箱の中には、まだまだおかずが残っている。

「あー、まあ、美味そうだとは思うけど」

「! 食べます?」

「いや、そこまでは」

首を振りかけている最中に、甘利が「こっちまだ食べてないので、好きなの食べていいですよ」と弁当を差し出してくる。その顔が心底嬉しそうで、俺はついつい言葉を詰まらせてしまった。

(でもおにぎりもう一つあるし、別にいつもはそれで足りてるしなぁ)

「唐揚げ、家で揚げているので美味しいですよ」

「え、マジ?」

「マジです」

(それは卑怯だ)

俺は「うぐぐぐ……」と唸り声を上げてしまう。葛藤に葛藤を重ねていれば、甘利は「実は先輩にも食べてもらいたくて多めに持って来たんです」と笑う。その言葉が俺にとっては最終決断となった。

俺は持ってきたもう一つの袋に勢いよく手を突っ込む。

「甘利!」

「はい!?」

「手!」

俺の勢いの良さに甘利が驚く。首を傾げつつも、素直に手を出してくる。

差し出される自分よりも一回り大きい手を見下げ、俺は掴んだ菓子を離した。

「えっ」

「やる」

甘利の手にはクッキーやチョコが乗せられている。今日の休み時間に女子から『特典目当てで買った菓子だから』と、半ば押し付けるように配られたのだ。

(俺、甘いものあんま好きじゃないし、お礼になるなら一石二鳥だろ)

この前いちごミルク飲んでたし、コイツも甘いのは平気なはずだ。目を見開く甘利に「代わりに唐揚げもらうから」と告げれば、嬉しそうに顔を輝かせた。

「もちろんです! あ、卵焼きもいりますか? 串カツもありますよ。あとハンバーグとかメンチカツとか……」

「肉肉しいな!? てかそんなにいらねーからっ」

「え?」

「ああもうっ、こんくらいでしょんぼりするな! っ……卵焼きと唐揚げ! それだけで十分だからっ」

そもそもあとおにぎり一個で満腹になるような腹だ。そんなに貰っても正直困る。

半ば叫ぶように告げた俺に、甘利は「わかりました」と満面の笑みを浮かべる。どうぞと箱ごと差し出してくる彼の顔は『好きなだけ食べていいですよ』と書かれていた。

(なんか、こいつ俺に甘すぎないか?)

あとで足りないって言いだしても知らねーからな、と思っていれば、甘利がひっくり返した箸で唐揚げを摘み、差し出してくる。「あーんですよ、先輩」と嬉しそうに言うこいつに腹が立って、指で箸につままれた唐揚げを取ってやった。口に放り込めば、ガーンとショックを受ける甘利が目に入る。誰がやすやすと隙を見せると思っているのか。

(あーんとか絶対にやんねーし)

もぐもぐと咀嚼しながら心に誓う。唐揚げは肉汁たっぷりで、冷めていてもとても美味しい。

「春先輩」

上機嫌な声で呼ばれ、振り返る。予想通り、今度は卵焼きを差し出してくる甘利に、俺はまたしても指で奪い取ってやった。残念そうに落ち込んでいるが、知ったことじゃない。コンビニでもらったお手拭きで手を拭いて、俺は早々にごみを纏めた。


響くチャイムに、俺はよいしょと立ち上がる。甘利は半分残った弁当を片手に、俺を見上げていた。

「ばーか。変なことしてるから食べ損ねるんだよ」

「うう……」

俯いた甘利が悔しそうに頬を膨らませている。「先輩のせいなのに」と呟く甘利の言い分はよくわかないが、まあ何とかするだろう。ポケットに入れていた〝それ〟を甘利の前に転がしてやれば、驚いたように目を見開く。

「これやるから元気出せって」

「っ、!」

「ま。あんまり甘くないやつだけど」

『れもん』と書かれた小さな飴は、甘利の大きな手の中でころんと転がっている。これで何とか一時間分くらいはごまかしがきくだろう。持ち歩いているやつが役に立ってよかった、と思いながら、俺は先に教室を出ようとして――甘利に引き留められる。振り返れば、飴を握りしめた甘利と目が合った。

何も言わない甘利に、俺は首を傾げる。

「甘利?」

「っ、すみません。その……ありがとう、ございました」

「お、おう」

急にぎこちなくなる甘利に、俺もぎこちなく返事をすれば、引き留められた腕がするりと解放される。意外なことに驚く反面、そろそろ差し迫っている時間を感じて、ハッとする。

「甘利! 早く片付けろ! 鍵、俺だから!」

「は、はい!」

バタバタと片付けをして、教室を出る。廊下を走り抜けて、別れ際で俺は「あんまり食い過ぎて腹壊すなよー?」と告げて、俺は軽く手を振る。甘利が何か言っていたような気がしたが、残念ながら聞き取れなかった。

(明日聞き直せばいいか)

響く本令を耳に、俺は全力で教室へと滑り込んだ。


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