諜報部のバルシアは、ふかふかのベッドの中で、一糸まとわぬ女性を優しく腕の中に閉じ込めた。
「へぇ。あの空から落ちてきた機械ってそういうのなんだ。マリンダは、それに何か関係してるのかい?」
「ふふふ。バルったら、詮索好きね。過ぎた好奇心は身を亡ぼすわよ」
「おっと、怖い。んじゃ、そんな野暮な話はこのぐらいにして……」
「そうね」
――さすが宰相ミルガスの右腕。外交長官殿はガードが堅いな。
ガルス共和国の外交長官が女性だったことから、バルシアは最初から彼女をターゲットとして狙い定め、持ち前の篭絡技術をフルに活用して近づいた。しかし、そこからが攻め手を欠き、なかなか情報を引き出せない。焦る気持ちをぐっと抑えて時を待つ。
――焦りは禁物だ。ミスは許されないからな。
今度はマリンダが両手を広げ、バルシアを腕の中に迎え入れる。そして、二人はシーツの海の底へと沈んでいった。
🌖
バルシアだけではなかった。魔法省の面々も、それぞれに焦りを感じていた。
ジルギスは、プールでのアクシデントによって酸素ボンベの酸素残量が尽きても尚、カイトが呼吸できたという不可思議な現象の謎が解明できずにいた。どう考えても理屈が通らない。カイトが転移魔法以外の魔法を有していないことは、再三に渡って確認済みだ。であれば、原因は他にある。しかし、それが何なのか、どうしても分からない。
彼が抱える問題は他にも山積していた。新たな魔石の探究もその一つだった。既に手元にある「四回繰り返して発動する」魔道具だけでは足りない。似たよう効果の得られる魔石に、効果強度が二倍になる物が世には存在するという。それを探し出し、魔道具を製作する必要があった。
効果強度が二倍とは、術者の放った魔法の効果を文字通り二倍にするものだ。たとえば火力が五の火炎弾であれば、その火力を倍の十にすることができる。これを転移距離二百リューグの転移魔法に対して用いれば、転移距離は倍の四百リューグになる。これを四回繰り返して発動する魔道具と組み合わせれば、計算上は一度に千六百リューグを跳躍できることになる。
もう一つ、効果時間が倍になる魔道具は、既に手元にあった。だが、これは転移魔法には使えない。たとえば
オリディアは、リルム王女の指示で、物理科学省のガシュミットと共に宇宙船の設計に取り組んでいた。しかし、宇宙服だけでも相当な重さなのだ。まして、人が複数人乗れる宇宙船ともなると、材料や強度をどんなに工夫しても、簡単に重量がカイトの能力の許容量を超えてしまうのだった。
カイトは、日々の訓練による成長が感じられず、無為に時間が過ぎるような感覚に陥っていた。
午前中は、
午後は、リルム王女との転移魔法の特訓。相変わらず、転移距離と転移範囲を細かく制御する訓練ばかりだった。以前よりも、細かく制御できるようになってきたのは確かだが、肝心の最大転移距離は少しも変わらない。
そして夜は、ジルギスとの特訓。リルム王女にバレてしまって、もう秘密特訓というわけではなくなっていたし、王女の提案通り、宇宙船ごと転移するのであれば問題ないのだが。
「いざって時に役に立つかもしれないしね!」
リルム王女がそう言うので、人を連れて転移する訓練は引き続き行われた。しかし、芳しい成果は出ていなかった。
「少年。随分と浮かない顏してるね」
「オリディアさん」
「ま、気持ちは分かるけどね。はい、これ飲んで。省長が淹れたいつものお茶だけど」
「ありがとうございます」
そう言って、差し出されたお茶をカイトは小さく礼を言って受け取った。
「少年が一番困ってるのは……人を連れて転移するやつ?」
「はい、そうです。ジルギスさんが仰るには、トラウマらしいんですが」
「うん、聞いてる」
「どうしたら、克服できるんでしょう?」
「自分の能力に自信をもつこと、じゃないかな。姫殿下との特訓で、だいぶ細かくコントロールできるようになってるんでしょう?」
「はい、そうです」
「だったら、もう事故を恐れず、人を連れて転移できそうなものなのにね」
「はい……」
今でも、はっきりとあの光景を思い出す。
十年前。闘技場で起きた
吹き荒れる暴風の中、王女の手を掴み、転移した。
しかし、渦中から救い出した王女の足は無くなっていた。
溢れる大量の血。
どんなに、助けるためだった、仕方なかったと言い訳しても。
自分がもたらした結果を受け止めるには、当時五歳の少年は幼な過ぎた。
「けどね。私、それだけが原因とも思えないのよね」
「というと?」
「そうね、何か心に蓋をしているというか、秘密にしている気持ちとか。そういうのって、魔法の効果を抑制しちゃう事あるのよね。そういうの心当たり、ない?」
カイトは、内心の焦りを悟られまいと、両手で抱えたお茶の水面を見つめた。鼓動が早鐘を打ち、心臓が口から飛び出しそうになる。
「わ、わからない……です」
「そっか。ま、焦らずやってこ」
「はい」
知らず目が泳ぐのを誤魔化そうと、カイトは一気に残りのお茶を飲みほした。
誰よりも焦りを感じていたのは、リルム王女だった。
しかし、彼女がそれを表に出したところで、良い効果があるとは思えない。むしろ、逆効果となるのではないか。そう感じていた王女は、寝室で一人になるまでは、決してその焦りを他人には見せなかった。
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「マリンダ。ロケートの首尾はどうだ?」
ガルス共和国の宰相ミルガス執務室。人払いをし、宰相ミルガスと外交長官マリンダの二人だけだった。マリンダは、肩書こそ外交長官だが、実質ミルガスに次ぐナンバー2の座にあり、外交だけでなく国内の政策にも大きく関わっていた。
「あと一週間ほどで、ガルス二号の打ち上げ準備が整います。基本的にガルス一号と同じ規格ですが、今回は第一宇宙速度まで到達するのが目標となっています」
「第一宇宙速度。たしか、地球の重力とロケートの遠心力とが釣り合う速度……だったか?」
「左様です。成功すれば、ロケートは地表へ落下することなく、地球を周回し続けます。世界で最初の人工の月、人工衛星の誕生となるでしょう」
「そしたら、次はいよいよ本番か」
「はい、そこから先はシュタークを出し抜くためにも、テストを繰り返すというわけには参りませんので」
「奴らの動きは?」
「ガルス一号のサイズが小さく、人が乗れるサイズではないからと、まだ、一年は猶予があるものと、思っているようです」
それまでも、二人は外に音が漏れないよう、抑えた声量で話をしていたが、ミルガスがさらに小声でマリンダに問いただす。
「例の内通者の情報か?」
「はい。興味深いことに、彼らも我らのロケートをこの名前で呼んでいるようです。そして、彼らの立案した作戦では、十五歳の少年がキーマンのようです」
「転移魔法を使うとか言ったな。その少年に対して妨害工作をするのかね?」
「多少は。我々が警戒している素振りを見せることで、我らが焦っていると見せかける程度に……」
「どういうことだ? 本気で妨害はしない、と?」
「はい。科学者共によりますと、奴らのプランには大きな欠陥があるそうです。であれば、むしろ、シュタークには、その少年に頼った作戦に固執して貰った方が好都合かと。なんなら、多少、手助けでもして、更に固執するよう仕向けても良いかと」
「例の男か? なかなか親密にやってるそうだな」
「えぇ」
「ふん。精々花を持たせて、上手く使うと良い」
「御意」
マリンダは、ミルガスの二番目の妻でもあった。しかし、ミルガスはマリンダの密通を知りながら、咎めるそぶりもない。それが、シュタークから送り込まれた犬、諜報部のバルシアを出し抜くための作戦だと知っているからだった。
二人は愛情で結ばれた関係ではなく、互いに地位と権力を利用し合うだけの関係だった。
その時、ドアをゆっくりと二度、それを二回繰り返してノックする音がした。続いて、ドア越しに声がした。
「ミルガス様。マリンダ様。ペンテウス教主国から使者がお見えです」
「来たか。謁見室にお通しせよ。茶を出してもてなしておけ」
「承知いたしました」
「さて。次の仕掛けだが……」
ミルガスは鼻歌でも歌い出しそうなほどに、上機嫌だった。
「少し待たせるとしよう」
「御意」
🌜
ペンテウス教主国の使者三名は、そわそわと落ち着かない様子で謁見室で立ち尽くしていた。
同盟国であるガルス共和国の宰相ミルガスの突然に呼び出しは、「
同盟関係とは言っても、国力の彼我の差は大きく、ペンテウス教主国は、実質ガルス共和国を宗主国と仰ぐ、属国のような関係だった。
「ミルガス宰相閣下、マリンダ外交長官がお見えです!」
その宣言を聞き、ペンテウス教主国の使者三名は、冷たい床に立て膝でしゃがむと、頭を垂れて最敬礼の姿勢を取った。
ミルガス、マリンダが官吏二十名ほどを伴って謁見室に入ってきた。
「これは、これは。ペンテウス教主国の使者の方々、我々の呼びかけに日を開けず答えてくださり、感謝いたしますぞ」
謁見室を囲む大理石にミルガスの声が反響する。三人の使者は、さらに小さくなった。
建て前ばかりの挨拶を交わし終わると、ミルガスは早速、本題を切り出した。
「ペンテウス教主国殿には、シュタークを攻撃していただきたい」