森から帰ってきた私たちを出迎えたのは村人の慄いたうめき声だった。
それもそのはず。サンタが乗るソリには招かれざる客がいるのだから。
「ホー!ホー!ホー!皆さんに私の新しい友達を紹介しよう。アウストディモウスとジェンだ!」
そんなことはまったく気にせず、サンタは意気揚々としている。
村人たちはどういう反応をすればいいのか分からないでいる様子だった。
「さ、サンタさんの友達?」
「でもあれって、川をうろついてた魔物だろ……?」
ささやき声が聞こえてくる。その声音には、恐怖とサンタを信じていいのかという疑心の念が含まれていた。
「あ、あのサンタクロース様、これはいったいどういうことでしょうか?」
村を代表して長老が一歩進み出る。体が震え、暑くもないのに額からは汗が噴き出していた。
「村長殿。私は彼らと話し合ったのだ。彼らはあなたたちに危害を加えるつもりはないと言う。むしろ、皆と友達になりたいのだよ」
村長が驚きのあまりあんぐりと口を開けていた。視線がサンタと魔物たちの間で右往左往している。最終的に私の方を見て「真でございますか?」と目で質問してきた。
「皆さん、サンタさんの仰っていることは本当のことです。彼らは確かに魔王軍に与していました。しかし、今は違います。サンタさんのおかげで邪心は失われています。彼らは、彼らの本来の望み、ヒトと友達になることを叶えるために私たちについてきたのです」
私の言葉でも村民たちを完全に納得させるのは難しいらしい。けど、それは当然だろう。魔物は恐怖を産み出す邪悪な存在だ、とヒトも私たち天使と同じく教えられてきたのだから。
【やっぱり駄目なのかな……】
アウストディモウスが呟く。魔物の声に村人たちは一斉に後ずさった。
【そうかもね…………故郷に帰ろうよ】
【そんなこと無理だよ。もし魔王の連中に見つかったら?逃げ出した罪で殺されるんだぞ!?】
【でも……じゃあどうしたらいいんだよ】
【…………】
「怖がる必要はありません。彼らは今、彼らの故郷に帰ろうかどうか相談しているだけです」
「天使様、奴らの言葉がお分かりになるのですか?」
「…………そうです」
「でもどうしてそんなことを?また魔王の軍勢に戻ればいいだけでは?」
「……一度逃げ出してしまったら殺されてしまう、そう言っています」
「…………そうだよ殺されればいいんだ!」
一人の男が声を張り上げる。男は支えられて立ち上がった。体中に包帯が巻かれていて、左脚は膝から先がなかった。
「俺の住んでた村はこいつらに襲われてなくなったんだ!女房や子供だって生きているか分からない!そんな奴ら死ねばいい!死ねばいいんだよ!」
男は握っていた石をアウストディモウスたちに投げる。サンタはその石を空中で掴んだ。
「あなたたちはあの者の村を襲ったのですか?」
アウストディモウスに聞く。
【い、いいや。俺たち偵察が任務だったから…………】
「彼らはあなたの村を襲ってないと言っています」
「だったらそいつらが村を見つけたせいだ!そいつらのせいで!そいつらのせいで!そ、そいつらのせい…………で……」
「お、おい!?大丈夫か?」
男はその場に崩れ落ちた。支えていた男が呼びかけている。見ると肩のあたりで血が滲んでいる。傷が開いたのだろう。
「天使様、こいつを手当てしてやってもいいですか?」
「もちろんです。下がりなさい」
「ありがとうございます。でも俺もこいつの言うことに賛成です。俺の村だって…………」
男はそう言いながら彼を負ぶって平屋の中に入って行った。
「どうかあの者を許してやってください」
村長が地に平伏している。私は彼を立たせて問題ないと言い聞かせた。
「村長殿」
「なんでしょうかサンタクロース様」
「確かにアウストディモウスたちの偵察が原因で村は襲撃されたのかもしれん。しかし、どうか彼らに機会を与えてやってはくれんか。皆同じ世界を生きる命だ。死ねばいい、殺されてしまえばいい、それで終わるのは悲しすぎる。無論、村が襲われたことは悲劇だ。あの男は救われるべきだ。だが、だからこそ、この者たちをここに置いてやってはくれんか。同じことを二度と繰り返さないために、ヒトと魔物という存在は、共存できると知らしめるために」
「…………分かりました。恩人であるサンタクロース様のお頼みなら断れませぬ。これでわしらもあなた様にちゃんとした恩返しができるというものです」
「ありがとう」
サンタに頼まれて話がまとまったことをアウストディモウスたちに伝えた。
アウストディモウスとジェンはソリから降りた後、村人たちに礼を述べ、あの男が入って行った平屋へと歩いて行った。
「さて、そろそろ行くかな」
「行くって、どこに?」
「決まっておる。人助けだよ。私の名をもっと知ってもらわねばならぬからの」
「でも、村人とアウストディモウスたちはどうするのですか?関係が安定するまで見守ってやった方がいいのでは?」
「論外だ。監視という行為は人の行動を制限し強制してしまう。それでは意味がないのだ。真心のこもった関わり合いでなければ、その関係はいずれ破綻する。利害によって成り立っているのならともかく、そういうモノではないからの」
「そうですか。…………確かにそうかもしれませんね」
「さあヴィいや出発するぞ!」
「天使様、サンタクロース様まことにありがとうございました。この御恩は忘れませぬ」
「ホッホッホ!それではな村長殿!」
そう言うと、トナカイたちは風を蹴って空へと飛翔した。
私は村人たちを一瞥して後を追う。
「オーリヤ、オーリヤ聞こえる?」
「シルヴィ姉さま。聞こえます。どうされましたか?」
サンタの言葉には同意したけど、不安をぬぐい切れなかった私は妹のオーリヤにあの村を見守るよう依頼した。
「ちょっとあなたに頼まれて欲しいの。今から言う場所に村があるわ。そこを天界からで良いから見守っていて欲しいのよ」
「分かりました。でもどうしてそんなことを?」
「……そこはヒトと魔物が一緒に暮らしているところだからよ」
「えっ!?」
「ということで、長老への報告もお願いするわね。じゃ」
「ちょ、ちょっと!?シルヴィ姉さ――」
思念での会話を終える。
サンタの乗っているソリはとんでもなく速い。どういう原理で飛んでいるのかも不明だし、サンタの友人とはいえトナカイという動物に我々天使と同等以上の速度がどうして出せるのか疑問だった。
飛び立ってから今までの間で、駿馬を走らせて一月近くかかる距離を移動している。アウストディモウスたちを置いてきた村は、既に見えなくなっている。
「サンタさん?」
「どうしたねヴィいや」
「さっきの件、本当にあれで良かったのでしょうか。何の解決もせず、放置してしまって」
「構わんのだよ。私は村人たちとアウストディモウスたちを信じている。大丈夫だ」
「そうですか。それにしてもよく村長が受け入れてくれましたね」
「村長は私に恩返しをしたがっていたからの。その望みを叶えたのだよ」
「…………最初から受け入れられると分かっていたのですか?」
「そうだ。考えがあると森で言ったろう?」
確かに言っていた。しかし、こういうやり口は聖人と言えるのだろうか。私の思っている聖人とテラディラムの聖人とは異なる概念なのだろうか。それとも、これが清濁併せ吞むというやつなのだろうか。
「ん?ヴィいや、見ろ。下で土煙が」
「あ、本当だ」
「エンジェルズ・アイ!」
私は力を使って土煙の内側を透視した。そこには形容しがたい異形の怪物と、怪物から逃げまどっているヒトの姿があった。ヒトの中にはエルフの姿もあった。弓矢で抵抗しているが、まるで歯が立たない様子だった。
「ヒトが襲われています!」
「では行こうか!」
「はい!」
目にも留まらぬ速さでサンタの駆るソリは急降下していく。私も負けじとそれに追いつく。
「ホー!ホー!ホー!」
土煙の中は砂が舞い上がって乱舞しており視界がまったく効かなかった。私はセイクリッド・ウイングを使い砂塵を散らす。
陽の光が私たちを照らす。ヒトは見慣れないサンタと天使の登場に驚いている様子だった。
「離れていなさい」
私がそう言うとヒトは支え合いながら後方へ退いて行った。
前方に目を向ける。サンタの前には巨大で、今この瞬間にも姿形を変えている不定形の異形が何体も立ちはだかっていた。異形の巨躯は岩石と粘液のようなもので構成されているらしく、マナの流れを見定めるのにかなり苦労した。
「せぇぇい!」
サンタは聖ニコラスの剣を振るう。斬られた異形は一瞬だけ体を仰け反らせたが、攻撃はまったく効いていなかった。
「ぬう。まだ力が足りんか!」
「い、いえ!待ってください!」
異形が反撃する。体を構成する岩石を切り離して私たちに飛ばしてきた。私は空に飛んで回避する。サンタは素早い足さばきで攻撃を回避していた。異形の体を見ると、攻撃によってできた空白の部分がすぐに違う岩石や物質で埋められている。自己修復を兼ね備えた厄介な敵だ。
「ヴィいやどうした!」
「体の構造が一定に保たれていないから、マナの流れを見極めるのが難しいのです!もしかしたら、聖ニコラスの剣は無意味かもしれません!」
「なに!?……おっと!」
点での攻撃が通用しないのなら面での攻撃だ、と言わんばかりに異形たちはあらゆる方向から岩石や粘液をサンタに浴びせかけていた。
「ははは!クリスマス前の準備運動には丁度いいわい!」
危機感を抱いてないサンタをよそに私は敵の分析を進める。しかし、私にも攻撃をしかけてくる個体もいて、作業は遅々として進まない。
「おおっと!?」
サンタは異形の一体が産み出した砂塵の渦に足を掬われた。
「サンタさん!?」
サンタの体が宙に浮かんだの同時に、鋭い石の礫がサンタを直撃した。
「くっ!」
セイクリッド・ウイングで翼の羽を光の矢として放つ。異形はこれを岩で盾を作りこれを防いだ。しかし、サンタから気が逸れたのか、砂塵は収まった。
「ホッホッホ!」
集中砲火を浴びていたサンタはピンピンしていた。まとっているコートには汚れ一つついていない。
どっちが化け物なのよ!
私は内心でつい叫んでしまった。
「……!サンタさん!分かりました。こいつらは魔法によって造られた怪物です。アウストディモウスたちみたいに固有のマナや精神、心を持っていません!」
「なるほどな!通りで聖ニコラスの剣が効かんと思ったわい。…………ならば」
そう言うと、サンタは、コートの懐に手を突っ込んだ。
「あ、危ない!」
異形たちはサンタの硬直を見逃さなかった。ありったけの攻撃をサンタに放つ。
攻撃は巨大な土煙を巻き上げる。その只中で、金色の光が輝いていた。
「あ、あれは……?」
煙が晴れる。見るとサンタの拳には金色の金物が嵌められていた。手袋ではない。何故なら手の甲から指の殆どが露出しているからだ。籠手に近いのかもしれない。
「これを使うのは久しぶりよ!」
そう言うと同時にサンタは異形の一体に突撃する。それも尋常ではない速度で。
一瞬の出来事だった。異形の懐に入ったサンタは拳を突き出し、異形の体を殴った。その瞬間、粘液は蒸発し、岩石はまるで吸い取られたように消え失せた。異形の巨躯に大きな風穴があいた。
「そおれ!」
サンタは俊敏な動きで他の異形を殴りつけていった。殴られた異形は成す術もなくその場で崩れ去っていった。
「ヴィいや、終わったぞ!」
「…………」
今日一日で私は何回呆気に取られていただろう。空から下降し、サンタの傍に歩み寄る。異形たちは物言わぬ瓦礫と化していた。
「あ、あの、助けていただいてありがとうございます!」
エルフの一人が恐る恐る話しかけてきた。無理もない。私も同じ立場ならそうする。
「ホッホッホ!礼には及びませんぞ!私はサンタクロース!この世界を掬いにやって来た!」
「それではあなたが勇者様なのですね!」
「そうです。私は天使シルヴィ。勇者を呼んだ天使です」
「ありがとうございます!ありがとうございます!どうなるかと思いました」
その後のやり取りは村人とのものと同じだった。
サンタは食料とそれらの種を与え、代わりに感謝の念が具現化したクッキーを貰う。
「この勇者は名が広まれば広まるほど強力になっていきます。ですから皆さんも避難した先で彼の武勇伝を伝えてあげてください」
「それなら望むところです」
無精ひげを生やした男が胸を張って言った。
「私は吟遊詩人です。素敵な調べに乗せてサンタ様の活躍を歌って聴かせましょう」
「よしなに」
「さてさて、何かいい旋律はないものか」
「詩人殿、ちょうどいいのがありますぞ。武勇伝を歌うにはちょっとおとなしいですが、子供たちへの子守唄として歌ってやってくだされ」
「ほほお。サンタ様は歌にも詳しいのですね。ぜひ聴かせてください」
「それはですな…………」
サンタが詩人に歌を教えてから間もなく、私たちは星がまたたく夜空へと飛翔した。
夜に見るサンタのソリとトナカイたちは美しく、赤と緑と金の粒子が鱗粉のように周囲を漂っていた。
「ホー!ホー!ホー!それでは皆さんまたお会いしよう!」
トナカイの角に飾られた鈴の音と朗々とした声が山を越え夜空に響く。
地上から、『きよしこの夜』の旋律が、私たちを見送るように奏でられていた。