目を覚ました。体中の関節が軋む。体が重い。一度立ち上がったが、再び怠さで倒れ込み、仰向けになった。どれくらい時間が経ったのか、どうやらまだ夜だ。木の隙間から月が覗く。
「ヴェロニカは――っ」
どこにもいない。離してしまった。呼吸を整えてから、立ち上がる。腹が減った。疲れが酷い。
「おい、ヴェロニカ」
声を出した。返事はない。川沿いを歩いて下流へ進む。普段の半分くらいのペースだ。
「どこだ、どこにいる?」
雑草が擦れる音。
立ち止まった。アッシュは辺りを見回す。
「クソ――」とアッシュ。
唸り声が聞こえた。木々の影から姿を現したのは、野生の狼達だった。群れをなしている。目視出来るだけで四頭。
剣はどこかへいった。川辺に落ちていた木の枝を掴んだ。腕くらいの長さで、これで自分を守れるとは到底思えない。
整えた呼吸が再び荒くなる。狼達は半円状に並び、アッシュの周りを行ったり来たりと繰り返す。獲物の品定めしているのだ。
「あっちへ行け」
枝を左右に振る。もう一度、川に飛び込むという選択肢もあるが、流石に体力が持たないかもしれない。こんな森の中で死にたくない。
一頭の狼が動かずに、アッシュをジッと見つめている。群れの長か。黒い毛が目立つ。
他の狼達の唸り声が大きくなる。いよいよか。
「こっちに来るな」
人の言葉が通じる相手とは思えない。狼達が距離を縮めてくる。
一頭だけ殺しても意味がない。戦いになったら、全頭殺す必要がある。出来るのか、いや無理だ。出来ない。
黒毛の狼が、牙を見せ一際大きい唸り声を出す。合図だった。
他の狼達が襲い掛かって来た。
「ふざけんなよ」
覚悟を決めて、木の枝を構えた。
直後、襲い掛かってきた筈の狼達の動きが止まった。
「お前は本当に笑わせてくれる。そんな棒で戦うなんて正気じゃないぞ」
ヴェロニカだった。
群れの長、黒毛の狼の首を掴み、へし折っていた。黒毛の狼は、目と口を開いたまま、地面に捨てられる。
「散れ」
ヴェロニカが一喝する。
「さっさと散れ、クソ犬共」
残された狼達が、一斉に暗がりへと走り込んで行った。
「助かった」とアッシュ。
全身の力が抜ける。腰をついた。
「アンタ、狼と会話出来るんだな」
「向こうは獣だ。私が人間を越えた存在だと感じ取るんだよ」
ヴェロニカが一直線に近寄ってくる。
「それよりお前、私を離したな」
ヴェロニカはアッシュの胸倉を掴み、立たせる。
「絶対に離すな、と言ったろう」
「俺だって初めてだったんだよ」
「絶対に離すな、と言わなかったっていうのか?」
「いや、言ったけど」
「謝れ」
「悪かったよ」
「クソボケが」
解放され、突き飛ばされた。
「二度と私を怒らせるなよ」
「けど、逃げられたろ?」
「貴様のせいで、こっちは指名手配だ」
俺のせいかよ、と反論したいところだが、黙っておく。
「逃亡生活を送る気か?」
「ふざけるな、私は何も悪い事をしてない」
「脅してたろ」
「相手は寄生虫と阿片を密輸してる奴だ。無罪に決まってる」
むちゃくちゃな論理だ。
「鍵は?」
「持ってる。ここにある」
「じゃ策は?」
「ベルクマザー修道院だ」
「そこに何がある」
「お前は何も知らないクソ馬鹿なんだな」
「教えてくれよ」
「ベルクマザー修道院はラマ教のクソ長老派のクソ本拠地だよ。そこにグラオトレイ市参事会員で、長老派指導者のクソ大狸がいる」
「クソしか共演者がいねぇな」
「アーティバッハの商売敵がいるって事だ」
長老派は新興派閥のアーティバッハ率いる楽園派を、快く思っている筈がない。一枚岩ではない。割れている。
「そっちに話を持ち込んで、仲裁してもらうって訳か」とアッシュが続ける。
「仲裁なんて生ぬるい事は求めてない。アーティバッハを潰すんだよ」
ヴェロニカが最前線に戻った。やっぱりイケイケだ。
「奪われたままで終われない。近くに宿屋がある筈だ、まずはそこで馬を頂くぞ」
「金は? 馬を買う金」
「金の心配はするな、何とかなる」
暴力の予感しかしない。
ヴェロニカは歩き出した。アッシュは後について行く。