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第10話 月へ!

「カイトさん!」


 ガーベラが、カイトの不用意な一言をたしなめたが、もう遅い。


「え? 姫様?」

「姫殿下?」

「まぁ、どうして?」

「すごい、すごい、本物だ」

「握手して貰えないかなぁ」

「わ、俺、今、目が合った。どうしよう」

「どうにもなるかよ、わわ、俺も目が合っちまった。どうしよう」


 たちまち、リルム王女とガーベラは、店じゅうの客に囲まれてしまった。


「ご、ごめんなさい!」


 こうなってはもう、どうしようもない。沸騰する鍋のように沸き立つ喧噪を押しとどめる術はない。

 ガーベラが、姫様に退出をそっと促す。


「いえ、いいわ。それより、立ちたいの。手伝って」


 ガーベラの手を借りて、杖に寄りかかるようにしてリルム王女は立ち上がった。


「みなさん。大切な収穫祭のお祝いの真っ最中に、お騒がせしてしまって本当にごめんなさい」


 リルム王女の声が、透き通る鈴のように店内に響き渡った。その一言で、ジョッキがぶつかる音、笑い声、足を踏み鳴らす音がぴたりと止まり、まるで夜明けの湖面のように静寂が広がった。客たちは目を丸くし、彼女の姿に釘付けになった。


「せっかくの機会だから、少しだけお時間をいただけるかしら?」


 彼女がにっこりと微笑み、店内を見渡すと、男も女も、その柔らかな瞳に引き込まれるように頷いた。まるで魔法……魅了チャームの魔法にかかったようだった。


「ありがとう。どこからお話しましょうか。そうね。やっぱり、十年前のあの事件から始めましょう。あの日、月への魔術門ゲートを開く大実験が失敗に終わり、私のおじい様……バークレー王や、大魔導士ジダール様、そして、皆さんの大切なご家族がたくさん……たくさん、魔術門ゲートに飲み込まれてしまいました。私は今でも、あの日のことが目に焼き付いて、忘れることができません。夜風の強い日などは、あの日の嵐の音が耳に蘇り、怖くなって寝付けないこともあります。皆さんにとっても、そうでしょう? とても悲しい事件でした。とても、残念に思っています」


 リルム王女は目を伏せ、十年前の記憶に耐えるかのように、僅かに体を震わせた。店内の誰もが息を呑み、彼女の悲しみに共鳴した。厨房でそんな王女の言葉を聞いていた、カイトの祖母もエプロンの裾でそっと目元を拭いていた。


「私も、あの嵐の中で宙を舞っていました。吹き荒れる風に抗う術もなく、もう終わりだと感じた瞬間でした。あの時、私はまだ五歳で、幼く、無力で……何もできなくて、ただ叫ぶことしかできず。命を失う代わりに、両足を失ってしまいました」


 そこでリルム王女は、深く息を吸い、呼吸を整えた。両足を失った話をこのタイミングで挿し込んだのは、カイトと結び付けられること避けるための、王女の配慮だった。

 客席からは小さなすすり泣きが漏れ、男たちが拳を握りしめた。誰かに怒りをぶつけるためではなかった。自分たちもまた無力であったことへの後悔と自責の念にかられての拳だった。



「でも、そんな私を窮地から救ってくれた人がいました」


 リルム王女は体を預ける杖から片手をそっと離し、カイトに掌を差し出した。



「それが、こちらの、カイトさんです」


 店内にどよめきが起きた。


「え、カイトが?」「本当かよ」


 当時の状況を知る者は、王女が王国の禁忌を堂々と振り返る発言をしていることに。同時の状況を知らぬ者は、伝え聞く十年前の状況にカイトが関わっていたことに、それぞれに驚いた。

 王女は、倒れないよう、ゆっくりと、その場で体の向きを変え、厨房の方を見る。そして、厨房の入り口に立っていたカイトの母と祖母を見つめた。


「カイトさんのお母様、おばあさま。そしてカイトさん。あの時、私を救ってくれて、本当にありがとうございました。ご挨拶が遅くなってしまって、ごめんなさい」


 深々と頭を下げた瞬間、バランスを崩して、倒れそうになった。ガーベラが慌てて手を伸ばすが、リルム王女は義足に嵌め込まれた魔石の僅かな光に包まれ、バランスを取り戻した。


「まぁ、まぁ、勿体ない。姫様、どうか、お顔を上げてください!」

 カイトの母がそう言い、祖母が頷いた。


「あの日、私は自分に一つの誓いを立てました。もう二度と、あんな悲しみを誰にも味わせたくはない。皆さんの笑顔を守りたいって」


 声に力がこもり、リルム王女は杖を握り直した。店内の空気が張り詰め、誰もが彼女の次の言葉を待った。予定外の姫殿下の演説が始まったというだけでも冷や冷やしながら様子を伺っていたガーベラだったが、この後、どんな風に話が進むのか、気が気ではない。


「でも、あの事件で王と大魔道士を同時に失った我が国シュタークは、国力を大きく弱めてしまいました。そして、隣国ガルスに目をつけられてしまったんです。皆さんには、まだお話ししたことはありませんでしたが、今、ガルスは私たちの国を、大地を、皆さんが汗を流して育てた穀物を奪おうと画策しています。一時は、戦争の危機さえ迫っていました」


 「戦争」という言葉に、店内が再びざわついた。

 「まぁ、怖いわ」「子どもたちはどうなるの?」と女たちが震え、「俺が守るぜ!」と男たちが叫んだ。

 酒の勢いもあり、血気盛んな男たちが吠え、戦争がもたらす悲惨な未来を憂いて、女たちが震えた。


「いいえ、私も戦争なんて望みません。皆さんの家族が傷つき、笑顔が消えるなんて、絶対に嫌です。だから、私はガルスと取引をしたんです。シュタークとガルス、どちらが先に月の石を持ち帰れるか。技術で勝負をつけることにしたんです」


 再び静寂が店を包んだ。初めて明かされる国家機密に、客たちは息を止めた。


「そのために、私たちは必死で戦っています。カイトさんは転移魔法の訓練を重ね、ジルギスさんは魔石を研究し、オリディアさんは宇宙船を設計し、皆で力を併せて月を目指しています。一丸となってガルスよりも先に月の石を持ち帰るためのミッションに挑んでいます。

 ですが、正直に言うと……私、怖いんです」


 リルム王女の目が潤み、声が熱を帯びた。彼女は深く息を吸い、こう続けた。


「本当は、王女として、こんな風に皆さんを不安にさせるようなことは言ってはならないのでしょうけれど。でも、もし失敗したら。もし、ガルスに先を越されたら。そうしたら、何もかもを失ってしまう。この国が、ガルスの手に落ちてしまう。そう思うと不安になります。怖いです。

 でも。それでも、私が諦めないのは、あの日の誓いがあるからです。皆さんの笑顔を守りたいからです。カイトさんがあの時、私の手を掴んでくれたように。今度は私が皆さんの手をしっかりと掴みたい。そうして、その手をこうして……」


 リルム王女は片手を大きく空に向かって伸ばした。


「月にまで届く夢に変えて。皆さんと一緒に掴みとりたいんです」


 彼女はカイトをまっすぐ見つめ、声を張り上げた。


「カイトさん、あなたが私を救ってくれたから。あなたが私にどんな困難にだって抗う力を見せてくれたから。だから、こうして私は希望を失わずにいられるのです。あの小さな手が、優しく暖かな手が、私に希望をくれた。そうして、今、私には皆さんの手が、助けが必要です。この収穫祭で輝く皆さんの笑顔が、私の力になる。お願いです、私に力を貸してください。月まで届く夢を、一緒に叶えさせてください!」


 リルム王女がカイトの力を借りて、月を目指していること、月の石を持ち帰ろうとしていること、その理由が戦争を回避するための技術競争によるものであること。その全てが初めて明かされた。

 人々は驚くあまり、一言も言葉を発しない。

 そんな中、一人の男が立ち上がり、王女を真似て、片手を大きく空に向かって突き上げた。


「月へ!」


 彼の姿に心を打たれ、隣の男も立ち上がった。


「月へ!」


 気持ちが伝播していく。


「月へ! 皆の笑顔を守るために!」

「月へ! 王女様の笑顔のために!」

「月へ! 家族の笑顔のために!」

「月へ!」「月へ!」「月へ!」


 その瞬間、店内で皆の心が爆発した。「おおおー!」と振り上げた片手をハイタッチし合う。


「姫様、俺たちも協力するぜ!」

「あぁ。月までだって届く応援で、助けてやる!」


 そう叫び声が響き合った。

 カイトは目を丸くしてそんな様子を見守っていた。


「カイトさん」


 リルム王女がカイトにそっと話しかけた。「眼鏡くん」と呼ばれることに慣れてしまっていたカイトにとって、名前で呼ばれる違和感は相当なものだった。


「は、はい!」


 緊張のあまり、声が裏返る。一方のリルム王女は、ようやく自然にカイトを名前で呼ぶ機会が得られ、満足そうだった。


「少し、静かなところでお話ししたいことがあるの。ここから連れ出してくださる?」

「わかりました。こちらへ」


 そう言うと、ガーベラとリルム王女を先導し、厨房を抜けて勝手口から店の外へ連れ出した。


 🌗


「びっくりしました」 店内の喧噪を遠くに聞きながら、リルム王女とカイトは二人だけで店の裏手の腰高のベンチに背を預けて立っていた。リルム王女はただ、静かに物干しざおに揺れるシーツを眺めているばかりで、先ほどから一言も発しない。沈黙にいたたまれなくなったカイトは、そう言って、リルム王女の様子を伺った。


「なにが?」


 何もかも、だ。リルム王女がカイトの店をお忍びで訪れたこと。車椅子を使わず、杖と義足でお城から歩いてきたこと。先ほどのスピーチ。そのどれもに驚いていた。


「えっ……と」


 何から話せば良いかわからない。毎日顔を合わせているが、二人だけになる機会は久しぶりだった。


「カイトさん」

「あ、それ……」

「こう呼ばれるのは、お嫌ですか?」

「そうではないんですが、ちょっとくすぐったいというか……」

「そう。じゃあ、カイトくん、では?」

「まぁ、それで」

「わかりました。カイトくん。私、あなたに打ち明けておきたい秘密があるの」


 そう聞いて、カイトはどきりとした。カイトにもリルム王女に大きな隠しごとをしている。オリディアから、秘密を抱えているせいで魔法が制限されている可能性があると聞かされた時から、心にわだかまっていた思い。リルム王女に打ち明ける時なのかもしれない。


「僕も、僕も秘密にしてたことがあるんです」 カイトは決意のこもった目で王女を見返した。

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