「次の面談先はどこだ?」
「AA興業です」
憂鬱な営業活動中。現在、上司の平沢課長に同行指導を頂いている。
私達は事務機器メーカーの販売店で働いている営業マン……社畜である。今日も今日とて全く商談にならない。今月の売上も絶望的。
課長を助手席に乗せ、私は運転席でハンドルを握っているけれど超憂鬱!
ここは静岡県御殿場市。目の前に雄大な富士山が見えるけど何だか色褪せて見えるわ。
「……」
「……」
この平沢課長は営業のくせに常に仏頂面である。
雑談等無駄な会話を一切しない。
――当然、売れない。
会社内でも平沢課長の評判は悪く、彼がマネジメントする営業3課は社内で墓場扱いされている。
そんな課に10月から配属された私も売れない営業である。
「着きました。よろしくお願いします」
「うん」
何の感情も感じられない相槌に虚無感を抱きながら、お客様先の玄関へと向かった。
「お世話になります!」
「ん? おお、いらっしゃい!」
残暑残る9月。今でも長袖が辛く感じる気温であるのに、長袖のジャケットを羽織るガタイの良い男性が出迎えてくれた。
左腕を見るとゴツイ金の時計が嵌められている。
――私の鼻が、なにやら腐敗臭に似た嫌な臭いを感じ取った。
「本日はお時間を頂きまして、誠にありがとうございます!」
「いやあ、元気が良いね! 新しく担当になったのかな?」
客先に入れば自動的に笑顔になる私。一応私は接客業に関してはそこそこキャリアがある。高校時代は飲食店でバイト。大学時代にマジックバー店員と地下アイドルをやっていた。教科書に書いてあるような愛嬌を顔面に貼り付けることくらいはたやすくできるわ。
「さて、事務機器の提案かい?」
「え……あ、はい!」
「では、こちらへ」
「失礼いたし……あ!」
私と平沢課長を応接間に案内してくれる担当者。しかし、私は立ち止まった。
「申し訳ございません! ご提案資料を忘れてしまったようで……今日はご挨拶だけということで、また別日でアポイントを取らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え? ああ、そうかい。仕方が無いね。また電話してきてよ」
「はい。申し訳ございませんでした!」
不思議そうな顔で見てくる平沢課長を無視しながら、深々とお辞儀して足早に玄関口へと向かった。
心臓の鼓動が速くなっている。
私の異変に気付いていない様子の仏頂面の平沢課長。でも、お客様の目の前で余計なことを言わないでくれてよかったわ。
私は手で胸を押さえて心を落ち着かせながら車の鍵を開け、運転席に座った。
「長谷川、提案資料持っているだろ? どうして話を切り上げたんだ?」
「あの会社がヤクザの会社だったからですよ」
「ほう」
え? 「ほう」って何よ。何そんなに落ち着いてるのよ。
自分がドキドキしているのに落ち着き払った様子の課長に腹が立った。
「なぜそう思ったんだ?」
「今年はまだ気温が高くて長袖ジャケットなんて着ていられないですよね? それに世間的にもラフな格好が推奨されてポロシャツで仕事をする人だっている。それなのにあの格好しているということは、入れ墨を隠しているということですよ」
「まあ、そうかもしれないが違うかもしれないだろ?」
きょとんとした顔で聞いてくる課長。
その呑気さが腹立つ!
「もちろんそれだけではないですよ。名刺に総務部長って書いてあるくせに手に不自然なマメができていたり、やけに監視カメラが多かったり、会社の車がなぜかスモークかかってたり。極めつけは神棚ですよ!」
「神棚? どこの会社にもあるだろ」
「神棚に置いてあるものが問題なんですよ! ビンが置いてありました」
「ビン? 酒が入っているんだろう」
「あの大きさは指がちょうど入るくらいの大きさですよ。ヤクザは詰めた指を受け取った後、ビンに入れて神棚に置いて保管したりするのですよ」
一瞬、平沢課長は目を丸くした。しかし、私は彼の表情に驚いた。
「……へえ」
口元が微かにほころび、目は妖しく細めになった。
――何、この色気がある妖しい笑顔は……。
普段枯れ木のようで、生気をまったく感じない。
だけど、今はなんか不気味である。吸血鬼みたいな妖しくて見るものをドキドキさせる魔性のオーラを纏っている。
――なによ! 平沢課長のくせに!
不覚にもドキドキしてしまった私自身に呆れながら、帰路についた。
◆◆◆
「お疲れ様です。すみません、遅くなりました」
平沢課長と事務所に戻った後、予定に合った飲み会のため居酒屋へと向かった。
しかし皆既に出来上がってる状態であった。
営業1課、2課のメンバーが大声で武勇伝を語り合って盛り上がっている。
「おお、来たね! 『MS.007』!」
「その呼び方は止めて下さい!」
私のあだ名である「Ms.007」とは、大変不名誉なものである。
会社は毎月営業実績を管理しているが、私は安定して売ることができない。
2か月間0台の売り上げで、三か月目にやっと実績を出すことができるのである。
そのため、0台、0台、7台という意味で「007」と呼ばれているのである。
「さあ、じゃんじゃん頼むぞ! 平沢の分もどんどん頼め!」
周囲の男性社員達が私のグラスに容赦なくビールを注いでくる。
――こいつら、私を酔わせてワンチャン狙ってやがるな。
私の鼻が目の前の男共から腐敗臭のような嫌な臭いを感じ取った。
「……平沢課長は飲んでます?」
「飲めない」
隣で動かない課長に声をかけて周囲の男達を躱そうとした。
しかし、男達はダル絡みをしてきた。
「飲めないじゃねーよ。ほら、頼むぞ!」
「ほら『007』ちゃん。ご自慢の上司様にお酒を頼んであげな」
皮肉たっぷりのセリフを無視しながら店員さんにウーロンハイを頼んだ。
――やれやれ。マジックバーで鍛えた技を披露するか。
平沢課長は全くお酒が飲めない。体質的に厳しいんだろう。そんな人に無理やりお酒を飲ませるなんでイジメじゃん。ダサい。
私は傍に居た女性社員の傍にあったウーロン茶を奪い、右手で隠し持った。
そして、店員さんから左手でウーロンハイを受け取ると、わざとよろけて男共にもたれかかった。
「だ、大丈夫?」
「ええ」
皆が下心を出した隙を突いて背後でウーロン茶とウーロンハイを入れ替え、平沢課長にウーロン茶の方を渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「おお! いーじゃねえか! やっと飲んだな!」
――ん? まただ。
仏頂面のままウーロン茶を飲む課長が、また妖しく微笑んだ気がした。
◆◆◆
「あの……課長、大丈夫ですか?」
「……酔った」
平沢課長がふらふらしながら店を出たため、私は心配になってついていった。
「飲んでませんでしたよね? 匂いで酔っちゃったんですか?」
「ああ」
頭を押さえながら苦しそうにする課長。
「ほら、支えますから帰りましょうよ」
「助かる」
課長の腕を掴み、支えながら帰り道を進む。
課長の指示通りに道を進んでいった。
居酒屋を後にして10分ほど。
周囲の景色も変わっていく。
「あれ?」
――しかし、私は異変に気付いた。
周囲にラブホテルが沢山建っている。
課長のことを人畜無害だと思っていたから、完全に油断していた。
「ねえ、課長……!」
「しー」
課長は妖しい笑みを浮かべ、唇に人差し指を当てた。
時折見せてきた吸血鬼のような魔性のオーラ。
私の心臓がどくんどくんと速く脈打ちだした。
「僕についてきて」
「……はい」
夜の魔王と化した課長に手を引かれながら、私はホテルの中へと入ってしまった。