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第3話 月までの距離

 父王ふおうクレダインとリルム王女が三十人は座れそうな長いダイニングテーブルをたった二人で囲んで夕食をとっている。父王クレダインは、十年前、月の魔術門ゲートの犠牲になったバークレー王の嫡子だ。その時は、たまたま王国を離れていたため事故に巻き込まれずにすみ、今は後を継いでシュタークの国王の座についている。いくさを嫌う仁政の人ではあったが、心根が優しく人を信じすぎるのが長所でもあり、同時に短所でもあった。


「リルムよ。今からでも遅くはない。ラクーアを割譲かつじょうして、ガルス共和国に頭を下げたほうが良いのではないか?」

「お父さま。それは絶対に駄目。奴らがラクーアだけで満足したりすると思う? あいつは、ラクーアだけで満足したりなんてしないわ」

「果たしてそうだろうか? 地理的にも歴史的にも、領有権を主張するのは、あくまでラクーアだけだと彼らは言っておったが……」

「お父さまは、あんな奴らの言い分とわたくしと、どちらをお信じになりますの?」

「そうは言うがなぁ。リルム。儂はお前を……」

「でしたら。もっとわたくしに協力してください!」

「しておる、しておる。内務省、物理科学省、魔法省。お前の言うままに協力させておるではないか」


 王は娘の剣幕に呑まれながら、辛うじてそう返した。リルムは父親よりも、先王バークレーの気質を色濃く引き継いでいた。わずか十五歳だが、王としての素質を強く示し、まとうオーラも只者ではない。


「では、次は地理省の方へも協力の要請をお願いします」

「わかった。全部お前の自由に使って構わない。財務省の方にも話を通しておく。皆も、これが王国を救うことになるのなら、協力を惜しまぬだろう。しかし……」


 ――しかし。お前が肩入れしておる魔法省の小僧は、お前に大怪我を負わせた張本人だと聞いたぞ。それが本当なら看過できんのだが。


 内務省の省長から聞いたこの話をリルムにすべきかどうかと逡巡する。もし、リルムが承知の上であるならば、これを口にすれば、娘は烈火の如く怒り出すことだろう。クレダイン王は喉まで出かかった言葉をそっとワインと一緒に飲み込んだ。


   🌗


「では姫殿下。おやすみなさいませ。私は控えの間に下がらせていただきます」


 お付きのガーベラがそう言ってリルム王女の寝室を退出する。リルムは「おやすみなさい」と返すと、重ねた枕に腰を預け、上体を起こした姿勢のまましばらく待つ。

 ――一、二、三、四、五……。

 ゆっくりと十まで数え、ドアの向こうのガーベラの気配が消えるのを待つ。それからリルムは大きく一つ溜め息をついた。溜め息と一緒に張り詰めた緊張の糸をほどいていく。そうして、シュターク第一王女の殻を脱ぎ捨て、十五歳の少女に戻ったリルムは、両腕いっぱいに抱えた黒いふかふかのクッションに顔を埋めた。


「あーん! どうしよ、どうしよ、どうしよう! 『眼鏡めがねくん』だなんて! あたし、カイトに酷いこと言っちゃったかも! リルムのバカ、バカ、馬鹿ちん! 変なところで見栄なんか張っちゃってさ。あーっ、本当にバカ!」


 リルムの腕の中のクッションが、クゥクゥと鳴いた。真っ黒な羽毛に包まれた翼を広げ、前足をリルムの肩に掛けて金色の瞳を細めると、リルムに頬ずりをする。クッションの正体は、全身を真っ黒なふわふわもこもこの体毛に覆われた翼狼ウイング・ウルフだった。見た目は確かに狼に似ているのだが、卵生で四本の脚とは別に背中に翼をもっている。哺乳類や鳥類ではなく、ドラゴンの近縁種だ。


 リルムの誕生のお祝いにと、その頃はまだ良好な関係にあったガルス共和国から送られたもので、リルムと同じ十五歳。長命な種族であり、人の年令にするとまだ五歳といったところ。だが、リルムにとって翼狼ウイング・キウルフのプルルは、兄であり、弟であり、自分の弱さをさらけ出せる唯一無二の友人だった。


「プルル、ありがとう。でも、駄目なのよ」


 戦争を回避するための提案として、月の石を持って帰る提案をした時の、ガルス共和国の宰相の下卑げびたニヤけ面を思い出す。


「このミッションに私情は禁物。頑張れ、リルム。負けるな。あー、でも、でも……」

 ――カイトさんに嫌われたくない……。

「次から、カイトさんって言おうか。でも、唐突かな。距離感おかしいよね。カイトくん? それ、もっと距離感おかしいよね。あぁ、なーんで、最初『眼鏡めがねくん』だなんて、言っちゃったんだろう! リルムのバカ、バカ!」

 リルムの答えの無い堂々巡りの思考は続く。普段、竹を割ったように歯切れがよいだけに、ギャップが激しい。王女の隠された一面を知っているのはプルルだけだった。プルルは大きく欠伸をすると、リルムの腕の中で、クッションに見えた時の姿勢に戻って再び目を瞑るのだった。


   🌜


 それから二週間。その間、毎日リルム王女主導のもと、カイトの能力を見極める実験が行われた。実験のたびにカイトの怪我が増えていく。同時に、ヘルメット、プロテクター、酸素ボンベ、パラシュートと装備の方もどんどん追加されていく。


 飛距離の確認。これは五十リューグが限界だった。

 携行重量の確認。自分の体重の数倍の重りを持つと、飛距離はぐっと縮まった。そのため、装備品の軽量化も課題だった。

 転移範囲の確認。これも制限があるらしく、あまり大きな範囲はだめだった。


 そして水平方向ではなく、上空へ、空へと転移する実験。これも芳しくなかった。水平方向であれば五十リューグは飛べるのに、垂直方向では、たったの二リューグ程度しか転移できなかった。

 しかし、これは幸いというべきか。高度二リューグというと、距離は大したことがないようだが、それでも対流圏と成層圏の境い目に近い。気圧は地上の約十分の一。気温もマイナス五十度近い。

 パラシュート以外の装備を準備せずに挑んだ垂直方向への転移実験の初回は、急な減圧と低温のせいで空中で気絶してしまい、パラシュートを自力で開くことも出来なかった。危うく墜落死しかねない状態で落下するカイトを発見したのは翼狼ウイング・ウルフのプルルだった。プルルが吠えたことでジルギスが気が付き、彼の空中浮遊の魔法でカイトは間一髪助けられた。

 高度二リューグでそんな状態だった。まして、それ以上の高度となると、相応の準備なくして挑むこと自体、生命の危険を伴うことがわかった。


   ●


 ローリエの枝を芯材に、大小沢山の宝玉をはめ込んだ特別あつらえの杖。貴族相手の商店ですら、扱い兼ねるほどに高価にみえる。幾らするかなんてわからない。とても自分のお金で買えないのは確かだ。そんな立派な杖を振ると、カイトの回りにゆらりと空気の流れが現れ銀髪がなびく。流れは徐々に強くなり、周囲に大きな風のうねりが巻き起こった。


瑠璃るりの空を統べる精霊王エアリウスよ。琥珀こはくの地を統べる精霊王ラグリスよ。我に空地渡そらちわたりの力を与えん。跳躍サルト!!」


 詠唱を終えた彼は、念を一気に開放した。


 疾走! 飛翔! 鼓膜を破らんばかりの轟音! 身体の芯にずしんと響く振動! それらはすべて一瞬の出来事だった。……そして海水!


 ――海水!?


 魔法発動直後の硬直で身動きの取れないまま、カイトは押し寄せる海水に包まれ、海の底へと沈んでいく。

 転移魔法は、離れた二つの空間の間で物質を入れ替える魔法。今頃、魔法省の中庭には、すり鉢状の穴が開き、そばにいた省長と副長は、大量の海水を浴びているだろう。


 ――副長、服が濡れて怒ってるかな。


 彼と一緒に転移してきた周りの空気は、浮き輪のような大きなドーナツ状の泡となり、海面目指し駆け上っていく。


 ――プロテクターに浮力がないと、こういう時に溺れちゃうな。


 泡を追って海面を見上げるカイトも、硬直の解けはじめた手足を必死に動かして、水を吸って今や重りでしかないプロテクターを外すと泡を追いかけた。


 ――東へ転移して……海に落ちた。ざっと二百リューグは飛べたのか。新記録だ。これまで、せいぜい五十リューグだったから約四倍。さすが省長お手製の特別な杖と副長が編み出した詠唱の力は凄い。


「ぷはぁっ!」


 日の出前の薄明りの中、陸地は近かった。


   🌒


 地理省から借りた計測器で空にかかる月を捉え、水平、垂直の角度を記録する。次は国の西端でも同じことを繰り返す。

 こうして距離の分かっている二つ地点でほぼ同時に月を観測し、角度を計測する。日を変えて十回。三角関数を使えば、実際に距離を測らずに、遠く離れた月までの距離を導きだすことができる。三角測量と言われる技法だ。

 そうしてカイトが持ち帰ったメモから月までの距離を計算によって導きだすことに成功した。その距離、ざっと八万リューグ。


眼鏡めがねくんの転移魔法が二百リューグだから……四百回繰り返せば行けるわね」

「無茶です」

「やるの。転移距離を伸ばして回数を減らす。空気が無いならそれも持っていく。他にも課題はあるだろうけど。一つずつ解決していくの」


 地理省から魔法省へと向かう廊下を、王女の車椅子に並んで歩く。今はお付きの者もおらず、二人しかいない。カイトは意を決して、これまで心にわだかまっていた質問を王女にぶつけた。


「姫殿下。なぜ月なんです? 月は……先代の王が魔術門ゲートに吸い込まれたあの事件の……」

「まだそんな昔のことを気にしてるの?」

「……だって。姫殿下の足がそうなっちゃったのは僕のせいで。その……ごめんなさい」

「そうよ」


 カイトの言葉に被せてきっぱりと肯定した後、リルムは一呼吸おく。言いたかった言葉を、今こそ伝えなければ。カイトに伝えたい思いがあったのと同様、リルムにもまた、伝えたい思いがあった。


眼鏡めがねくんのせいで、私は死なずにすんだ。眼鏡めがねくんが。私を助けてくれたのよ」

「ですが……」

「ねぇ。今度は、この国を救ってくださらない?」


 そう言うと王女はニコリと微笑んだ。伝えたかったことの半分も伝えられなかったと、内心、忸怩じくじたる思いに駆られながら。


   🌓


 その頃。隣国ガルスで内燃機関による飛翔体が打ち上げられたとの報せが王国にもたらされた。

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