屋敷の門の前に馬車がありました。
侯爵様が下りると、頭上高くを飛んでいたワイバーンが姿を現しました。
侯爵様を狙っているように見えました。
「あ、危ない!」
「だ、大丈夫。ま、マリオンならね」
侯爵様は禍々しい色の剣をどこからか取りだし、ワイバーンの首を一瞬で切り落としました。
地面に沈むワイバーンに向かって指を鳴らすと、ワイバーンは消え、今度は馬車に向かって指を鳴らし、半透明のバリアのような物を張りました。
よくよく見たら屋敷の周囲にも同じ物が張られていました。
「レイオス、お前の嫁さんを連れて来るのが終わったら、また防御壁元のサイズに戻したな!」
「い、いいだろ! お前が、ひ、頻繁に、きそう、だ、だったから!」
「友人相手にひっでぇ!」
「う、五月蠅い! し、新婚生活に、か、顔を出す、お、お前が、わ、悪い」
「いや、お前がまともな新婚生活を送れているか気になるし」
「う、五月蠅い!」
侯爵様とレイオス様、本当に仲が宜しいのでしょうか?
むしろ悪いように見えますが。
ですが、親しき仲にも礼儀あり。
親しき仲であるからこそ、こう口が悪くなるのでしょうか?
「こ、ここに、来るって、事は、な、何か、り、理由が、あ、ある、ん、だろ!」
「そうそう、夫人に知らせたくてね」
「?」
「君の実家と、継母の実家、平民降格財産没収になったよ」
「……」
「ただし、君はそれに入らない。もう既に英雄伯爵の妻になっているから、妻の遺産を取り上げるのは不可、というか宜しくないと君の母君の友人達全員で国王陛下にお願いしたらすんなり受け入れてくれたよ。君の母君は国王陛下も、王妃殿下も好きな人だったから」
初めて聞きました。
ですがそれより、来るのはやはり。
ざまぁみやがれ、あんなに税を取ろうとして豪遊したり、借金したりするから平民降格になるし、財産没収になるんだ。
父も私を顧みなかったし、ざまぁみろ。
お祖父様とお祖母様には悪いけど、あの盆暗はどうにもできなかったのは仕方ないと諦めていただきたい。
こっちもお母様も相当努力してあの様だったのだから。
養子を取れば良かったのにと思ってしまう。
せっかく百年以上の歴史のある子爵家が潰されてしまう結末になるのはお祖父様とお祖母様なら読めていたでしょう。
それとも……母の病気が想定外だったのか。
それはあり得る。
父が継母──当時の愛人に金をつぎ込んでいなければ、母は十分な治療を受け死なずにすんだのに、私の調剤錬金術の腕が今のレベルに到達していたら救えたのに。
ああ、忌々しい。
豪勢な結婚式を挙げたが領民は誰も参加せず、貴族も継母の親族しか参加しなかった。
私も参加しなかった、覗き見ただけ。
領民と共に、母の喪に服していたから。
黒い服を着て、墓地に小さい墓の前で皆と花束を捧げたことを覚えている。
その花束を踏みにじった父達に、憎悪の感情を抱いてから、私は奴らの破滅だけが待ち遠しかった。
直接見ることは叶わなくとも、母の人生を踏みにじった彼奴らにはもう輝かしい未来がないのだと思うと安心した。
ぽろりと涙がこぼれた。
「あ、アイリス、悲しい、の?」
「いえ、違いますレイオス様。薄情かもしれないけれど嬉しいんです」
「うれ、しい?」
問いかけに私は頷いた。
「父はお母様が病気になる頃から、継母──愛人だった奴らに金をかけ、お母様には金をかけようともしなかった、結果お母様は病気が悪化し亡くなった」
「──ああ、知っている。君が必死に薬草を領民の薬師に煎じて貰って居る間に母君の部屋を訪れ治療師を紹介しようとしたら断られた、あらぬ疑いをかけて自分の不貞を隠して私の不貞で家を追い出そうとしているから、と」
「……お母様はそう言って外に助けを求めませんでした」
そう、お母様は必死にそれでも家を守ろうとしていたのです、奴らから。
自分の命を削ってまで。
「連中はお母様の財産を探そうとした、でも家の何処にも無かった。だから私は言ってやった『全てお前達が使った』と。使用人達と共に」
「実際は家の外にあった、領地の森の中に、だから奴らは気付かなかった。そして、毎日のように社交場に出掛けて、男あさりをしていた継子と、それを黙認していた継母と君の父」
「『エミリア様のご息女アイリス様がその家に居る限り、私達は貴方の為にだけ連中に社交場を提供しよう、貴方がいなくなったら、受け入れない。だからどうか逃げて欲しい、一日も早く』と、書かれた手紙が私にだけ届きました」
「アイリス……」
「もっと早く逃げれば良かったでしょうか」
「いや、ちょうどいいタイミングだった。お陰で君の資産──君の母君の形見を守れ、君の立場も守れるレイオスと結婚できたんだから」
「それなら宜しいのですが……」
「あ、アイリス」
レイオス様が私の手を握ってくださいました。
「こ、ここでは貴方を、き、きず、つけ、ない。だから、あ、あんし、んして、くだ、さい」
「──有り難うございます、レイオス様」
私は会釈をしました。
お母様はもう居ないけど、家族となれる方が今はいる。
ただ、本当に打算の結婚だからこそ、温かい愛のある家庭を望むのは強欲でしょうか?
「レイオス様は、お母様と交流は、ありましたか」
「う、うん」
お母様の交流の幅はどれほどなのだろう。
才女として名高い事も知っていた。
本当は別の家に嫁ぐはずが、とある子爵家──私のお祖父様とお祖母様が頭を下げて母に来て欲しいと頼み込んだそう。
お母様の両親は、最初拒んだそう、才能あふれるお母様をそんな資産はあるが跡取りが盆暗な家に入れたく無かったのでしょう。
しかし、お祖父様とお祖母様が何度も頼むから折れ、お母様を子爵家に嫁に出したという。
お母様の実家は知らない。
どうやら遠方にある人の子爵家らしいということしか知らない。
家督は頭の良い兄が継いだとお母様が言っていた。
お母様が死んでも来なかった。
お母様は見捨てられたのだろうか。
「アイリスちゃん、君の実家は君を見捨ててない」
「どうしてですか?」
「実は家の内部で争いがあったんだ、エミリアをあんな子爵家にやるから早死にしたんだと言う君の伯父上と、母方の祖父母の間でね。漸く和解して、私が君をレイオスのところに嫁がせたことを知らせたんだ」
「なんと?」
「すっげぇ罵倒された。私達の許可無く孫娘──娘の忘れ形見のアイリスを嫁がせるなんて酷いではないかと」
「は、はぁ」
いや、お母様のお母様とお父様は私に関わらなかったでしょう?
「こっちは遠方で中々会いに行けなかったし、領地は良いものではないから大変な中助けたかったのに! とまで言われたよ」
「お母様の実家の領地はあまり豊かではないのですか?」
「善政で統治していても、やっぱり元の土地があまりよくないからねぇ。ただ私が品種改良手伝っているから、それなりに良くなるよ」
「それは、良かったです」
「で、漸く落ち着いたから会いたいってさ」
「ぼ、僕は嫌だよ。あ、アイリスは僕の、側にいるんだ!」
レイオス様は私を抱きしめます。
侯爵様はあきれ顔。
「お前本当引きこもりだな」
「う、五月蠅い!」
レイオス様は顔を真っ赤にしています。
炎の体がちょっと熱い。
「レイオス、クールダウンしろ。お前の炎の体で嫁さん火傷させる気か?」
「⁈ ご、ごめんよ……」
「いえ、大丈夫です」
大丈夫じゃないけど、我慢は慣れている。
「が、我慢しないで? ね? ね?」
レイオス様が不安げに顔を覗き込んできました。
私は息を吐き出します。
「少し熱い程度ですから大丈夫です」
「ご、ごめんよ……」
レイオス様は私を抱きしめるのを止めて、少し距離を取ります。
真っ赤だった顔も黒に戻りました。