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第7話 特設プール

「私に良い考えがあるのよ!」

 リルム王女は、カイトの抱えるトラウマについて、解決策があると、事も無げに言い放った。いったいどんな妙案があるのかと、訝しむ三人を前に、月明りに照らされた王女の顔は自信に満ち溢れていた。「分からない? 分からない?」まるで、そう言いたげな雰囲気で王女に覗き込まれた三人は、一様に首を横に振る。


 「人を連れて転移するって思うから駄目なんでしょう? だったら。小さな、ううん部屋というよりかな。そうね、と言っても良いわね。それごと転移してしまえば良いのよ。それなら、人を転移するって感覚も薄れると思う」


 リルム王女は、膝に抱えた翼狼ウイング・ウルフのプルルをなでながらニコリと微笑んだ。


「ねぇ、それならプルルも行けるもんねぇ」


 プルルがクゥクゥと心地よさげに鳴いた。

 リルム王女のアイデアは、荒唐無稽なようでいて、理にかなったものだった。


 ――なるほど。それなら、確かに問題を解決できそうではある。が。さて、さて。そうなると、姫殿下に危険な月世界旅行をどうやって諦めて貰うか……。また難題が増えたな。


 ジルギスは腕組みしたまま、一人満月を見上げた。


  🌒


「少年。型はだいたい覚えたようだな」

 闇煌やこう軍第三師団の師団長、ドゥンケルハイトが古傷だらけの強面に似合わぬ、爽やかな笑みを浮かべてカイトに言った。

 シュタークの軍隊は、白、黒、緑の三つに分かれていた。白を基調とする光輝こうき軍が魔術や魔道具を用いた攻撃や防御を中心とする魔導騎士で編成された軍。これに対し、黒を基調とする闇煌やこう軍は魔術に寄らない、肉体と剣技による攻撃を行う騎士で編成された軍。そして緑は主に兵站を担う軍だった。

 転移魔法以外の魔法の使えないカイトには、闇煌やこう軍が適していた。カイトとは親子ほどにも年齢差のあるドゥンケルハイトから、合気道と空手を足し合わせたような古武術の指導を受けている。これもリルム王女の指示による日課だった。


「精神修養と基礎体力の向上が目的ね。きっと転移魔法の能力向上にも役立つと思う」


 リルム王女はそう言っていたが、ドゥンケルハイトによる指導は、より実践的なものだった。


「単に型通りに動いているだけじゃダメだ。たとえば、この両腕をぐっと身体の右側面に引く動き。これは、こうして相手と組んだ時に」

 そう言いながら、ドゥンケルハイトは、カイトの左肘と襟首に手を掛け、ぐっと腕を引き寄せた。あっけなく重心を崩されたカイトの体が半回転し、床に組み伏せられた。

「な? 型の一つ一つには、こんな風に意味があるんだ」

 カイトは背中にひんやりとした固い床の感触を味わいながら天井を見上げて頷いた。

「だから、一つ一つ、型を組手で使うイメージをしながら、やってみろ」

「はい」


 🌓


 今のカイトの跳躍能力では、携行する荷物の重量などを度外視したとしても、月まで少なくとも片道四百回かかってしまう。

 この問題を解決するために、ジルギスは魔法の効果を繰り返し発動させる魔道具の研究に取り組んでいた。この魔道具を身につけた魔術師が魔法を発動すると、効果が二倍(正確には二回繰り返して発動する)になる。それをもう一度繰り返せば、その効果は四倍に。さらに繰り返せば理論上では八倍に。


 ただ難点があった。使う魔力量に応じて、必要な魔石のサイズも四倍、八倍と大きくなるのだ。


 効果を八倍に出来るようなサイズの魔石は、現在、世界中のどこにもない。唯一、賢者ジダールが持っていた杖にはそのサイズの魔石が使われていたが、ジダールと共に月の魔術門ゲートに吸い込まれて、失われてしまった。


 ――八倍に出来たところで、片道五十回だがな。


 実際のところ、効果を四倍にして、片道百回、往復二百回。それが今、ジルギスの手元にある魔道具で出来る限界だった。

 五分に一回跳躍するとして。一時間で十二回。カイトの疲労を考えず八時間ぶっ続けで九十六回。


 ――まる二日。休憩や睡眠も含めると、それ以上にかかるってことか。


 次にジルギスは、人間一人がまる二日間で必要な酸素量を机上で計算してみた。

 成人男性の場合になるが、一回の呼吸で吸い込む空気は約五百ミリリットル。一日に約二万回の呼吸をしている。

 一日に一万リットル。二日で二万リットル。


 ――これは酸素も問題だな……。


 ジルギスは魔石を手の中で転がしながら、何度目かのため息をついた。

 リルム王女の言う通り、宇宙船ごと転移するのであれば、今のカイトにも出来そうな気がする。ただし、その重量の影響は、もろに転移距離に関わってくる。

 宇宙船は、なるべく軽く、なるべくコンパクトに作る必要がある。

 そのためには、ジルギスとカイトの二人乗りとするのが妥当ではないか。


「その線で、姫殿下に話してみるか……納得は、しないだろうが」


 🌔


「行くわよ。ゆっくり下ろして」


 新たに掘削して作った特設プールのふちに、ステージと、それを吊り下げる滑車を使った昇降装置が組み上げられた。ステージ上には宇宙服を着込んだカイトが立っている。前回よりもさらに改良が施された生地は様々な材質で織り上げられており、全部で十層にも及ぶ。各層がそれぞれ、機密性、保温性、強度、耐熱性などの機能を担い、それらを魔石を削りだして作った極細の針と糸で緻密に手縫いしてある。縫い目は限りなく小さく、そこから空気の漏れる心配はない。宇宙服として、理論上は問題のない仕上がりの筈だった。少なくとも机上の計算では。

 それを特設プールを使った実証実験で確かめる。そして、浮力と重りの均衡状態により、疑似的に作り出した無重量状態をカイトに体験させる。


 リルム王女の合図で昇降装置から鉄製の鎖がカラカラと繰り出され、カイトを乗せたステージが徐々に水に沈み始める。それに連れて、カイトの足が水中に没していく。


「カイト、どうだ?」


 魔石を利用した通信機でジルギスがカイトに聞く。カイトも宇宙服内に仕込まれたインカムで応える。


「問題ないです。浸水の兆候は、なし。ちょっとドキドキしてますが、呼吸も問題ないです。続けてください」


 カラカラカラ……とステージの四つの角を吊り上げる滑車が回り、水平を保ったまま、さらにステージが沈んでいく。

 ステージが沈み、水面がカイトの肩に達したところで、一度機械を停める。ここから先は、万一漏水があれば、生命にかかわる。


「どう?」


 リルム王女の問いかけに、水中へ目を凝らしていたオリディアが応える。


「継ぎ目や縫い目から細かな泡が出てて、隙間に溜まってた空気なのか、漏れてるせいなのか、よくわかりません」

「そう。じゃ、もう少しこのまま泡が収まるか、様子をみよっか」


 しばらくして泡が落ち着き、漏水の懸念は無さそうだと見定めたところで、実験が再開された。


「水深0・3ミリューグ」


 ジルギスが装置の目盛りを読んで言った。宇宙服のヘルメットの半分あたりまで水に浸かる。そして、頭頂部まですっぽり水に没したところで、再び装置が停められた。


「どうだカイト。呼吸は?」

「なんとなく息苦しい感じはありますが。これは、気持ちの問題だと思います。実際に呼吸が苦しいわけじゃないです。問題ありません」


 通信機からは、コー、ヒュー、コー、ヒューと酸素ボンベを使って呼吸するカイトの息遣いも聞こえてくる。


「なんだかこっちまで息苦しくなっちゃうね」

「続けますよ?」

 ジルギスの質問に、リルム王女はこくりと頷き返した。


「よし、カイト。このまま続けるぞ」

「了解です」


 水深2ミリューグ。およそ1気圧に相当する水圧がかかる。浮力を相殺する重りを付けているので、擬似的に無重量の状態だ。


「どうだ? 無重量って感じはするか?」

「どうですかね、手摺りに捕まってないと逆さまになっちゃいそうですが、これは重りの方が、浮力よりちょっと重いのかな。浮いてる感じはあまり……」


 その時だった。滑車と鎖をロックしていた機構がバキッと大きな音を立てて壊れ、鎖が滑るように送り出された。カイトの乗ったステージが、それに連られてガクンと沈みこんでいく。

 あっという間に鎖はどんどんと繰り出されていく。突然のトラブルに一同が呆然と見ている間に、ステージは特設プールの最大水深、6・5ミリューグまで沈んだところで停まった。


「カイト! 大丈夫か!? 返事をしろ!」


 ジルギスの呼びかけに、すぐにカイトの返事があった。


「びっくりしました。でも大丈夫です」

「怪我は? 怪我はしてない?」


 ジルギスの通信機を腕ごと掴んで顔に引き寄せると、通信機に噛みつかんばかりの勢いでリルム王女が質問する。王女の顔は真っ青だった。


「えっと。怪我とかは、ないです。ですが、背中の酸素ボンベをどこかにぶつけちゃったみたいで……」

「残量は?」


 目の前のプールにおびただしい空気の泡が上がってくる。落下の際の衝撃と3気圧に相当する水圧で酸素ボンベが破損したのだ。


 ――なんだか姫殿下の良い匂いがする気がする。この通信機って、音だけじゃなく、香りも届くのかなぁ?


 そんなことを考えながら、カイトは胸元の酸素ボンベと宇宙服を繋ぐパイプに取り付けられた残量計を見る。


「二十分ってところですかね」

「わかった。カイトはそのまま待機。こちらで牽引フックの修理をするが、万一息苦しくなったら、転移で飛べ。ステージが壊れても構わん」

「了解しました」


 そのやり取りでカイトが転移魔法の術者であることを思い出した一同は、最悪の事態は免れると安堵した。


 🌕


 修理に手こずり、あっという間にリミットである二十分が経過した。もう、カイトの酸素ボンベの残量も尽きる頃だ。


「カイト、大丈夫か? 修理は間に合いそうにない。転移で上がってこい」

「あのぉ、それがですね。呼吸……問題ないみたいなんです」

「酸素ボンベは?」

「五分ほど前に空になりました……」


 ――どういうことだ?


 ジルギスは通信機に目を落としながら、酸素ボンベの酸素残量が無くなって尚、呼吸が出来るという不思議な現象に戸惑っていた。


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