前回の記事では、「BL」図書が差別的な扱いを受けていた例として2008年に起きた堺市立図書館BL本排除事件を取り上げました。異性間の性描写のある男性向け恋愛小説が排除指定されなかったのに、「BL」図書だけが大した性描写がなくても排除指定されました。その上、各図書館職員が主観で「BL」図書として選定した中には、少女小説など、一般にはBL小説とは受け止められない作品も入っていました。
BLを取り巻く厳しい環境は、東京都青少年の健全な育成に関する条例(以後「東京都青少年健全育成条例」)に基づいて指定された「不健全図書」(条例上の名称)/「8条指定図書」(公表時の名称)にも表れています。この条例が1964年に青少年保護育成条例として制定されて以来、「青少年に対して著しく性的感情を刺激したり、甚だしく残虐性を助長したりする漫画、雑誌、DVDなど」4000点以上が「不健全図書」として指定されてきました(『東京新聞』2023/4/9)。
不健全図書に指定された図書は書店・コンビニエンスストアで18歳未満への販売・閲覧を禁止され、区分陳列やビニール包装などが義務付けられます。すると本来認められている成人向けにも、アマゾンのように自主的に販売を止める書店や通販サイトが出てきて漫画家の収入に悪影響を及ぼしました。
その上、不健全という言葉が独り歩きして作者がSNS等で性犯罪者と罵られたりしました。そのため、漫画家が中心となって名称変更の陳情が都議会に出され、都は2024年9月9日から指定図書を閲覧できる都のWebサイトや広報などの対外文書から「不健全図書」の代わりに「8条指定図書」を使うようになりましたが、条例改正はしないので条例上「不健全図書」という言葉は残っています。
この不健全図書問題ではBLが矢面に立つことがほとんどです。『東京新聞』は『ボーイズラブは不健全図書か? 都から指定、ツイッターで「性犯罪者」と攻撃受ける 漫画家ら用語変更訴え』という記事を2023年4月9日に出しています。東京都生活文化スポーツ局Webサイトで公開されている8条指定図書/不健全図書の大半がBL作品なので、BLに「不健全」というイメージが付きまとってしまうのです。
8条指定図書の1番新しいリストは2023年度のもので、指定図書は6冊、そのうち5冊がBL漫画で残りの1冊は青年漫画です。2022度は指定図書9冊全部がBL漫画、2021年度は指定図書16冊中、異性間性交をテーマにしたアダルト漫画1作以外はBL漫画です。残りはチェックしていませんが、Wikipediaの記事「ボーイズラブ」(2025/1/29時点の註83)によれば、2018〜2020年度の指定図書の約8割はBL作品だそうです。
東京都生活文化スポーツ局「8条指定図書類 ※、8条指定がん具類・刃物一覧」(2024/9/9)
https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/tomin_anzen/jakunenshien/jyourei-unyou/eiga-tosyo-ichiran/index.html
2018年より前に不健全図書(当時)に指定された作品は、東京都生活文化スポーツ局のWebサイトでは既に公開されていません。ですが検索してみたら、2017年7月に通常より多いBL図書3冊が不健全図書に指定された事実が分かりました(『日間サイゾー』2017/7/11)。東京都の青少年健全育成審議会は毎月2~3冊(2017年における「近年」当時)不健全図書を指定していましたが、2017年7月は異例の5冊を指定し、そのうち3冊がBLでした。『日間サイゾー』によれば、『昨年(註:2016年)から審議会に出席している委員からは「BLに対する風当たりは相当厳しい」という声も漏れてきて』いたそうです。
8条指定図書/不健全図書に指定されたBL漫画を1作だけ見てみましたが、男性器の描写の修正がいわゆる刻みのり状態(下記のちるちるの記事を参照)で見える部分が多く、確かにエロ度は高いように思えました。それに対して男女間恋愛を扱うTL漫画では、私の知る限り、性器の部分は白抜きになっているか、身体や寝具の下になっていて見えないようになっています。でも以下の記事を見れば、BL漫画でも白抜きが多数派ですし、アダルト漫画でも刻みのり状態の修正の作品がたまにあります。だから、BL漫画だけが8条指定図書/不健全図書としてあたかも狙い撃ちされているような印象をどうしても持ってしまいます。
『ちるちる』、「白抜き?刻み海苔?修正の種類別にレーベルをご紹介!」(2023/10/01、2024/7/18修正)
https://blnews.chil-chil.net/newsDetail/35043/
8条指定図書/不健全図書の候補は、「職員が都内の書店などで月に100冊程度を購入し」た本の中から選ぶそうですが、「店頭での販売や閲覧が対象で、インターネット上での閲覧や購入は規制の対象外」だそうです(『東京新聞』2024/6/5)。上記の『日間サイゾー』の中に出てくる「不健全図書指定の事情をよく知る業界関係者」は、「指定の候補となる図書は、東京都の職員が店頭で購入している。その中で、BLが明らかに目立っているのは間違いありません」と言っています。購入担当職員が元々BLへの偏見を持っていなかったとしても、毎月一定のBL図書が8条指定図書/不健全図書に指定されている以上、BL図書が「不健全」だろうと思うようになってしまうのではないでしょうか。
後は店頭でBL漫画が悪目立ちしている可能性も無きにしも非ずでしょうが、私は店頭調査できないし、ジャンル別の紙書籍数を見つけられないので、何とも言えません。
それから、今時の未成年だって電子書籍で読書するでしょうから、8条指定図書/不健全図書候補の書籍購入の際に電子書籍を考慮に入れないのも、時世にそぐわないし、不平等ではないかと思います。各種漫画読者調査(以下参照)では、10代の読者の約半数もしくは半数以上が紙書籍派と紙電子書籍両方派でしたが、それ以上の世代では電子書籍派が優勢ですので、いずれ10代もそうなっていくのではないでしょうか。
[マナミナ]まなべるみんなのデータマーケティング・マガジン、『電子書籍を現在利用しているのは37.9%、全年代で利用率トップは「Kindle」、満足度1位は「U-NEXT」【ナイル調査】』(2024/03/27)※15~69歳の男女2858人が回答
https://manamina.valuesccg.com/articles/3261
PR TIMES、『ついに紙vs電子に終止符!漫画の実態を2820人に調査。20~30代は「電子派」が優勢!』(2022/09/30)※47都道府県在住の10代~60代以上の男女2820人が回答
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000108657.html
以上に書いた通り、今も性描写のあるBLに対する世間の目は、異性愛を扱う創作物に比べて厳しいようです。でもライトなBLは一般にも受け入れられつつあるのではないかと感じています。
その一例として挙げられるのが、鶴谷香央理作『メタモルフォーゼの縁側』(KADOKAWA、2017~2020年)という漫画です。BL漫画オタクの女子高生と老婦人のBL漫画を挟んだほのぼの交流を描いていて、2022年に映画化されています。その映画の英語タイトルが『BL Metamorphosis』で「BL」という言葉がしっかり入っています。
昨年行われたJFF TheaterのJapanese Film Festival Online開催期間の前半(2024/6/4~6/20)、オンラインストリーミングによるこの映画の視聴が日本国外で可能でした。JFF TheaterはサイトのAboutによれば「映画、ショートムービー、アート作品、テレビ番組など、日本で日々生み出される多彩な映像コンテンツが集まる場所」だそうです。独立行政法人国際交流基金が運営しているので、半ば公的な機関と言っていいと思います。たとえこの映画がBL漫画を年齢差友情の小道具として使っているだけとしても、BLのイメージが悪かったら、半ば公的な機関が日本の映像コンテンツを外国の人々に紹介する機会に日本のBL文化に触れている作品を選ばなかったでしょう。
【参考文献】
『東京新聞』、『ボーイズラブは不健全図書か? 都から指定、ツイッターで「性犯罪者」と攻撃受ける 漫画家ら用語変更訴え』(2023/4/9):
https://www.tokyo-np.co.jp/article/242977
『東京新聞』、『「不健全図書」のレッテル、やっと解消? 東京都が表記変更を検討、「風評被害」に悩んできた漫画家は…』(2024/6/5):
https://www.tokyo-np.co.jp/article/331537
『東京新聞』、『「不健全図書」の呼び方やめます…東京都、8条規定図書に変更へ 過激な性描写などで販売規制の対象図書』(2024/9/2):
https://www.tokyo-np.co.jp/article/351771
東京都生活文化スポーツ局、『8条指定図書類 ※、8条指定がん具類・刃物一覧』(2024/9/9)
https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/tomin_anzen/jakunenshien/jyourei-unyou/eiga-tosyo-ichiran/index.html
『東京新聞』、『東京都の「不健全図書」表記変更は、はじめの一歩 漫画家森川ジョージさんら歓迎「全国に広がって」』(2024/9/13):
https://www.tokyo-np.co.jp/article/354042
東京都生活文化スポーツ局、「不健全図書類等に関する東京都青少年の健全な育成に関する条例及び同施行規則の一部抜粋」:
https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/tomin_anzen/about/kaigi/jakunen-shien/kenzensin/H30/files/0000002076/694shiryou9.pdf
間柴泰治、「諸外国における実在しない児童を描写した漫画等のポルノに対する法規制の例」、『レファレンス』平成20年11月号(2008年):
dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999637_po_069403.pdf?contentNo=1
Wikipedia「東京都青少年の健全な育成に関する条例」:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%9D%92%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%81%A5%E5%85%A8%E3%81%AA%E8%82%B2%E6%88%90%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E4%BE%8B