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第39話 火花

 螺旋階段を上がる。塔の上に、ジャスパーの部屋はあった。


「失礼します」


 ヤエルが扉を開き、アッシュとヴェロニカを部屋に入れる。

 塔のてっぺんにある小さな部屋だった。帝国自由都市グラオトレイの最古参市参事会員にふさわしくない、質素で物の少ない空間。

 朝日が窓から差し込み、一人用の椅子に深く腰掛けるジャスパーを照らしていた。皺だらけの白い肌に、白く長い薄い髪、目は青い。こけた頬と乾いた唇、顎には親指ほどの腫れ物があった。机には祈りで使う肩衣が畳まれている。

 ヤエルは消えた。


「とても急用なそうで」


 丁寧な口ぶりで、ジャスパーは言った。手元にあった聖書を閉じ、机の上に置く。


「私はヴェロニカ・シェーン・セラノ」

「自分はアッシュ・ルーランドです。初めまして」

「すまんね、狭い部屋で。椅子も一つしかないんだ」


 ジャスパーは言う。


「それで、話とは?」


「アーティバッハをどうお考えですか?」とヴェロニカ。


「どちらのアーティバッハさんかな」


 ジャスパーはとぼける。


「楽園派の指導者で、最近金にものを言わせて市参事会員になった男です」

「ヴェロニカさん、だったかな?」


 どうやら興味を持った様だ。


「ええ、よく覚えてましたね」

「成程。そのアーティバッハがどうしたのかね?」


 ジャスパーの口から、アーティバッハへの敬称が消えた。


「私達、彼に嵌められたんです。指名手配で都市追放の危機なんですよ。助けて欲しくて」

「ここは修道院です。何か勘違いされてる」

「アーティバッハの資金源が阿片密売だとしたら? 更に楽園派のカリオペ騎士団を強くする為に、ヨーク大陸の特別な寄生虫を手に入れ、魔導士を増やそうとしているとしたら?」


 ヴェロニカの言葉を聞くと、ジャスパーが目を瞑った。何かを考えている様だった。


「寄生虫とは?」と短くジャスパー。


「話が早いですね」

「いいから話してくれ」


 どうやらジャスパーも心当たりはあったらしい。


「魔導の才能を持つ虫で、人間に寄生するらしい。寄生された人間は魔導を使える様になる」

「よろしい、明瞭ですな」


 ジャスパーは聖書の表紙に右手を乗せた。


「だが、それを私に伝えてどうしろと」

「気に食わないですよね、ラマ教の楽園派が。貴方達は十分の一税。向こうは十二分の一税。信者が長老派から楽園派にどんどんと流れていく」とヴェロニカ。


「このアッシュだって鞍替えを検討してますよ」

「それは言うな」


 アッシュが言った。


「ジャスパーさん、ヴェロニカは時々ちょっと可笑しい」


「その様ですな」とジャスパー。笑いもしていない。


「アーティバッハを潰す機会を与えますよ。奴の陰謀を暴きます」

「証拠は? 貴方がたを信用すべき証拠はないのですか?」


「いい質問ですね」とヴェロニカ。


 アッシュは深い呼吸をした。


「証拠なんてありません」


 言い切った。


「ふむ、さてさて」


 ジャスパーが顎の腫れ物を掻く。


「数日でいい、指名手配を保留にしてくれ。アンタなら出来るだろ」とヴェロニカ。


「保留が解除されれば、私達は指名手配犯に戻って、よければ都市追放、もしくは斬首。つまりここでの会話が公になる事はない。どうだ、悪い話じゃないだろ? アンタには損がない」


 ヴェロニカの言葉から敬意がなくなった。緊張感が高まる。


「その間にアーティバッハの悪事を暴けるのかね?」

「ここでアンタが決断すれば、三日もしない内に税収が戻ってくる」

「参事会に手紙を書きましょう」

「流石、話が分かるな」

「私が動いたら、アーティバッハも知る事になる」


 警告のつもりか。ジャスパーは言った。


「火花を散らすのは得意だ」


 コイツは爆弾魔だ。火花みたいな可愛いもんじゃない。


「保険をつけたいのだが、良いかね?」


 ジャスパーは再び顎の腫れ物を掻く。


「好きにしろ」

「失敗したら私のロイドン騎士団が君達の首を狩る。いや――性格にはアッシュ君の首を狩り、ヴェロニカさん、貴方は歯車になってもらう。いかがかね?」


「何を知ってる」とヴェロニカ。


「私の何を知っているんだ?」

「ヴェロニカさん、貴方は賢者の石を持っている。その胸の中に。違うかね」

「さぁな」


 とぼけるヴェロニカ。


「私はその力が欲しい。文献によると、賢者の石は人造の肉体に結びつき、力を発揮する。その魔力は血となり命の代替品となり、万物の動力となる」とジャスパーは続ける。


「私を利用するって事か」

「何故私が知っているか、理由は聞かないのかね?」

「アンタは大物だ。そして私は裏の世界じゃ有名人だ」

「よろしい。ではいいのかね?」

「そこまで私が欲しいのか?」

「永遠だ、ヴェロニカさん。磔になり、永久機関の動力として、永遠に魔力を提供して頂く。いいのかね?」


 どこか穏やかなジャスパーの表情が不気味だった。


「問題ない。なぁ、アッシュ」


 即答かよ。


「問題あるだろ」


 アッシュは言った。失敗すればアッシュは死ぬ。


「俺は死にたくない」


「問題ないよな」と再びヴェロニカ。


 腹を殴られた。拳がめり込む。


「問題ないです」


 アッシュが唸りながら声を絞り出す。


「よろしい、決まりましたな。ヤエルを呼んできてくれないか」


「恩に着る」とヴェロニカ。


「アッシュ、ヤエルを連れて来い」


 アッシュはヴェロニカの命令に従う。

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