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第1話 『後輩』

「おはようございます、春先輩」

「おー。はよ」

――翌日。

いつもの朝の景色に、キラキラと輝かしい後輩が映っている。

(また目立ってるし……)

俺は向けられる視線の多さに内心全力で逃げたい衝動に駆られつつも、目を細めるだけに留める。

「朝から先輩に会えるなんて嬉しいです」

「そうかよ」

「先輩は電車通学ですか? それとも徒歩ですか?」

「残念。教えねー」

「えぇ」

「なんでですか」と不貞腐れる甘利。そんなの教えない方がいいって直感が言ってるからに決まっている。

(ていうか、なんでいるんだよ)

昨日の今日でよく会いに来れるなとか、なんで登校する時間がわかったんだよとか。言いたいことは山ほどあるが、今はそれは置いておこう。もちろん、俺から登校する時間を教えたつもりはないし、待ち合わせしていたわけでもない。

(昨日あんだけ怒られたっていうのに、懲りねーな)

はあ、とため息を吐いて、俺は校舎の方へと足を向けた。


昨日、あれから俺たちは騒動を聞きつけた先生に見つかり、軽いお説教を受けることになった。

入学早々面倒を掛けるなだとか、そういうことは人目に付かないところでしろとか、俺が思っていたことを何故か俺自身が聞かされる羽目になり、非常に不服である。ちなみに、原因の元である甘利は特に気にしている様子はなく、ぼうっと何かを考えていた。

(生徒指導の先生に怒られながら考え事とか、大物すぎんだろ)

甘利の態度に内心ドン引きしつつも、大人しく聞くこと三十分。お説教は終わり、俺たちは学校から追い出されるように帰された。一度目に外に出た時はまだ明るかった空が、既に夕暮れに変わっている。せっかく早く帰れると思ったのに。俺は肩を落とした。

「すみません、先輩。俺のせいで帰るの遅れてしまって」

「まったくだな」

「お詫びに先輩の言うこと、何でも聞きますから」

そういう甘利に俺は「マジ?」と言いかけて、咄嗟に言葉を飲み込む。

(いやいや。後輩に言う事聞いてもらうとか)

さすがに駄目だろ、と甘利を見れば、申し訳なさそうな顔のままこちらを伺い見ている。……一瞬、垂れた耳と尾が見えたのは、気のせいだろうか。家の黒い大型犬を甘利に重ねてしまった俺は、募る罪悪感を誤魔化すように一つ咳をすると、「んじゃ、コンビニでなんか奢って」と無難なお願いを絞り出した。「はい!」と嬉しそうな甘利に、俺は首を傾げる。なんで金なくなることに喜んでるんだ、と不思議に思ったが、流れで一緒に帰ることになっていることに気が付き、甘利の嬉しそうな顔の理由が分かったのは、残念なことにコンビニに着いてからだった。


無糖のカフェオレのパックを奢ってもらった俺は、ちゅうっとストローを吸い上げながら、隣の甘利を見つめる。彼の手には同じ形のいちごジュースが握られていた。

(うげ。あまそ)

よくそんな甘ったるいもん飲めるな、と顔をゆがめていれば、「春先輩」と呼びかけられた。

「んー? 何?」

「告白の返事なんですけど」

「ぶっ!」

「うわっ」

吹き出したカフェオレに、甘利が驚く。しかし、俺はそれに反応するどころか、盛大にむせ込んでしまった。「大丈夫ですか!?」と声をかけて来る甘利に必死に頷く。

(まさか今ここで掘り返すとは思わねーじゃん!)

完全に油断していた。俺は痛む喉をカフェオレで潤しながら、甘利を伺う。今度は何を言い出すのか。身構えていれば、「その、返事聞いてもいいですか?」と聞かれる。怖いもの知らずか、こいつは。

「あー、と。それな。まあ、なんだ。まずは後輩からってことで」

「……」

「な、なんだよ、不服なのかよ」

黙り込んでしまった甘利に、俺はむっとする。

(本当だったら『ごめんなさい!』って一刀両断しても良かったのに、それを後輩からって言ってるんだぞ。すげー譲歩だろうが)

そもそも、男から告られるなんて初めてなのだ。女子からもないけど。だから、これが今の俺に出せるちゃんとした答えってやつなのに。

「別に嫌ならいい――」

「嫌じゃないです」

「……そ」

即答する甘利に、俺は首を傾げる。それならなんでそんな複雑そうな顔をしているのか。

「……わかってます。春先輩が俺をそういう目で見てないってことは。なので、今は後輩としてで大丈夫です」

「お、おお」

「でも、その分時間をください」

「は? 時間?」

「春先輩を振り向かせる時間です」

そういう甘利の目は本気で。

(つまり、後輩になった上で、好きにさせる時間が欲しいってこと?!)

強欲すぎる。なんて強欲な後輩なんだ。

「……ちなみに、諦めるって選択肢はねーの?」

「ないですね」

「俺以外にも可愛い女の子、いっぱいいるじゃん」

「先輩以外、興味がないので」

「えぇ……」

バッサリと切り捨てる甘利に、頭が痛くなってくる。

(……なんか、もう良くわからなくなってきた)

痛む頭を抱え、俺は絞り出すような声で「好きにすれば?」と呟いた。どうせ俺はこいつを好きにはならないし、こいつもいつしか飽きるかもしれない。振り回されるのは面倒だが、これ以上考えるのも面倒だ。

「! はい!」

ぱあっと嬉しそうに笑って返事をする甘利。何故か繋がれる手に、俺は早速断らなかった事に後悔していた。




ちらりととなりを歩く甘利を見る。

(昨日もちょっと思ったけど、目立つのってこいつ自身のせいでもあるよな)

キラキラと輝くイケメンの光が惜しげもなく振り撒く甘利は、すれ違う女子生徒がみんな振り返るくらいに整った顔をしているらしい。中身を知った今、俺は昨日ほど甘利が特別には見えない。それどころか、「騙されてるぞ!」と言って回りたいくらいだ。

「春先輩、俺の顔に何かついてます?」

「は? なんで?」

「いえ。ずっと見て来るので」

甘利の言葉に、俺はドキリとする。まさか見ていたことがバレていたとは思わなかった。

「あー。目と鼻と口が付いてる。あと眉毛」

「ははっ、それ、ついてなかったらのっぺらぼうじゃないですか」

「だな」

「のっぺらぼうって前見えてんのかな」と呟けば、「どうなんでしょう」と話に乗って来る甘利。どうでもいい話なのにちゃんと考えようとしてくれているのは、結構面白い。

(変な事言わなけりゃ、まだマシなんだけどな)

のっぺらぼうの生活について話をしていれば、「話変わるんですけど」と甘利が切り出した。

「春先輩って、いつもこの時間に登校してますよね。一緒に来る人とかいないんですか?」

「えっ、ああ。まあ、大体は一人かな」

「ご友人は?」

「何だよその言い方。あいつらは逆方向だから、一緒にはいかねーの」

堅苦しい言い方にふっと笑えば「なんて言えばいいのかわからなくて……」と照れたように笑みを浮かべる。周囲の女子が数人ノックアウトした。

「甘利は? 一緒に来る奴とかいねーの?」

「俺は寮なので。それに、いつもは朝練があるのでもっと早いです。なので朝のお迎えは今日だけになってしまって……すみません」

「? いや、ふつーにいらないけど」

「……」

「そんな顔されても」

不貞腐れたような、寂しそうな顔をする甘利に、俺は困ってしまう。だって本当に迎えなんていらないし、そもそも迎えられたことにビビり散らかしているくらいなのに、寂しがるわけがない。

(まあ、こういうわかりやすいところは、悪くないと思うけど)

弁解もせずにいれば、しゅんと肩を落とす甘利。その姿が家の犬と重なって見え、俺はついきゅんと胸が高鳴ってしまった。

「ん゛んっ」

「? 先輩?」

「あー……なあ、甘利。ちょっとしゃがんでくんね?」

「? はい」

すっと腰を落とす甘利。疑いもなく行動に移した姿に、更に犬っぽさが重なる。俺は駆られるように、つい甘利の黒髪に手を伸ばしてしまった。癖のある髪をガシガシと掻き回してやる。多少乱暴な手つきかもしれないが、そんなの知ったこっちゃない。

「ちょっ、先輩っ」

「はははっ」

困惑する甘利の声に、だんだんと楽しくなってくる。

(昨日は散々困らされたんだ)

少しはお前も困ればいい。そんな思いで撫でまわしていれば、両手を掴まれてしまった。ぼさぼさになった髪の隙間から、眉を寄せた目が見える。頬が少し赤い。

「撫ですぎです、先輩」

「悪い悪い」

むっと口を尖らせる甘利を見て、俺は乱した髪を軽く整えてやる。「部活頑張れよ」と告げれば、手首を掴まれた。

「えっ」

「春先輩、好きです」

「お、おお」

「俺と……」

続けられるかと思った言葉が、止まる。俺を見上げる甘利の視線は、戸惑いと興奮とで滅茶苦茶になっている。

「……何でもないです」

(言わねーんだ)

ゆっくりと立ち上がった甘利。掴まれた手が静かに離された。

「それじゃあ、春先輩。またあとで迎えに行きますね」

「お、おう」

「では」

ぺこりと頭を下げて去っていく甘利に、俺は瞬きを繰り返す。一年の棟の中に入っていく甘利の背中を見送り、俺は数秒立ち尽くしていた。

(……またって、なんだ?)

ぼうっと甘利の背中を見送って――響くチャイムに俺は走り出した。


なんだろう。またしても、嫌な予感がする。


*   *   *


「春先輩」

「え」

「すみません、遅れました」

「……マジか」

ぽろ、とこぼれ落ちる米粒を横目に、瞬きを繰り返す。

昼休み。突如現れた後輩の姿に、俺は驚きを隠せなかった。……嫌な予感は、どうやら当たってしまったらしい。


廊下の席の一角。そこが俺の席。そして教室の小さな窓から乗り込んできたのが、後輩の甘利。

(……なんでここにいんの?)

相変わらずキラキラ輝いている顔をぶら下げて立っている彼は、別の学年であることもあり、とてつもなく目立っていた。

「春先輩、落ちましたよ」

「あ、ああ。悪っ……!?」

す、と掬い上げられた口元の米。それを何のためらいもなく口に含んだ甘利に、ぎょっとする。キャーと黄色い悲鳴が響いた気がするが、それどころじゃない。

ガタンッと立ち上がって、甘利の肩を掴んだ。

「お、おまっ、! 何してんの!?」

「何って、ご飯誘いに来たんですけど。先輩、先に食べてたんですね」

「あ、ああ。って、いや! そうじゃなくて!」

キョトンとする彼に、俺は込み上げる熱に顔を真っ赤にする。

(無自覚とかマジかよ……っ!)

怖い! 怖すぎる!! ナチュラル過ぎて自分でも一瞬気が付かなかったのが余計に怖い!

「つーかなんで教室……! それ以前に約束してなかっただろ!?」

「はい。でも先輩と食べたくて。その、ダメでしたか?」

しゅん、と肩を落とす甘利。瞬間、周りの女子たちの視線が俺の身体に突き刺さるのを感じた。……全身が痛い。その全部が『断んの? マジ?』『可哀想すぎる』と言っているのが簡単に読み取れてしまう。

(いやいや、そもそも約束なんてしてないんだし! てかなんで俺の方が悪者みたいになってんの?)

だって約束してなかったし? 約束してなかったら勝手に食うよね? ていうか先輩後輩で飯食うのとか普通なの? 中学でも後輩いたけどコミュニケーション能力皆無だから知らなかったんだけど? 

(女子怖え……)

ダラダラと流れる冷や汗を感じながら、甘利を見上げる。彼は何かに気付いたようで、ハッとすると「すみません」と謝って来た。

「突然で迷惑でしたよね。また明日出直して――」

「あー! あー! と、とりあえずさ、移動しようぜ!?」

俺は昼食のおにぎりを雑に袋にまとめると、素早い身のこなしで立ち上がり、甘利の元へと向かう。もし廊下に出る速度を競う世界選手権があったら、きっといい記録が出せただろう。ダラダラと流れる冷や汗を感じながら、俺は「こっちこっち!」とわざとらしく声を上げた。しかし内心はそれどころじゃない。

(迷惑なんて言葉、あんなところで使うなよ……!)

危うく俺が世界の悪者に登録されるところだった。

(くっそ~~~!)

何も知らない甘利が心底羨ましい。

俺は泣きそうになりながら、甘利と共に廊下をギリギリ走らない速さで駆け抜けた。


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