目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第10話 聖域への侵入

「お姉さま!」

 宴を楽しんでいるところにオーリヤから思念が送られてきた。

 席を立って皆から離れる。思念での会話は他人に聞かれることはないのだが、癖でそうしてしまう。

「オーリヤ、どうしたの?」

「大変なんです!天界に魔王の軍勢が攻め込んできました!」

「なんですって!?」

「突然のことでこっちは大混乱です。私たちに気づかれることなく侵入できるなんて…………。お姉さま、勇者様を、サンタ様をこっちに呼んでください!どうか――」

「……!?オーリヤ?どうしたの!?」

 オーリヤとの会話が切れた。こんなことははじめてだった。

「ヴィいや、どうしたね?」

「サンタさん……。さっき妹から急報がありました。どうやら天界に魔王軍が攻め込んできたらしいのです」

「なんと」

「オーリヤはサンタさんを天界に連れてくるよう言っていました……いったい何が」

「分かった。急ぎ向かおう。取返しがつかなくなる前に」

「はい!」

 私は村長に急用ができたため村から離れると伝えた。

 村長をはじめ、村人と亜人たちは残念がっていた。しかし無駄に引き留めようとはしなかった。

 天界の宮殿に戻るための呪文を詠唱する。ほんのわずかな間だったが、彼らは私たちを見送ってくれた。

 宮殿に戻った私は、空気中に漂っている聖なるオーラが穢されているのが分かった。フィンディラムが誕生してからこんなことははじめてだった。周囲では衛兵たちが武器を携え正門へと駆けている。

「お姉さま!」

 オーリヤの声がした。振り向くと奥の方からこちらへ向かって慌ただしく走って来ている。

 白亜で美しい髪は乱れ、空を閉じ込めたと謳われている青い瞳は震えていた。

「オーリヤ、天使がそんなに怯えてどうしたの」

「す、すみません。でも……!あ、あれ!」

 突如轟音が響いた。音は正門の方から聞こえる。

 見ると、そこには不定形の異形の姿があった。以前下界でサンタが倒したものよりはるかに巨大だった。体は粘液で覆われており、常に流動し蠢いている。見ているだけで不愉快な存在だった。

「あの化け物、私たちの攻撃がまったく通用しないんです。それに……」

「それに、なに?」

「他のお姉さまたちや、衛兵たちが…………!」

 オーリヤはすべてを言い終わらない内に口を閉じたが、彼女が言いたかったことはすぐ分かった。

 異形の足元で人の形をしたものが緩慢な動作で私たちに近づいて来る。それは先ほど異形に立ち向かっていった衛兵たちだった。白目を剥き、口をだらしなく開けているその姿からは知性や意思といったものを感じなかった。衛兵だけではない。背中に翼を生やした姉妹の何人かも同じようにのそのそと歩いている。

「催眠、もしくは洗脳操術の呪文……!」

 洗脳操術の呪文は召喚の呪文と同じかそれ以上に高度な呪文だった。洗脳を施す対象者のマナと思考に働きかけて、それらを完全に掌握しなくてはならないからだ。天使の中でも呪文を操れる人物は限られている。一人は私たちの長老、もう一人は……。

「……まさか」

 この襲撃を計画し、裏で糸を引いている人物に思い当たった私は驚愕を隠せないでいた。

 早く長老に報せないと。

「危ない!」

 セイクリッド・ウイングの攻撃が私たち目掛けて放たれる。オーリヤが防いでくれる。

「ヴィいや、どうした?呆けた顔をして」

「な、なんでもありません……」

「サンタ様、私たち天使は同胞に攻撃することができないのです!だから手出しができないの!」

「しかし、あやつらはヴィいやとお主に攻撃をしておるぞ」

「サンタさん、多分ですが、洗脳操術の呪文によって彼女たちのマナの性質が一時的に書き換えられています!とんでもない呪力です。あんなことができるのは…………」

「お願いします!どうか助けてください!」

 オーリヤが割って入った。

 サンタは私たちの顔を見比べると笑顔を浮かべて言った。

「なるほど、そういう事情であったか。ならば話は早い!」

 サンタは黄金に輝く籠手を嵌めて、拳を構えた。

「元凶を倒せば良いだけのこと!」

 私はもう見慣れた光景だったが、オーリヤはサンタの素早さ、強さに目を奪われていた。

 サンタが飛び出して行った瞬間、彼は異形の目の前にいた。拳を一突きすると異形の胴体に風穴があき、蠢いていた粘液は蒸発する。異形は抵抗らしい抵抗を見せずそのまま蒸気となって消えた。

 異形が消え去ると、姉妹と衛兵たちは正気に戻った。

「天使シルヴィ様、勇者サンタクロース様、長老様がお呼びです!」

 伝令が私たちを呼んだ。

 私はオーリヤに彼らの介抱をしてやるよう言いつけ、サンタを伴って広間へと足を運んだ。

 広間では長老を囲むように姉妹たちが腰を降ろしている。ここに足を踏み入れるのは、サンタを召喚した日以来だった。どこか、懐かしい感じがする。

「天使シルヴィ、そして異世界より呼ばれし勇者サンタクロース殿、我が天界の危機を救ってくれたこと、礼を述べる。サンタクロース殿とこうして顔を合わせるのははじめてだな。私は天界と天使を統べる長、オリバと申します。以後お見知りおきを」

「恐縮です」

「…………さて、働きにはそれ相応の報いが必要だが」

「長老様、一つお聞きしたいことがございます。よろしいでしょうか」

「ふむ、言ってみなさい」

「ありがとうございます。我らが聖域に侵入してきた怪物は、洗脳操術の呪文を使っていました。あの呪文は並大抵の者では使うどころか唱えることもできません。加えて、傀儡を介して我々天使に呪文を行使するなど、フィンディラムを探してもそうはいないでしょう」

「…………」

「それに、天使に気づかれず天界へ侵入するなど、天使以外の者には不可能です。しかし、天使の紋章を持っていれば話は別です。そして、あの怪物は、天使は互いを攻撃することはできないという我々天使の弱点とも言える性質を知っていた。これらのことから今回の襲撃には天使が関わっていると考えています。長老様、長老様は私の考えについてどう思われますか?」

「…………………………」

 長老は無言だった。しばらくの間、広間は完全な静寂に支配されていた。

「…………ガリオ」

 長老が呟いた。姉妹たちは騒然としていた。ささやき声が静けさに取って代わる。

「長老様も、そうお考えですか」

「…………そう判断するしかないだろうな」

 大天使ガリオ。彼は長老の弟で、はるか昔に天界を追われた強大な力を持った天使として知られていた。

 伝説では、長老とガリオは下界をどう統治するかで意見が分かれた。

 長老は、下界には下界のやり方があるので、天使は必要以上に干渉せず、彼らに統治を任せるという主張。ガリオは天使が天界と下界を完全に支配し、下界は天界の統治下で存続させるという主張だった。

 対立を深めていた二人だったが、長老はあくまで意見が異なるだけでガリオの存在を否定した訳ではなかった。しかし、ガリオは長老に存在を否定されたと考えた。そしてある日、長老を襲ったのだった。だがガリオは返り討ちにあい、事情を知った神によって天界から追放された。

 いったいどこに落ち延びたのか。ガリオの行方は未だに分からない。

「魔王というのはガリオかもしれんな」

「し、しかし、追放されたと言っても、ガリオ様は大天使です。そのようなこと…………」

「あやつは昔から気性が荒かった。私は驚きはせんよ」

「…………」

「天使シルヴィ」

「は」

「どちらにしても此度の襲撃の黒幕を突き止める必要がある。ガリオでなければそれでもよし。だがガリオであった場合は我々で裁かねばならん」

「…………はっ」

「よってそなたに命じる。勇者サンタクロースを伴い、ガリオを探して真相を突き止めよ。奴が黒幕だったなら、私の前に連れてこい」

「…………かしこまりました」

「これを持って行け」

 長老が法衣の懐から一枚の羽を取り出した。天使の翼に生えているものだ。羽は純白に輝き、強烈なマナが宿っていた。ここにいる姉妹たち全員のマナを合わせても、この羽に流れているマナの質と量には敵わないだろう。

「これはガリオの羽。大天使の翼のもの。ガリオを探す助けになるじゃろう」

「ありがとうございます」

 長老から羽を受け取る。手のひらが熱い。このまま持っていると皮膚が焼けただれてしまいそうだった。

「おおすまんすまん。これで包んでおきなさい」

 白い布を受け取り羽を包む。熱さは消え、目もくらむようなマナの流れも見えなくなった。

「よろしい。さあ行け」

「はっ」

 私たちは広間を去った。

 大天使ガリオ。伝説の天使。

 彼の姿を垣間見れるかもしれないと思うと、恐怖と嬉しさで胸が張り裂けそうだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?