私は天使として生を受けてから、はじめて言葉を失うという経験をした。
目の前に現れた勇者は、とてもじゃないがそんな風には見えなかったからだ。
これまで姉妹たちが召喚していた勇者は、皆若く、美男美女ばかりで、天使である私たちでさえその姿に見惚れてしまう者もいた。確かに、サンタクロースは醜い男ではなかった。老人だったが、皴が刻まれた顔はどこか凛々しく見えるし、目や鼻、口のバランスも良い。多分、異世界から来た勇者の一人が言っていた「イケオジ」という概念に当てはまるのだと思う。
けれど、私はとにかく不安だった。老人が本当に立ち向かえるのだろうか。
「君かね?私を呼んだお嬢さんは」
彼の声は、老人には似合わない張りがあって良く通るものだった。演台に立ち、口を開けば誰もが耳を傾けるだろう。
「そ、そうです。天使シルヴィと申します」
呆気に取られていたせいで、反応がまごついた。これでは天使としての威厳が台無しだ。しっかりしないと。
「ほお、そういうキャラ設定かね。結構!結構!それで、お嬢さんはプレゼントに何が欲しいのかな?」
「プレゼント?」
「そうプレゼントだ。ふむ、察するに新しいコスプレ衣装とか、質の高いウィッグ、もしくは高性能なミシン、と言ったところかな?」
「あの、さっきから何を話しているんですか?」
「何って、待ちに待ったクリスマス・プレゼントの話に決まっておろう!世界中の子供たちが期待と興奮に胸を躍らせている一大イベンツ!お嬢さんもそうなのだろう?それにしても、そのコスプレ、よくできておるよ。長く美しい銀髪は私の故郷の雪景色を思い出させるのお。真っ赤な瞳はまるで太陽のようだわい。まるでお人形のように可愛らしい。ホッホッホッ!これは生半可なプレゼントでは満足できまい。腕が鳴る。ところで、お嬢さんお名前は何と言ったかな?『良い子リスト』に載っているか確認せんとな」
「訳の分からないことを!私の名はシルヴィ、フィンディラムの天使としてこの世界を守護する役目を担う者です!ご冗談も程々にしてください!」
「世界観と設定も考えているのだな。感心感心」
「真面目に聞きなさい!」
能天気な振舞に憤りを感じた私は、ついつい声を荒げてしまった。私はハッとして自分の行いを反省し、謝罪した。
そんな私を見て、彼は、ただ事ではないと察してくれた。先ほどまでの柔和な表情は消え失せて、顔は強張っていた。琥珀色の瞳は、鋭い輝きを私に向けていた。
「何かあったのかね。話してみなさい」
しかし声だけは違った。声は慈愛や情け、憐れみといった感情を含んでいた。まるで、優しい大人が子供を包み込むような、そんな温かさがあった。
「混乱すると思いますが、聞いてください。貴方は今、元々暮らしていた世界とは別の世界、私たちが生きているフィンディラムという世界にいます。理由は、突如この世界に現れ、下界に住む人々や我々に対し戦争を仕掛けてきた魔王を討伐するため、私が呼び寄せたのです」
彼は黙っていた。口を一文字に結び、ジッと私の目を見つめている。
私は、男性と見つめ合う経験がなかったので、内心ではかなりドギマギしていた。しかし、そんなことはおくびにも出さず話を続けた。
「コホン。勝手に召喚したことについては謝罪します。でもどうか、貴方のお力をお貸しください。今この瞬間にも、魔王の軍勢によって家や土地や、愛する人を失っている人々がいます。無事討伐できたなら――」
「よし引き受けよう」
「……え?」
「引き受けよう」
「あの、え?話を理解できたのですか?」
「おおよそは理解できたつもりだよ。最近の長いゲームタイトルに比べれば簡単に把握できる。要するに悪しき心からお嬢さんたちの隣人を救え、ということだな?」
「え、ええ。まあ、そういうことになるのですが」
本当にこの老人は飲み込めたのだろうか。一抹の不安が心に残る。
「そういうことであれば話は早い。さあ、早速その者たちの元へ行こう!」
「……分かりました。私もお供いたしますので。ところで勇者様、貴方のお名前は?なんとお呼びすればいいでしょう?」
「これは失礼!私は聖ニコラス、もとい、サンタクロース!子供たちからはサンタさんと呼ばれておるよ」
「それでは私も、サンタさん、とお呼びします。よろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしく!ヴィいや!」
「ヴィいや?」
「私はお主のことをそう呼ぶ。あだ名で呼び合うのは、良き友人になるためには必要なことよ」
「友人、ですか…………まあ良いでしょう。認めます」
「うむ!結構!それでは行こうか!」
やる気のある内に、と思った私は呪文を詠唱し虹の泉から一気に下界へと降り立った。
私たちが立っている場所は、村と村を結ぶ交通の要路だった。道の両脇に木々が鬱蒼と茂っており、暗くて奥まで見通せない。いつもなら森の妖精たちのおかげで明るいはずだった。
暗いのには理由があった。それは、長老と姉妹たちの分析では、魔王軍の尖兵であるゴブリンたちが、次に進軍されると予想される地点がここだったからだ。伝令がそのことを伝え妖精たちは非難してしまった。彼らがいない森は、生命の気配がまるでしなかった。
「ヴぃいや、あれを見ろ」
サンタに促された私は前方へと視線を移す。まっさらな空の下、土埃が巻き上がっていた。地面からは振動が伝わってきていた。長老と姉妹たちの予想は見事的中していた。
「来ましたね。サンタさん」
軍靴の音が私たちの耳朶を打った。地平線の向こう、小さな影の軍勢が見える。
ゴブリンだ。体毛が一切なく、頭まで禿げ上がっている。人間の半分しかない体長、緑色をした皮膚と尖った耳と鼻、それに知性のない瞳は見るだけで汚らわしい。加えて鼻の下には、常に涎を滴らせている口がある。
醜悪、という言葉を体現したような存在。それがゴブリンだった。
フィンディラムを創造せし神よ。いったい何故あのような者たちをもお創りになったのでしょうか。
私は天を仰ぎ見ずにはいられなかった。
「あやつらか。どれ」
「……あ!?ちょ、ちょっと!」
迂闊だった。姿の見えない神に気を取られている隙に、サンタは単身でゴブリンの群れに突っ込んでしまった。いくら勇者といえども、何の装備もなければ危険だ。
私は翼を広げて高速で動ける呪文をかけサンタを追った。
「聞け!子供たちよ!」
一人で先走ったサンタはゴブリンの軍勢の前で仁王立ちしていた。朗々とした声が風に乗って聞こえてきた。
「私はサンタクロース!君たちの心に巣くう悪を取り除くために来た!君たちは誤った道を進もうとしている。本来友となれる隣人を傷つけ、彼らの幸福を踏みにじろうとしている。それがどれだけ悲惨な結果を生むか、君たちは分かっていないのだ!もちろん、君たちの年齢でそれを理解しろ、と言うのは少々酷かもしれん。しかし、どのような理由があろうと他者を傷つけてはいかんのだ!その傷は、やがては君たちの家族や友人、恋人に災いをもたらすからだ!早まるな子供たち!」
サンタの傍まで飛んできた私は彼の説得を黙って聞いていた。
ゴブリンたちもそうだった。彼らは行軍を止め、自分たちより二回り以上もある大男の言葉に耳を傾けているように見えた。知性も他者を尊ぶという心も持ち合わせていない醜い種なのに。
「君たちはよく私の話に耳を傾けてくれたね。よし後で『良い子リスト』に――」
サンタがそう言った時、後方から一本の槍が投擲されサンタの腕をかすめた。
それが呼び水となって、ゴブリンは私たちに次々と矢や石を放ってきた。まるで五月雨のようだ。
「セイクリッド・ウイング!」
私は呪文を唱え翼でゴブリンたちの攻撃を防ぐ。
「ゴブリンに説得なんて通じませんよ!」
「……それは何故かね?」
「ゴブリンは、ゴブリンだからです!あいつらに我々や人間のような精神構造を求めても無駄です!」
「…………」
サンタは私の言葉に何も答えず、翼の盾から飛び出して行った。
「ちょっと!?サンタさん!」
するとサンタは虚空から銀の剣を抜きだし、目の前のゴブリンをなで斬りにした。
「なんと!?」
サンタの驚いた声が聞こえてきた。そのゴブリンにはかすり傷一つついていなかった。
その後もサンタは次々にゴブリンを斬っていったが、結果は一匹目と同じで攻撃はまるで効いていなかった。
その光景を目の当たりにして、開いた口がふさがらなかった。