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第35話 絶対に離すな

 ジゼルとイェルメスが剣を抜いた。隣の部屋からカリオペ騎士団の兵士が流れ込んで来た。

 イェルメスの斬撃を、アッシュが剣で受ける。ヴェロニカはジゼルの剣を右手の甲で受けた。

 アーティバッハは立ち上がり、ハンクと一緒に立ち去る。


「窓に走れ、アッシュ!」


 ヴェロニカが叫ぶ。


「ふざけんな」


 アッシュはイェルメスの剣を受けたまま、空の鞘を掴み、顎に下から突き当てる。隙が生まれ、アッシュは窓に向かって走り出す。

 ヴェロニカは右手の甲を自ら剣にめり込ませて切断し、その二の腕でジゼルの横っ面を引っ叩き、更に左手を脇腹に打ち込んだ。ジゼルが怯む。


「そのまま突っ込め」


 ヴェロニカがアッシュに追いついた。二人で窓へ突っ込む。


「いつもこうなのか」


 アッシュが言った。

 身体中にガラスの破片。立ち上がり悪態を吐く。


「いつもは玄関から出る」


「手は?」とアッシュ。


 骨が見える。血が流れ出る肉は、脈打っていた。


「どうって事ない」


 ヴェロニカは切断した右手の甲から先を見て気合を入れる。直ぐに再生した。


「どういう身体だよ」

「便利だろ?」


 ヴェロニカは笑った。


「走れ」


 兵士が追ってくる。

 二人は走り出した。増水したイルタック川沿いを駆ける。


「おい、マジかよ」


 前からも兵士が出てきた。アッシュは立ち止まる。


「流石は市参事会員様だな」とヴェロニカ。


「感心してる場合かよ」

「やってやる」


 ヴェロニカが拳を鳴らす。


「嘘だろ、止めろ。相手にしてたらキリがない」

「じゃあどうする?」

「そんな可愛い声出すな」

「ふざけるな、殺すぞ」


 肩を叩かれた。


「川だよ、飛び込んで逃げる」

「いや――。無理だ」

「何で。奴らは鎧を着てるし、この流れなら誰も飛び込まないし、飛び込んだとしても絶対に捕えられない」

「だから無理だと言ってるだろ」


 いつものアグレッシブさがない。


「おい、もしかして――」

「別にいいだろ」

「泳げないのか?」

「黙ってろ。私は戦うぞ」


 ヴェロニカは視線を外した。

 どうやら泳げないらしい。


「冷静になれ」とアッシュ。


「大丈夫だ、そもそもアンタ不老不死なんだから、溺れても死なないだろ?」

「苦しみはあるんだよ。溺れたら死ぬ事も出来ずに、ただただ苦しむ。お前に分かるか?」

「いいから俺に掴まれ、時間がない。俺を信じろ。な?」


 もう包囲されている。


「クソ」とヴェロニカは周りを見渡す。


「絶対に離すなよ」


 抱きついてきた。


「絶対に私を離すなよ」と更に繰り返す。


「ま、任せろ」

「絶対だからな、絶対に離すなよ」


 飛び込んだ。


**


 服がたちまち水を吸い、鉛の様に重くなる。波打つ濁流の中で、顔を出すの覚束ず、ひたすらに呼吸を求めて、身体を捻った。空気が欲しい。


「アッシ――ュ」


 ヴェロニカがアッシュの名前を呼んでいる。飛び込んだ直後、二人は離れた。辛うじて姿は見えている。


「ヴェロニカ――、こ――、こっちだ」


 川の流れに逆らう事は出来ない。手を伸ばしても、その距離は縮まらず、気まぐれな濁流に身を任せるしかない。

 ヴェロニカの顔は消え、暫くすると浮かんでくる。だがまた直ぐに沈み、浮上の度にアッシュの名前を何とか叫ぼうとするも、言葉にならず、喉を擦った様な声を上げるのが限界だった。


 イルタック川はグラオトレイの城壁を潜り、市の外へ。アッシュとヴェロニカもその流れに乗って、市外へ出た。

 どうにかヴェロニカの方へ、と思うが、アッシュも強い流れの中で体力を消耗していた。次第にアッシュもヴェロニカの様な状態となり、手足の自由が効かなくなっていく。そのまま、意識の糸がブツリと切れた。


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