宮殿を去ってから数日後、天使の長老オリバの弟である大天使ガリオは呆気なく見つかった。
長老から受け取った羽はガリオとの距離が近づくと輝きを増すらしい。平野を過ぎ、山と谷を越え、文明圏から離れるに比例して羽の煌きが強くなった。
彼は下界の片隅で悠々自適に暮らしていたのだ。
私が長老オリバの使いであることを告げた時は、嫌味な表情を浮かべながらも簡素な自宅に招き入れてくれた。
「で、兄上の使いが何用かな」
ガリオは豊かな頭髪と美しい髯をそよ風にたなびかせていた。その姿に大天使としての威厳や気位の高さはない。完全に世捨て人だった。
「は。実は先日、天界が魔王軍の攻撃を受けたのです」
「ほお?」
「ガリオ様もご存知の通り、天界はオリバ様が認めた者しか立ち入ることができませんし、侵入すれば我々天使が気づきます。しかし」
「気づけなかった、と」
「はっ。侵入者は何者かが魔法で創り上げた異形の怪物でした。更にその怪物は洗脳操術の呪文を使い、宮殿にいた衛兵や姉妹たちを洗脳し盾にしたのです」
「……言いたいことは分かった。その怪物を俺が天界に送り込んだと兄上は疑っているのだな?」
「…………はっ。恐れ多くも、私や姉妹たちもそう疑っております」
「よい。洗脳操術の呪文をそこまで高度に扱えるのは兄上と俺くらいだからな。しかし残念ながらお前たちの推測は外れだ。俺は今回の戦争にまったく関係ない」
「…………しかし」
「言葉だけでその証がない、か?」
「………………」
「よかろう。…………兄上」
ガリオが長老に思念を送った。彼は私たちに会話が聞こえるように取り計らってくれた。
「その声、まさかガリオか?」
「お久しぶりです兄上。なにやらフィンディラムは大変なことになっているらしいですね」
「どの口が言うか。お主も魔王の軍勢に加担しておるのだろう。こちから腕利きの天使を使わした。お主が見つかるのも時間の問題じゃ」
「天使シルヴィなら私の目の前にいますよ。会話も聞いている」
「なに!?天使シルヴィ、本当か?」
「長老様」
「なんと。であれば早くこやつを連れてこんか」
「俺は天界に戻るつもりはありません。先ほど、天界が襲撃されたと聞きました。兄上は俺の仕業ではないかと疑っておられる。そうですね?」
「私だけではない。天界の者全員がお前を疑っておるわ。大天使の位を得ながら、なんたる体たらくじゃ。堕ちるところまで堕ちたなガリオ」
「そう焦らないでください。天使シルヴィにも伝えましたが、俺は戦争にまったく関わっていません。ここでのんびりと暮らしているだけですよ」
「信じられるか」
「それを証明するためにこうして俺から思念を送っているのです。私が直近で使用したマナの履歴を見せましょう。それで納得できますよ」
そう言うと、ガリオは、手を天井にかざして瞼を閉じた。
「………………むう」
長老の唸り声が聞こえる。
「言ったでしょう。関係ないと」
「確かにお前の言う通りじゃ。最後に魔法を使ったのはおよそ百年前になっておる…………」
「でしょう。これで納得していただけましたかね」
「…………よかろう。マナの動きを誤魔化すのは不可能じゃ。お前を信じよう。天使シルヴィ、務めご苦労じゃった。引き続きサンタクロース殿と行動を共にし魔王軍を迎え撃て」
「はっ」
「……………………」
長い沈黙の後、長老は思念を閉じた。
「まったく。俺の様子が気になるならそう言えばいいのだがね」
ガリオは頭を掻きながらため息を吐いていた。
「天使シルヴィ、お前の横にいるのがサンタクロースなる人物か?」
「は。私がテラディラムから召喚しました、勇者です」
「テラディラムか。あちらもかなりのものらしい。サンタクロースに宿る聖なる力は尋常ではない。このまま見続けていると、目が眩んでしまいそうだ」
「それほど、ですか」
「お前には見えないのか?」
「…………残念ながら」
「そうか。お前たちの任務は終わった。もう帰れ。これから昼寝する。老人の貴重な時間を邪魔するんじゃない」
「こ、これは失礼いたしました。ご協力ありがとうございます」
「ああ」
「ガリオ殿、少しいいですかな」
それまでまったく喋っていなかったサンタが口を開いた。
ガリオは煩わしそうな顔をしながらも「なんですかな?」と答えた。
「いやなに、なぜこんな辺境な地で暮らしているのか気になりましての。見て頂いたら分かると思うが、私も老人。老人は細かいことが気になりますからの」
「…………はっはっはっはっは!」
ガリオが大声を上げて笑う。私はなにが面白かったのか分からなかった。
「いいでしょう。大した理由ではないですがね。単純に兄上の定めた統治が上手くいっているのか、下界から見てやろうと思っただけです。天界で見ることもできますが、あそこは居心地が悪いのでね」
「ガリオ様は天界から追放されたのでは…………?」
「追放と言ってもただ追い出されただけだからな。その気になればいつでも戻れるのだよ。兄上のことだからその辺は誇張して伝えているのかもしれんがね」
「……なるほど。お気持ちはわかります。私も地球では人のいない雪の大地で仲間と暮らしておりますから。しかしガリオ殿はお一人のようだ。寂しくはありませんか?」
「あまり気にしたことはないですね。それに、ごく稀ですがここを偶然見つけてしまう者もいてね。たいていは好奇心旺盛な子供たちなのです。彼らと接するのは中々楽しい。なんでも知りたがりますから、昔話や魔法の話をしてやれば喜んではしゃぎまわってますよ」
ガリオの顔がほころんでいる。ヒトを思う柔らかな表情は、まごうことなき天使のものだった。
「そうですか。子供はいいものですな。世界の宝だ……。おっと失礼。話が長くなってしまいました。それでは私たちはお暇させていただきますかな。ヴィいや、行こうか」
「はい。それではガリオ様」
「サンタクロース殿ならいつでも歓迎です。またいらしてください」
「それではまたいずれ」
ガリオの自宅を後にした私たちは、とりあえず軍を進めている魔王軍の対処にあたることにした。
そんな時、またしてもオーリヤから急報があった。
「遂に魔王が出てきたみたいです!」
いよいよか。
「サンタさん、魔王が陣頭に立ったみたいです」
「……ヴィいやよ、私に魔王が救えると思うか?」
「…………分かりません。ゴードンのような例もあります。しかし、魔王は救えなくても、この世界を救うことはできますよ」
「そうか。……そうだな」
私たちはオーリヤから伝えられた場所に向かって空を翔けていた。