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第1話 『後輩』

「おはようございます、春先輩」

「おー……はよ」

翌日。朝からキラキラと輝かしい笑顔を振りまきながら校門に立つ後輩の存在に、俺は内心全力で逃げたい衝動にかられていた。

「朝から先輩に会えるなんて嬉しいです」

「おー」

「先輩は電車通学ですか? それとも徒歩ですか?」

「教えね」

「えぇー」

「なんでですか」と不貞腐れる甘利に、俺は視線を逸らす。そんなの教えない方がいいって直感が言ってるからに決まっている。

(ていうか、なんでいるんだよ)

昨日の今日でよく会いに来れるな、とか。なんで登校する時間がわかったんだよ、とか。言いたいことは山ほどある。もちろん登校する時間を教えたつもりはないし、待ち合わせしていたわけでもない。……となれば、わざわざ待っていたということだろう。

(そこまでするか? 普通……)

はあ、とため息を吐いて、俺は甘利の方へと足を向けた。


――昨日。自己紹介が終わった俺たちは、騒動を聞きつけた先生に見つかり、軽いお説教を受けることになった。

入学早々面倒を掛けるなだとか、そういうことは人目に付かないところでしろとか、俺が思っていたことを何故か俺が聞かされる羽目になり、非常に不服だ。ちなみに、原因の元である甘利は特に気にしている様子はなく、ぼうっと何かを考えていた。

(生徒指導の先生に怒られながら考え事とか、マジか)

甘利の態度に驚いていれば、お説教は終わり、俺たちは早々に学校から追い出された。まだ明るかった空が夕暮れに変わっているのを見て、肩を落とす。せっかく早く帰れると思ったのに。

「すみません、先輩。俺のせいで帰るの遅れてしまって」

「まったくだ」

「お詫びに先輩の言うこと、何でも聞きますから」

そういう甘利に俺は「マジ?」と言いかけて、咄嗟に言葉を飲み込む。

(いやいや。後輩に言う事聞いてもらうとか)

さすがに駄目だろ、と甘利を見れば、しょんぼりとした顔のままこちらを伺い見ている。……一瞬、垂れた耳と尾が見えたのは、気のせいだろうか。黒い大型犬を甘利に重ねてしまった俺は、募る罪悪感を覚えながら「……んじゃ、コンビニでなんか奢って」と無難なお願いを絞り出した。流れで一緒に帰ることになっていることに気付いたのは、コンビニに着いてからだった。

結局カフェオレのパックを奢ってもらった俺は、ちゅうっとカフェオレを飲みながら、隣の甘利を見つめる。彼の手には同じ形のいちごジュースが握られている。

(甘いの、好きなのか)

「先輩」

「んー?」

「告白の返事なんですけど」

ぶっと吹き出す。突然の爆弾が生きていたことに驚きを隠せないまま、俺は盛大にむせ込んでしまった。「大丈夫ですか!?」と声をかけて来る甘利に大丈夫と返す。

(マジか。今ここで掘り返すとか)

完全に油断していた。俺はバクバクと煩い心臓を抑え込む。変な緊張感が体を巡っていく。

「あー……それな。えっと」

「わかってます。春先輩が俺をそういう目で見てないってことは。なので、時間をください」

「は? 時間?」

「春先輩を振り向かせる時間です」

そういう甘利の目は本気で。俺は視線を大きく逸らし、たっぷり間を開けた後、「……好きにすれば?」と答えた。ぱあっと嬉しそうに笑う甘利が抱き着いてくるのを押し退けながら、俺は断らなかった自分に早速後悔していた。




ちらりととなりを歩く甘利を見る。キラキラと輝くイケメンの光が惜しげもなく振り撒かれており、すれ違う女子生徒がみんな振り返っては、ほうっと息を零しているのが見える。ついでに自分に刺さる「誰アレ?」と言わんばかりの視線も漏れなく見えている。はあ、とため息を吐けば、「大丈夫ですか?」と顔を覗き込まれた。お前のせいだと言いたい気持ちを押し込め、「何でもない」と笑い返した。

(てか、昨日も思ったけど、甘利、結構モテるだろ)

顔も良くて身長も高くて……性格は難ありみたいだけど、女子からすればかなりの優良物件なはずだ。そんなやつがなんで俺なんかに声をかけて来たのか、心底わからない。

じいっと見つめていれば、甘利が気づく。視線が合わさり、ふわりと微笑まれた。整った顔にドッと心音が響く。背後で女子の悲鳴が聞こえ、俺はハッとした。

(び……っくりした)

一瞬自分に微笑まれたのかと思って、ときめきかけた。

後ろの女子が居なかったら完全に勘違いしていただろう。はぁー、と大きく息を吐き出して、俺は跳ねる心臓を宥める。

(ん? あれ? でもこいつ俺の事好きって――)

「春先輩」

「! あ、え、何?」

「あ、いえ。いつもこの時間に登校してるのかなって思って」

「えっ、あ、ああ。まあ大体は?」

甘利の声に慌てて答える。考えていた内容が内容だっただけに、当の本人のお出ましについ驚いてしまった。やべ、と甘利を見れば「そうなんですね」と笑う。昨日と同じ顔だった。その笑顔に少しだけホッとする。

「あ、甘利は?」

「俺は、いつもは朝練があるのでもっと早いです。なので朝のお迎えは今日だけで……すみません」

「? いや、ふつーにいらないけど」

「……」

「睨むなよ」

むっとした視線に、俺は苦笑いを浮かべる。お迎えがないのを寂しがって欲しいのだろう。残念ながら俺はそんないたいけな女子ではないし、そもそも寂しがるほど仲良くなっていない。

(まあ、わかりやすいところは悪くないと思うけど)

口を尖らせる甘利にくすりと笑う。だからと言って絆されるほど、俺は簡単な男じゃあないけど。

「甘利。ちょっとしゃがんで」

「? はい」

すっと腰を落とす甘利に、俺は手を伸ばした。

癖のある髪をガシガシと掻き回してやる。多少乱暴な手つきかもしれないが、そんなの知ったこっちゃない。

「いいから、部活頑張れよ」

そう告げれば、見開かれる目。乱した髪を軽く整えてやり、手を離そうとして――手首を掴まれる。「えっ」と声が零れた。


「春先輩、好きです」

「お、おお」

知ってる、と言いかけて、甘利の目に言葉を飲み込む。嬉しそうなのが視線から伝わる。

するりと手首を撫でられ、手を甘利の両手で包み込まれた。コイツ、手デカイな。

「またあとで迎えに行きますね」

「は?」

「それじゃあ」

ぺこりと頭を下げて去っていく甘利に、俺は瞬きを繰り返す。

(……またって、なんだ?)

ぼうっと甘利の背中を見送って――響くチャイムにハッとする。慌てて教室へと急げば、ぎりぎり滑り込むことが出来た。クラスメイトに茶かれながら席について、鞄を机の横に引っ掛けた。


なんだろう。――嫌な予感がするのは、気のせいだろうか。


*   *   *


「春先輩!」

「え」

「すみません、遅れました」

「……マジか」

ぽろ、とこぼれ落ちる米粒を横目に、瞬きを繰り返す。昼休み。現れた後輩の姿に、俺は驚きを隠せなかった。……嫌な予感は、どうやら綺麗に当たってしまったらしい。



廊下の席の一角。そこが俺の席だ。そして教室の小さな窓から見えるのが、後輩の甘利。相変わらずキラキラ輝いている顔をぶら下げて立っている彼は、昨日の事もありとてつもなく目立っていた。

「春先輩、落ちましたよ」

「あ、ああ。悪っ……!?」

す、と掬い上げられた口元の米。それを何のためらいもなく口に含んだ甘利に、ぎょっとする。キャーと黄色い悲鳴が響いた気がするが、それどころじゃない。ガタンッと立ち上がって、甘利の肩を掴んだ。

「お、おまっ、! 何してんの!?」

「何って、ご飯誘いに来たんですけど、先輩先に食べてたんですね」

「いやっ、そうじゃなくて!」

キョトンとする彼に、俺は手が震える。まさか無自覚であんなことをしたっていうのだろうか。

(えっ、マジで? 怖すぎん?)

ナチュラル過ぎて一瞬気が付かなかった。

「つーかなんで教室……」

「先輩を迎えに来たんです。ご一緒してもいいですか?」

「いいわけ――」

ない、と言いかけて、ハッとする。周りの女子たちの視線が突き刺さり、全身が痛い。「断んの? マジ?」と聞こえる声に冷や汗が背中を流れる。

(え。何。なんで俺の方が悪者みたいになってんの?)

だって約束してなかったし? 約束してなかったら勝手に食うよね? ていうか先輩後輩で飯食うのとか普通なの? 中学でも後輩いたけどコミュニケーション能力皆無だから知らなかったんだけど? 

ダラダラと流れる冷や汗を感じながら、甘利を見上げる。彼は何かに気付いたようで、しゅんと肩を落とすと「すみません」と謝って来た。

「突然でしたよね。また明日出直して――」

「あー! あー!」

「先輩?」

「と、とりあえずさ、移動しようぜ!?」

俺は昼食のおにぎりを雑に袋にまとめて、素早い身のこなしで廊下に出る。今の、廊下に出る世界選手権があったらきっといいところまでいっただろうな。

驚く甘利の手を掴んで、俺は廊下をギリギリ走らない速さで駆け抜けた。


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