目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第5話 トラウマ

 魔法省の省長ジルギスの指示はそれほど難しいものではなかった。

「負荷重量、転移範囲、どちらも問題ないはずだ。カイト、俺を連れて転移してみろ」


 ジルギスの言う通りだった。ジルギスの体重よりも先ほどの宇宙服の方が重かったし、転移範囲も広げれば今では十人で手を繋いで輪を作った程度の範囲であれば、一緒に跳躍できるようになっていた。すべて、リルム王女の訓練の成果だった。

 連日のリルム王女の訓練はちょっと変わっていた。最初、カイトは転移距離を伸ばすためのスパルタ特訓が行われるものとばかり思っていた。しかし、そうではなかった。


「じゃあ、次は、あちらの杭のところへ転移してみせて」

 広い城の裏庭を利用して、庭の端から端へと転移するよう指示された。トーキョからナグヤまで一気に転移可能なカイトにとって、逆に、短い距離の転移は至難の業だった。何度も失敗を繰り返し、城壁にたくさんの穴を開けたが、数日を経て、なんとか庭の中だけでの転移に成功した。

「じゃあ、次は、半分の距離のところの杭までね」

「さらに、半分」

 そうして、短い距離を正確に移動するための訓練が日々行われた。


 また、カイトを中心に何重にも同心円状の白線の輪を描き、これを使った訓練も行われた。

「一番内側の輪のところまで転移範囲を広げてみて」

「次は二番目の輪のところまで」

「三番目の輪のところまで」

 そうして、転移範囲を少しずつ広げる訓練を行ったかと思うと、一番内側の輪と二番目の輪の間にもう一本輪を描き、転移範囲を細かく制御する訓練も行われた。


 こうして、転移距離を伸ばす代わりに、リルム王女が彼に求めた訓練は、距離と範囲を正確にコントロールする訓練だった。そうした訓練を連日受けてきたカイトにとって、ジルギスの指示は、まったく問題ないはずだ。


「じゃあ、いきますよ。魔術跳躍サルト!!」


 すぐ傍に立つジルギスを連れて一緒に転移をする。念は十分に練れたし、魔力も問題ない。リルム王女との訓練のお陰で、庭の中だけでの転移も可能だし、転移範囲もジルギスを伴って転移するのに十分な範囲。ジルギスが何を試そうとしているのかは分からないが、まったく問題ないはず……。

 そう確信していたのに。転移魔法は発動しなかった。


「あれ……。おかしいな。うーん。ジルギスさん、手を」


 もう一度。今度はジルギスと手を繋いでみた。手で触れていることで、一緒に転移するイメージがより明確になるからだ。しかし、またしても駄目だった。

 さらにもう一度。今度は、副長のオリディアが編み出した詠唱で試してみる。


瑠璃るりの空を統べる精霊王エアリウスよ。琥珀こはくの地を統べる精霊王ラグリスよ。我に空地渡そらちわたりの力を与えん。魔術跳躍サルト!!」


 駄目だった。


瑠璃るりの空を統べる精霊王エアリウスよ。琥珀こはくの地を統べる精霊王ラグリスよ。我に空地渡そらちわたりの力を与えん。魔術跳躍サルト!!」


 何度試してみても、駄目だった。


「精霊王エアリウス! 精霊王ラグリス! 魔術跳躍サルト! 魔術跳躍サルトぉ!! 魔術跳躍サルトぉぉぉ!!!!」


 ジルギスはそんなカイトの様子を静かに観察している。疲労が溜まっている時や集中力を欠いた状態以外で術が発動しないなんてことは今までなかった。カイトは明確な理由もなく、術が発動しないという初めての事態に驚き、焦りを隠せないでいた。


「なんで? なんで!?」

 ジルギスが静かにカイトに話しかけた。

「カイト。お前、十年前に姫殿下を救った坊主だろう?」

 端正な顔立ちで鋭い眼差しを向けられ、カイトはすくんでしまった。駄目だ。姫様以外の人に秘密がばれてしまう。今、ここできっぱりと否定しなければ。すぐに答えなければ。「違う」と。「人違いだ」と。その一言を今すぐに……。しかし、術が発動しなかったことで気が動転しているところへ不意を突かれて、うまく言葉が出ない。


 そして、ジルギスの目。

 今さら否定して無駄な時間を使わせるなよ。ジルギスの目がそう語っている。カイトは射すくめられて言葉を発するどころか、身じろぎ一つ出来ない。


「……」

「沈黙は肯定と取るぞ。おっと、そんな恐い顔をするな。安心しろ。俺は別にそれを知ってお前にどうこうしようってわけじゃない。ただ、ちょっと気になってな」


 ジルギスはカイトの緊張に気がついて、表情を和らげた。

「うーーん。残念ながら最悪の形で予想があたっちまった。お前はその時のトラウマで、人を連れて転移出来なくなっちまってるようだな」

「トラウマ……僕が?」

「自覚なかったか」


 カイトはこくりと頷いた。

 人を連れて一緒に転移した時に、転移範囲の設定を間違えると、また相手に酷い怪我を負わせてしまう可能性がある。怪我どころか、場合によっては殺してしまうかもしれない。

 十年前、リルム王女を救うためとはいえ、転移範囲の設定に失敗し、王女に酷い怪我を負わせてしまった。

 その恐怖が、潜在的な恐怖がかせとなり、術が発動しない。今のカイトの状態は、そういうトラウマによるものだと、ジルギスが言った。


「そんな……でも、姫殿下との特訓で、転移範囲のコントロール、ちゃんと出来るようになってきてるのに」

「技術的には問題ないし、ある程度自信もついてきてるんだろうが。それでも、どこかで失敗することへの恐怖があるんだろう。仕方ないさ。姫殿下の足の怪我が自分のせいだ、なんて、五歳の餓鬼んちょには荷が重すぎるってものさ。

 さぁて、と。だけど、こいつは、なんとかしないとな。姫殿下も俺も、お前に月まで連れてってもらうつもりでいるんだから。まぁ、姫殿下にこんな危険なことをさせるわけにはいかないから、うまく諦めてもらわないと駄目だが」

 そう言うと、ジルギスはカイトの頭に手を乗せ、髪をしゃわしゃわと撫でながら、目を細めて優しく笑った。


   🌗


 それからは、昼はリルム王女の指示による訓練。夜はジルギスと二人で秘密の特訓を行うことになった。昼間は引き続き、距離と転移範囲を細かく、正確に制御することを目的としたメニューだった。

 そして夜は人を連れて跳躍するための特訓。まず人に見立てた木型で。これは問題なかった。次に布地に綿を詰めた、木型よりは人っぽい等身大の人形。これも問題なかった。さらに人間以外の生き物。最初はイナゴ。次にネズミ。順に大きくしていった。いずれも問題なかった。しかし、ジルギスを連れて転移しようとすると、まったく術が発動しない。こうして、成果のあがらぬまま数日が過ぎた。

 リルム王女がカイトの抱える問題に気づくのも時間の問題と思われた。


「なぁ、カイト。お前は何のために月へ行くんだ?」

「え……と。戦争にならない……ため?」


 突然投げかけられた質問に、どう答えれば正解なのかわからず、知らずカイトの答えは語尾が上がる。


「駄目だ」

 違う、ではなく、駄目だと言われ、カイトは混乱する。

「えっと……、姫殿下の命令だから……」

 答えを探り探り、そう答えるカイトに対して、それまで静かだったジルギスの語調が急に鋭さを増した。


「カイト。そんなんじゃお前、生きて帰ってこれないぞ。それどころか、月に辿り着けもしないだろう。もっと自分の中に目的意識を、理由をもたないと駄目だ」


 カイトはわけがわからなかった。人を連れて転移出来ないことで怒られるというのならまだしも、目的意識とやらが足りないと言われても。

 実際、カイト自身は月に行きたいとは思っていない。ただ、戦争を回避するために月の石を持ち帰らなければならない。そう聞かされ、そしてその任を自分が期待されている。自分の能力を活かせばできる。そしてそれは自分にしかできないこと。だから、なんとなく月へ行こうとしている、それだけだった。


「今日はそのことで人を呼んでいる。もうすぐ来る頃合いだが……」

「よ、待たせたかな」


 その声に振り返ると、いつの間にそばまで近付いたのか、カイトの直ぐ後ろに銀髪の男が立っていた。ぶどう酒のような深い赤に黒いワンポイントをあしらったジャケットは、外務省直属の諜報部の制服だ。堅苦しい印象の制服だが、袖を捲くって涼しげに着こなしている。口元に張り付いたニヒルな笑みも相まって、妖艶という言葉がこれほど似合う男もそういない。

 ジルギスと共に、王宮勤めの女性たちの人気を二分するバルシアがそこにいた。


 明るいライトブルーの制服に黒髪のジルギスと並ぶとその対比が不思議な調和をもたらし、見るものの目を釘付けにする。水と油。一見そう見えるのに、ジルギスとバルシアは仲が良かった。年齢が同じで、入省したのも同じ年。互いに助け合い、切磋琢磨して今の地位を得た。もっとも、ジルギスは前任者の不慮の事故もあって、今は省長。階級的には上なのだが、それでも、二人の関係は対等だった。


 脱線ついでに言い添えると、ジルギスとバルシアは、よく肩を並べて談笑する様子が王宮内で目撃されていた。これも女性たちの好奇心を刺激するらしい。人気を二分すると言ったが、派も少なくなかった。


「また人を食った登場だな」

「わりぃ。ま、趣味みたいなもんさ。で、この坊やが例の?」

「ああ、カイトだ。カイト、こいつは……」

「諜報部のバルシアだ」


 ジルギスの紹介に割って入り、自己紹介しながら、流れるような柔らかな物腰で手を差し出す。思わずその手を握り返しながら、

「カイトです……どうも」

 カイトは短く、それだけ言うと、ジルギスが夜の秘密特訓の最中にバルシアに引き合わせようとした、その目的を測りかねて黙った。


「本当に聞かせちゃって良いのか?」

 ――もちろん、そのつもりで呼んだんだろうがな。

 ――まぁな。

 バルシアとジルギスは声に出さず、目だけで互いの意志を確認しあった。


「さて。これから俺が君に話すことは、王国内でも限られた者しか知らない、言わば国家機密だ。他言無用。わかるな?」

 カイトは生唾を飲み込みながら、こくりと頷いた。それはジルギスも、ほんの数日前に、渋るバルシアから聞き出したばかりの重大機密だった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?