雨の中を歩いて、娼館『菖蒲の園』へ向かう。
娼館もまた、カルジーナ地区にある。二人にとっては馴染み通りだった。娼館は館といっても、一軒家を一回り大きくした様な造りだった。
「またお前の担当だ」とヴェロニカが言った。
横顔を見る。雨で濡れた髪。寒さに耐える様子もなく凛としている。
「確かにな」
担当という言葉は嘘じゃない。死刑執行人には、都市の嫌われ者達の仕事を仕切る権利もある。死刑執行人は糞さらいに皮なめし、それに娼婦。この三つの職業から徴税する権利を持つ。
「知り合いはいるのか?」
ヴェロニカが聞く。
「親父の時代にな」とアッシュ。
「俺の事も覚えてると思う」
「正直に話せ。来てるんだろう」
「ここんとこはご無沙汰だよ、金がない。女の名前はシェリーだよな」
「ああ」
「部屋に上がったら窓を開けるから来てくれ。二階だけど、アンタなら可能だろ?」
「手際よくやれよ」
「金、いいか?」
アッシュが言った。
「小遣いを欲しがるカギか」
ヴェロニカが質の悪い金貨を一枚渡した。通常の金貨の半分の程の価値だろう。
「お互いの利益の為だろ」とアッシュは受け取る。
「さっさと行け」
「任せとけ、喘がせてくる」
「ズボンを下ろすなよ」
ケツを叩かれた。
「ヤったら利息は倍だ」
**
扉を開け、菖蒲の園へ。
一階の広間。細やかな意匠を脚に施したテーブルの向こう、背もたれにたっぷりと腰掛ける、大柄な女がいた。赤いドレスを着て、茶色い髪を金色の飾りで留めている。テーブルの上には年季の入った台帳が開かれていた。
「久しぶりだね」と、この店の女将、ルイーズが言う。
ゆっくりと喋る姿は、貫禄がある。
「濡れてて悪い」
アッシュは言った。
「お客はそんな事気にしないでいいんだよ」
それから「ほら」と布を放り投げてよこした。アッシュはそれで身体を拭く。
「元気だったの?」とルイーズ。
「だからここに来た。病気持ちは嫌だろ?」
「どんな子だい?」
「シェリーって子がいるだろ、その子がいい」
「他の客がついてる」
どうやらバーギィはいる様だ。
「おすすめは?」
「リータって子がいるよ。エンドルン生まれの褐色肌。若くていい子だ」
「じゃあそれでいい」
結局、誰でも同じだ。
「二階の手前だよ」
ヴェロニカから貰った金貨で支払を済ませて、階段を上る。
「ごゆっくり」とルイーズに声を掛けられた。
**
二階へ上がり、手前の部屋に入る。
「こんばんは」
甲高い声。褐色の身体をした、裸の少女がいた。目は細く、黒い髪はウェーブがかっている。あばらが浮き出て、手足も細い。
「ふざけんな、子供じゃねぇか」
ルイーズめ。どんな商売してるんだ。
「子供じゃない」とリータは言った。
「いいから服を着ろ」
「いいの?」
リータが近付いて来る。
「ほら、金やる。これでいいだろ」
銅貨を数枚放った。小遣い程度の額だが、それでもリータはよかったらしい。服を着る。ルイーズは大分搾取しているらしい。
「何もしなくていいの?」
「ガキは趣味じゃないんだよ」
子供扱いすると、リータは顔をくしゃっと歪める。面白くない様だ。
「じゃあ何するの?」
「ここにシェリーって女がいるだろ」
「いる」
「お前の友達か?」
「違う」
女の職場ってのはどこもこうだ。
「どこにいる」とアッシュ。
そのまま窓へ向かった。窓を開く。雨音がした。まだ強くなりそうだ。何もかも上手くいかない。
「向かいの部屋だよ、寒いから閉めて」とリータ。
アッシュは無視して、窓の外を見回す。
「遅いぞ」
急に影が現れたと思ったら、ヴェロニカだった。窓の縁へ飛びついてきた。アッシュは驚き、腰を抜かす。
「アンタ何なんだよ」
アッシュは立ち上がる。
「前世は忍だったらしい」とヴェロニカ。
「違うとも言えないな」
「おい、お前」
ヴェロニカの言葉が止まった。リータを見ている。
「こんなガキを犯したのか?」
「やってない。服を着てるだろ」とアッシュ。
「ガキじゃないし」とリータも続く。
「黙れ変態。シェリーはどこだ」
「俺は違う、本当だ」
「シェリーは?」
「向かいの部屋だ」
「おい、ガキ。金だ。口止め料だ」
ヴェロニカが銅貨の入った小袋を渡す。
「これから騒動が起きるが、何も知らないし覚えてない事にしろ、いいな?」
「分かった」
リータは金の前で無力だ。正直でよろしい。
「アッシュ、行くぞ」
ヴェロニカの背中を追う様に、リータの部屋を出て、廊下の向いへ。
**
シェリーの部屋。
恐らくこの先に、バーギィがいる。扉のノブを握った。
「どうだ?」とヴェロニカ。
「鍵だ」
施錠されていた。
「そうか、どけ」
足を上げるヴェロニカ。
「おい、待て」
アッシュの制止は無駄だった。ヴェロニカが扉を蹴破る。
「お取り込み中悪いな」
ベッドの上で、腹の出た男が女に覆い被さり、腰を動かしている最中だった。
「お仕置きの時間だ」
「バーギィだな」
アッシュはヴェロニカに続く。
シェリーは開いた足をそのままにし、バーギィは覆い被さったまま、顔だけこちらに向けている。
「アンタら何なのよ」
先に声を張り上げたのはシェリーだった。金髪で、しっかりとした長い鼻に青い瞳の女だった。バーギィから自分の身体を剥がして壁に張り付くと、シーツで胸元を隠した。
「貴様に用はない。問題はバーギィ、お前だ」
ヴェロニカがバーギィへ近付く。
「だから何なの」とシェリーが再び叫ぶ。
「愛の忍者だよ」
ヴェロニカが言った。
「浮気男を成敗しにきた」
「来るな――」と怯えるバーギィ。
「エドワールが死んだぞ、話を聞かせてもらう」
「服を着ろ」
アッシュがバーギィに服を放り投げる。
「外で裸は面倒が増えるだけだ」
外から複数の足音が聞こえた。
「衛兵か」とアッシュ。
「早過ぎる。あのガキ、チクりやがったな」
ヴェロニカが言った。リータの事を言っているのだ。
「アッシュ、シェリーを外へ放り出して、扉を閉めろ」