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第7話 BLは肩身が狭い?――堺市立図書館BL本排除事件(2008年)

 前々回の記事(第5話)で紹介したように、15年ほど前、『Cフラットの恋』の作者・畔戸 ウサさんは、BLの肩身の狭さを感じていたと言います(『Cフラ解説編』第2話)。今回の記事では、今でもそうなのか考察します。


「5.レーベルの求めるものが作品に欠けていても受賞できるか:角川ルビー小説大賞の例」

https://www.neopage.com/chapter/31420020128841600/31435387510041035


『Cフラ解説編』(畔戸 ウサさん作)

https://kakuyomu.jp/works/16817330662994934929


『Cフラットの恋』(畔戸 ウサさん作)

https://kakuyomu.jp/works/16817330662280444868


 まず約15年前に畔戸 ウサさんが感じた「BLの肩身が狭い」という感覚は個人的なものではないかと思われる方もいるかもしれませんが、実際そうではありませんでした。


 例えばそのような事例としては、2008年に起きた堺市立図書館BL本排除事件もしくは同問題が有名です。堺市立図書館BL小説廃棄要求事件など、様々な呼び方があります。事件の概要は、この記事の最後に掲載した参考資料から知ることができ、以下の記述もそれらに拠っています。ただし記事がこれ以上煩雑になるのを避けるため、直接引用以外は文中に出典を明記していません。


 2008年7月から8月にかけて堺市立図書館は、匿名市民の苦情を受けてBLとみなされる5499冊(2008/7/30時点)もの書籍を閉架書庫へ移しました(『図書館の自由 別冊』2010年2月、p. 4;寺町みどりさんのブログ『みどりの一期一会』)。しかし堺市は、その決定までの議論や経過を公開せず、「BL」図書を書庫に入れて今後は収集および保存、青少年への提供を行わないと市のWebサイトに公表しただけでした。


 堺市のこの不透明な決定に対して、同市の市民有志および全国の図書館関係団体から疑問や反対意見が相次ぎ、撤回要求が堺市立図書館に寄せられました。更に同市の市民有志が「特定図書排除に関する住民監査請求」も起こし、日本図書館協会の図書館の自由委員会も同図書館に事情を聴取しました。


 様々な人々の抗議や調査の結果、苦情は匿名市民1名から出され、市議会議員も依頼を受けて介入したことも判明しました。性描写のある図書なら男女間の恋愛を扱った作品にもあります。それなのにたった1人の抗議で碌に議論もせずに、堺市がBL図書と思われる書籍だけを水面下で排除した事実自体に、BLへの悪印象が隠されていたと言ったら考え過ぎではないでしょう。実際、フェミニズムやジェンダーを研究する社会学者の熱田敬子さんも、個々の担当者が無意識に持っている差別的視点やBL知識の程度がリストに反映されたのだろうと推測しています(『ユリイカ』2012年12月号、p. 186)。


 苦情を入れた匿名市民は、具体的な「BL図書」を指定していなかったので、各職員の「個人の感性」、つまり全くの主観で排除されるべき「BL」図書が選ばれました(『図書館の自由 別冊』2010年2月、p. 5)。堺市が公表した排除書籍リスト5499冊をフェミニズムやジェンダーを研究する熱田敬子さんが分析したところ、性描写が全く、もしくはほとんどない作品、男性同性愛の要素のない少女小説やセクシュアル・マイノリティの日常を描いた本もリストに含まれていました(『ユリイカ』2012年12月号、p. 185-190)。その一方で男性間の恋愛を描くゲイ文学や異性愛間の性描写のある作品は指定されず、一貫した選択基準がありませんでした。そのような恣意的な基準で「BL」図書を選び出し、本を排除するのが認められてしまうと、どんな本でも恣意的に排除が可能になってしまいます。


 上記の熱田さんのリストの分析によれば、性描写の程度は堺市立図書館の「BL」図書の選定基準ではありませんでした。過激な性描写が問題なら、アマゾンでR18指定されているような男女の性描写がある作品も排除指定されていてもおかしくありませんでしたが、そのような本は事件当時も開架に置かれていたそうです。このように「BL」図書排除リストは男性向けの異性愛小説を問題視せず、「若者向け・女性向けとされる小説の性表現のみを問題と」し、文学作品は指定せずにライトノベルが指定されていました(『ユリイカ』2012年12月号、p. 189)。つまりこの事件では、性描写が作品のストーリー上必要だとか、文学的だから問題ないとか、図書館側が恣意的に判断しましたが、それは表現の自由の侵害であり、読者個人が決めるべきことです。


 堺市のBL図書排除方針への反対意見は、主に表現の自由や知る自由が損ねられる懸念から発生したものでした。それに加え、BL図書収集・貸出に対する抗議者の背景に同性愛への嫌悪や男女共同参画への反対があったことも判明し、不透明な対象図書の選定方法も相まって、堺市の方針への疑念が深まりました。結局、堺市はBL図書の閉架書庫への収蔵以外の方針を撤回し、要望があれば18歳未満にも貸し出すが、露骨な性描写のある本は収集しないことにしました。


 私が見落としていなければ、資料から分かる限り、この問題で堺市に抗議をしたのは、人々の知る権利や表現の自由を守りたい市民団体や図書館関係団体でした。当時の事を全く知らない私には、資料が見つからない以上、腐女子(BLファン)がどう反応したのか分かりません。


 当時、2ちゃんねる(この時はまだ2ch.net)の「痛いニュース」にこの事件に関するスレッドが立てられ、「腐はいるだけで害。腐女子は死ね」、「BL仲間のババァ達の顔を晒せ」、「図書館はヘンタイのキモブス女共に迎合しないでさっさと閲覧禁止にしろよ」など、腐女子を罵倒する書き込みが殺到したそうです(『創』2008年8月号、p. 112)。


 BLに対する偏見は個人だけでなく、メディアにもありました。この事件に関して大手新聞ですら「悩ましいBL」(『朝日新聞』2008/11/5)と書き、「むしろ『BL』自体を問題視するような報道」がなされました(『ユリイカ』2012年12月号、p. 185)。


 堺市立図書館の「BL」図書排除リストの恣意的な選択基準は、「女性による性表現と享受への差別、漫画や若者向けなどの文学の周辺分野への差別、同性愛表現への差別」を露呈しました。リベラルと思われる大手新聞でさえ、上記のような偏向報道をしたのであれば、「排除指定と差別の関連」が「当初、なかなか理解されなかった」(『ユリイカ』2012年12月号、p. 190)のも無理はありません。


 こんな状況では、腐女子が表立って(特に実名で)連帯して抗議活動をする勇気が出るはずもありません。当時、東京大学教授だった上野千鶴子さんが「堺市でこういうことがあったんだけど、あなたたち何とかしないの」と腐女子系の学生に尋ねたら、「腐女子はカムアウトしないのが作法ですから」と答えられたそうです(『創』2008年8月号、pp. 110-111)。


 寺町みどりさんがBL図書排除問題で行動する事を呼びかけた際にも、BLを擁護する事をタブー視する声があったそうです。彼女は、BL本の悪いイメージが巷に溢れていたとも言っています(『む・しの音通信』No. 68[2008/12/5])。


 この事件から16年以上経ち、今の堺市立図書館のBL図書に関する収集・貸出方針がどうなっているのか、堺市立図書館のWebサイトからは見えてきません。この件で同図書館に問い合わせてはいませんが、今のBLの立場について堺市立図書館の問題だけに矮小化して論じたい訳ではないので、本エッセイのための調査はこれ以上しないことにしました。



【堺市立図書館BL本排除事件関連の参考資料】


1.参考文献 ※著者名昇順


熱田敬子、「『BL』排除から見えた差別と性の享受の萎縮 堺市立図書館での「BL」本排除事件」、『詩と批評 ユリイカ』44巻15号(2012年12月号)「特集 BL オン・ザ・ラン!」、東京:青土社、2012年、pp. 184-191.


上野千鶴子、「堺市図書館BL本排除騒動」、『創』2008年8月号、東京:創出版、pp. 106-113.


日本図書館協会、「第7分科会 図書館の自由」、平成22年度(第96回)全国図書館大会奈良大会要綱:

jla.or.jp/portals/0/html/jiyu/taikai2010youkou.pdf


藤嶋紫姫、新藤透、「公共図書館に於ける所謂「BL 小説」の所蔵について」、『図書館綜合研究』no.15 (2015.8.)、pp. 57-65 :

 https://researchmap.jp/oldbooks31204/misc/18923304/attachment_file.pdf


「堺市立図書館におけるBL(ボーイズラブ)図書の規制について」、『図書館の自由 別冊』(2010年2月)

目次のみ:https://www.jla.or.jp/committees/jiyu/tabid/638/Default.aspx#mokuji67_2



2.参考サイト ※日付昇順+日付不明

※※上野千鶴子氏と寺町みどり氏を講師に迎えた講演会『堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る』(2012年10月14日、日比谷図書文化館コンベンションホール)のまとめ


くらし しぜん いのち 岐阜県民ネットワーク、「特定図書排除に関する住民監査請求書 (堺市職員措置請求書)」(2008/11/4):

https://gifu.kenmin.net/akenminh/kou-2/sakai/kansa.pdf


寺町みどり、「堺市立図書館の5706冊の「特定(BL)図書排除リスト」一挙公開!/著者別、出版社別でも分類・整理」(2008/11/30)、『みどりの一期一会』:

https://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/2513b9cddaa28c1f03e23e3338923b71


女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク、「特集:「ジェンダー図書排除事件」~堺市立図書館&福井県情報公開訴訟」、『む・しの音通信』No. 68(2008/12/5):

https://gifu.kenmin.net/midori/news/68.html


J-CASTニュース、「BL小説「18禁」のはずが・・・ 堺市図書館が一転「貸出解禁」」(2008.12.28):

https://www.j-cast.com/2008/12/28032951.html?p=all


特定非営利活動法人うぐいすリボン、「堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る」(2012/10/22)、『うぐいすリボン』※※:

https://www.jfsribbon.org/2012/10/bl.html


さわやか革命、「堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る」(2012/10/29)、『ひねくれ者と呼んでくれ』※※:

http://pretzel-logic.way-nifty.com/blog/2012/10/post-4a9b.html


Wikipedia、「腐女子」:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%90%E5%A5%B3%E5%AD%90


Wikipedia、「ボーイズラブ」:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%A9%E3%83%96

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