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第9話 世界に広まるBL?――BLと現実の男性同性愛

 前々回と前回の記事では、今も昔もBLに対する世間一般の受け止め方は厳しいと結論付けました。ですが前回の記事の最後でライトなBLが受け入れられつつある一例として、鶴谷香央理作『メタモルフォーゼの縁側』(KADOKAWA、2017~2020年)という漫画を原作とした映画を紹介しました。2022年に制作されたその映画の英語タイトルは『BL Metamorphosis』で「BL」という言葉がしっかり入っています。


『BL Metamorphosis』は、2024年のJFF Theater開催のJapanese Film Festival Onlineでオンラインストリーミングによるこの映画の視聴が日本国外で可能でした。たとえこの映画がBL漫画を年齢差友情の小道具として使っているだけとしても、BLのイメージが悪かったら、半ば公的な機関の独立行政法人国際交流基金が日本の映像コンテンツを外国の人々に紹介する機会に日本のBL文化に触れている作品を選ばなかったでしょう。


 ただ、日本のBL作品が世界で広く受け入れられているかどうかと言うと、そうでもありません。昨今はLGBTQ+の概念が一般に広まって性の多様性への認識が浸透してきたから、BL作品がBLファン以外にも普及したかと思うかもしれませんが、予想外にもそんなことはありません。


 例えば、フランスは同性婚を可能にするいわゆる同性婚法を2013年5月に施行しており、同性愛の受容に関して日本よりずっと進んでいるイメージがあります。ですがBL漫画はフランスで苦戦しているようです。BLレビューサイト『ちるちる』を運営している(株)サンディアスによる腐女子マーケティング研究所のnote記事(リンク下記参照)は、フランスでは恋愛漫画は「男女モノが中心」であり、「BLはLGBTQと分かち難いので、表向きフィクション色の強いBLは各言語の中でも最も少ない傾向」だと分析しています。


腐女子マーケティング研究所、「世界各地でBLは「どう」愛されている?」(2024/7/20)

https://note.com/fujoshimarke_lab/n/n8848f003852f


 腐女子マーケティング研究所のこの分析をもっとはっきり言えば、創作物としてのBLはあくまで女性向けの架空の男性同性愛であり、BLと現実の男性同性愛は違うから、男性同性愛当事者やこの性志向を理解する人々はBL作品にあまり共感しないのかもしれません。


 そのような創作物としてのBLと現実の男性同性愛の違いについて、2024年11月24日に開催されたコンテンツ文化史学会2024年度大会で興味深い発表がありました。


若林晃央・小西真優、「空想としてBLと現実の男子同性愛の比較研究―少年愛 ・ゲイ・腐女子の求める世界の違い―」コンテンツ文化史学会2024年度大会(2024/11/24)

※以下の学会サイトで当該発表の予稿集とスライドをダウンロードできます。

https://www.contentshistory.org/2024/11/07/2189/


*****

(ここから次の*****までBLと男性同性愛の性的な面を含めて相違点を論じます)


 上記の発表は、BLと現実の男性同性愛の違いについて以下のようにまとめています:


(1)BLファンの女性は筋肉隆々の男性に嫌悪感を抱くことが多いが、ゲイが惹かれる男性は屈強な「男らしい男性」である。


(2)BLでは肛門性交が常道だが、挿入される側も挿入を伴う性交を望んでいる。口腔性交は相手の性器への関心によるものではなく、「愛情ゆえの奉仕行為の範疇」である。それに対し、ゲイにとって肛門性交は必ずしも常道ではなく、口腔性交もあり、それぞれに能動的役割を希望するゲイと受動的役割を希望するゲイが存在する。ゲイは男らしさの象徴としての男性器(ペ〇ス)に強い関心を持っており、口腔性交の際に男性器を受け入れる側(フェ〇チオをする側)に特にそれが顕著に表れている。


(3)BLでは挿入する側の攻め・挿入される側の受け(男性同性愛者はタチ・ネコと呼ぶ)にかかわらず、主人公は常に求められる受け身であり、相手側が性行為の願望を強く持って能動的役割を果たす(1~3:予稿集、pp. 3-4/PDF、pp. 15-16)。


 私もBLと現実の男性同性愛は違うと想像はしていますが、相違の中身の真偽まではBL素人の私には分かりません。(1)と(2)は本当にそうなのか、皆様のコメントをお待ちしています。


(3)についてのみ、ゲイ当事者の視点で分かりやすく解説してくれた記事を見つけましたので、紹介します。


富岡すばる、「BLの「攻め・受け」呼称にゲイとして思うこと」(2021/11/6)、『BLにならない単身ゲイの存在証明書』

https://tomiokasubaru.theletter.jp/posts/650dbeb0-3ef5-11ec-b6e9-df32638d79be


 上記の記事でライターの富岡すばるさんは、BLは「恋愛ファンタジー」(つまり空想上の恋愛もの)と断りつつも、BLの攻めと受けのイメージに異議を唱えています。BLでは挿入する側の攻めがリードする側、挿入される側の受けが受け身で、セックスのポジションがそのままカップルの力関係になりがちです。ですが現実のゲイがネコ(挿入される側)のポジションを選んだとしても、セックスやそれ以外の日常生活全てにおいて受け身であるわけではありません。


 富岡さんは、『「挿入される側=受け身=女性的な役割」といった、旧来の男女モノにありがちな価値観に引きずられているBLが少なくない』と上記の記事で指摘しています。したがって彼にとっては、挿入する側がタチ、挿入される側がネコという呼称のほうが現実の力関係を暗示しないのでしっくりくるのです。ということは、BLでは攻め・受けにかかわらず主人公が受動的という上記のコンテンツ文化史学会2024年度大会発表内容は、少なくとも富岡さんの認識では妥当でないようですが、BLファンの皆様はどう思われるでしょうか?


(2)に関連してコンテンツ文化史学会2024年度大会発表要旨はこうも言っています:「女性は好きな人でも裸や性器を見たいと思わない人が多く、性器を攻める(攻められる)行為にも興味がないため、BLでは性器は必要最低限しか描かれない」(予稿集p. 4/PDF p. 16)


 男性器が必要最低限しか描かれないのは、各出版社が自主規制でなるべくもろに見せないようにするようになったからだと思います。もし上記の発表の結論が本当だったら、各出版社はBL漫画の男性器の修正にあれでもかこれでもかと涙ぐましい努力をしなかったでしょう。それだったら男性器が見えるシーンをカットしたほうが簡単です。


 ちるちるに男性器の修正法の20年間の変遷が特集されていますが、その記事の筆者はこう言っています:


「BL漫画の癖や萌えを表現するうえで非常に重要なのは、なんといってもちん……ですよね! その修正様式によって、えちえち度合いが決まるといっても過言ではない……気がしなくもありません。」


『ちるちる』、「ホタルから白抜きへ!?BL修正方法20年の歴史」(2023/11/11、2024/11/04修正)

https://blnews.chil-chil.net/newsDetail/35625/


 BLファンの皆様、BL漫画での男性器の描写についてコンテンツ文化史学会2024年度大会の発表者に同意されますか? それとも、ちるちるの修正法20年史の筆者に軍配を上げますか? コメントで教えて下さると嬉しいです。ちなみに私は後者に同意します。


*****


 これまでBLと男性同性愛の違いばかり述べてきましたが、男性同性愛者全員が常にBLに違和感を持つわけではありません。富岡すばるさんは、上記に書いたようにBLに一部違和感を持ちつつも、BLに救われたことがあると言います。彼は高校生の頃、少年同士が悲壮感なく幸せそうに恋をする『Boys Life』(こうじま奈月作)というBL漫画を読んで衝撃を受けたそうです:


富岡すばる、「ゲイの僕がBLに救われた話」(2021/7/6)、『BLにならない単身ゲイの存在証明書』

https://tomiokasubaru.theletter.jp/posts/93002ac0-d976-11eb-9e5c-616ce0078bbd


「同性愛者=日陰でひっそりと生きていく存在」と思い込んでいた当時の富岡さんの心にBLは光を差し込みました。それまで彼は、同性愛者として幸せな人生を歩んでいけることを想像すらできませんでしたが、BLはそれをほんの少し変えるきっかけとなったそうです。


 富岡さんにとってBLは男性同性愛者が幸せになるのを初めて見た物語でしたが、女性が性的に消費されていないと初めて思えた物語がBLだったと言うある女性の投稿を富岡さんはTwitter(現X)で見つけたそうです。そういう面では、日本に根強く残るゲイや女性蔑視に直面している人達がBLで救われることもあります。富岡さんの言葉で言えば、BLは彼らにとって「セーフティゾーン」になりえるのです。


 数々のBL作品の中で描かれてきた男性同性愛の理想郷が作り事ではなく、現実になった時に「セーフティゾーン」としてのBLの役目は終わるのかもしれないと富岡さんは考えています。それでも、暗闇に生きていた10代の頃の富岡さんにBLが見せてくれた光は消えないそうです。また、「セーフティゾーン」としてのBLの役目が終わったとしても、BLが内容的に変貌を遂げるのかもしれず、私もそうですが、それを富岡さんは楽しみにしているそうです。


 以上、まだまだBLについて語りつくせていないことはあると思いますが、思ったより長くなりましたので、これで5話に亘ったBL考察は一旦終了とさせていただきます。でも、また何か思いつけば、再びBLについて書くかもしれません。

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