「さすがにもうドキドキしないな」
――ここはラブホテルの一室。そして私達の拠点。
初めて平沢さんとラブホテルに入った時と同じように、私一人ベッドに腰掛け、平沢さんだけ先にシャワーを浴びているという状態だ。
おそらく、シャワーから出てきたら黒髪美少年モードの平沢さんが出てくるだろう。
……私の上司だから年上なんだろうけど、全然そうは見えないんだよね。
――コンコン。
「え?」
つい声を出してしまった。
突然のノックの音。
別にご飯を頼んだわけでも無いし、電話をかけて「ヘルス」を配達してもらうサービスも利用していない。
――どうするべきか?
「開けてよシンジちゃん!」
「……」
誰なの?
透き通るような高音美声がしたんだけど……。
というか、シンジって……平沢進二の進二だよね?
一応恐る恐る平沢さんに確認を取るためにシャワー室の傍まで移動した。
しかし、次の瞬間信じられないことが起こった。
――ガチャガチャガチャ。
なんとロックしていた鍵が目の前で解除された。
ものの数秒。扉の向こうで何か作業をしているような音が聞こえてから、即開錠された。
「まったく……こっちは時間通りに来ているのだから、手間かけさせないでよね。ってあら……あなた」
「……え? ……え?」
扉を開けて入ってきたのは超絶美女だった。
サラサラの金髪ロングで、鮮やかな青い目に雪のように白い肌。身に付ける紅葉の着物と黄金色の髪が良い感じにマッチしており、見事な和洋折衷となっている。
そして高身長のモデル体型。……モデル体型? なんか筋肉多いような違和感を感じるような……?
身長も180cm超えてそうなくらい大きい。
「あなたが美琴ちゃんよね。初めまして。わたくしは真里よ。真里お嬢様と呼んでね」
「え……あ、はい。ん……真里?」
固まる私に優しい笑顔で自己紹介してくれる真里お嬢様。
しかし、見た目は完全にアメリカン美女。着物を着ていても外人だと分かる。
まあ……今の国際事情から日本で暮らす外人やハーフの人は増えているけれど。
「本名はマルティネスだろ? ちゃんと自己紹介してくれ」
「あら、シンジちゃん! でも、わたくしは真里ですわよ。そんな可愛くない名前で私のことを呼ばないで」
は? マルティネス?
ちょっと待って……全然意味が分からない。情報量が多すぎる。
マルティネスの名前なんてプロ野球選手の名前でしか聞いた事無いんだけど。
「ほら、彼女も困っている。ちゃんと説明してあげないと」
「あんたが言うなあああああああ!」
「シンジちゃんが言えることじゃないでしょ!」
「……む」
私とマルティネス……真里お嬢様はお互い顔を見合わせて、同時にため息をついた。
「その様子だと美琴ちゃんにわたくしの事全然説明してないでしょ!」
「ん……そうだっけ?」
「そうよ! 全然聞いてないんだけど!」
「すまない」
頭を掻きながら頭を下げる平沢さん。
……というか今気づいたけど、平沢さん上半身裸なんだけど!
まじでめっちゃ若々しくて良い身体してるんだけど目の保養……目のやり場に困っちゃうから何か着てくれないかな!
「というかシンジちゃん。美琴ちゃんが居るんだからちゃんと服を着なさい!」
「はあ」
真里お嬢様に服を着せてもらっている平沢さん。
良かった。素性も性別も謎だけど、常識だけは持ち合わせている。
私の気持ちも彼女……彼? なら分かってくれるだろう。
この際マルティネスでも真里お嬢様でもどっちでもいいわ。
「それで平沢さん。真里お嬢様は私達の仲間ということで良いのね」
「ああ、そうなる。それと、マルティネスな」
「本人が真里お嬢様と呼んで欲しいみたいだから合わせるわよ」
「さすが美琴ちゃん! あなたみたいな他人の気持ちを推し量れる仲間が欲しかったのよ」
そう言う真里お嬢様の表情が曇った。
ああ、苦労してきたんだなぁ……。
「美琴がそう言うならわかった。その、真里お嬢様はメカニック担当だ。このスパイグラスも彼女が作った。スパイ活動で使用する道具――スパイギアは真里お嬢様が全部用意してくれる」
「なるほど……すごいですね!」
――あれ……平沢さん、私の呼び方「美琴」になった?
真里お嬢様についての説明を受けながら気づいてしまった。
ライブ会場を出る時も私のこと名前の呼び捨てに変わったけど、彼の中で私の存在に変化があったのだろうか?
「それで、今日は真里お嬢様との顔合わせをする予定があったんですね。全然教えて貰ってなかったけど!」
「真里お嬢様が来ることは言ってなかったかもしれないけど、会議をすることは言ってあっただろ?」
「前回みたいにテレビ電話みたいな会議だと思ったのよ! いきなりラブホテルの部屋に人が訪ねてきたらびっくりするでしょ!」
「……そうなのか?」
呆れすぎて卒倒しそうになった。
大人なら分かるでしょうよ!
「あのね、美琴ちゃん。彼のことは弟だとでも思ってくれたら嬉しいわ。社会常識も恋愛感情の機微もわからないのよ」
「それって――」
私は感情が爆発しそうになった。
だけど、真里お嬢様の真剣な顔を見たら、何か特別な事情があるのかもしれないという思いに至った。
「それって、その……平沢さんがスパイ活動をやっていたことに関わる話ですか?」
「そうよ」
直接、彼の過去や生い立ちについては聞かないようにした。こういう話はもっと時間をかけて関係性を築いてから聞くべきなのかもしれない。
「わかりました。それにしても弟……か」
「なんだ?」
私は平沢さんをまじまじと見つめた。
「やばいかも」
「?」
本当に年下だったらやばい。
年下の美少年? そのジャンルは私の大好物だ。
確かに、変装を解いた平沢さんの姿は年下美少年の弟に見える。
というか、そういう風にしか見えなくなってきた。
まずいまずいまずい!
「ええと、弟ね。確かに弟だわ。平沢さん、私のことは『お姉ちゃん』と呼びなさい!」
「呼ぶわけないだろ! さあ、下らないこと言ってないで会議を始めるぞ!」
興奮を覚えて焦った私の発言に対し、急に顔を真っ赤にして声を荒げた平沢さん。
初めてこの人のことを人間だと思えた。
恥ずかしくて声を荒げたのか。
それとも過去に「お姉ちゃん」的存在にまつわる出来事があったのか。
わからないけど、なんか平沢さんは複雑な顔をしていた。
――そして、ミントのような冷たくて切ない匂いを感じた。
私の嗅覚が彼の何を捉えたのか分からないけど、今後は彼に対する見方、接し方は変えていかなきゃならないと感じた。
普段のロボットのような振舞い、感情の出し方は……彼自身の防衛本能かもしれない。
「それにしてもシンジちゃん。あなたがそんな感情をむき出しにするなんて珍しいわね」
「そ、そんなことはない!」
「あなたも流石ね、美琴ちゃん」
「あ……ありがとうございます」
私達は話を切り上げ、会議を始めることにした。
その時――。
「みんな集まっているようだな。緊急のニュースが入った」
「社長!」
急にテレビの電源が付き、我らが社長が声をかけてきた。
「このニュースを見てくれ」
社長が私達に共有した映像。
――それは、燃え上がる豊洲のライブ会場施設の映像であった。
沢山の人が血まみれで救急車に運ばれている。放射能マークが入った防護服で作業をする人の姿も映っている。
「闇バイトによりテロが行われた。君達が守った会場とは別の会場だ。そこで最悪なことに……『ダーティー・ボム』が使用されたんだ」
私は久々に「同時多発テロ」という言葉を思い出した。