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あるいは恋慕のエピローグ

 事件に奔走している間に、師走も残るところ僅かとなっていた。


 時は大晦日の二十三時過ぎ。


 有栖川みれいは、自分のアパートの部屋を出て隣の扉の前に立っていた。本来ならチャイムを鳴らすところなのだが、この部屋のチャイムは壊れていた。復旧の目処は未だ立たない。


 みれいが軽く扉をノックすると、中から物音が聞こえてきて鍵の開く音がした。


「あれ? 有栖川さん」


 姿を現したのはミステリー研究会の会長、萩原大樹だった。


「あら、萩原会長。冴木先輩は?」


「いるよ。あいつ、来客対応まで他人任せなんだよ。全く困ったね。さぁさぁ汚いところだけど、入って入って」


 親友の家を汚いところだ、と堂々として言える辺り、二人の仲睦まじさがひしひしと伝わってくる。


「やぁ、有栖川君」


 狭いアパートのリビングに冴木が座っていた。丸い木製のテーブルの上には、将棋盤が置かれており、現在萩原と対決中なのだというのが一目で分かった。


「こんばんは、冴木先輩。今年ももう直ぐ終わりだというのに将棋ですの?」


「風情があるね」


「私、将棋はよく分かりませんの」


「君を駒に例えるなら香車」


「それ、どれですの?」


 冴木が将棋盤の一番端にいる駒をちょいと摘んだ。どうやら今日は機嫌が良いようだ。


 みれいには、オセロに関する知識は人並みにではあるが持ち合わせている。オセロでは盤上の角を取ると優位に立てる。つまり、隅にいるこの香車という駒はきっと強い駒なのだろう、とみれいのテンションゲージが十パーセントほど上がった。


「もう、冴木先輩ったら……素直にお褒めになればよろしいのに」


 みれいが両手を頬に当てると、玄関の鍵を閉めていた萩原が戻ってきており、話を聞くや否や吹き出した。


「有栖川さん、その香車って駒がどう動けるか知っているの?」


「いいえ、知りませんわ。どう動くんですの?」


「ただ前にしか進めないんだ。前方に好きなだけ移動出来るけど戻れない」


「……それってつまり」


 みれいは胡座をかいている冴木に鋭い視線を向ける。


「向こう見ず、だね」冴木が僅かに口元を上げた気がした。


「もう!」


 みれいは鼻息荒く座り込む。ご機嫌をとるように萩原がオレンジジュースを用意してくれた。この家の主が誰なのか、初めての人がいたら間違えるだろう。


「賢はすぐにそうやって有栖川さんをおちょくるよなぁ。安心してくれ有栖川さん、香車は強いよ。成り香っていって金と同じ動きが出来たりもするんだ。相手側の陣地に近づかなきゃならないんだけれどね」


「まぁ、金になれるんですの?」


「そうそう。駒の動きが変わるってのが、将棋の醍醐味でもあるかな」


 金がどういった動きを出来るのかは全く分からなかったが、強いのだろうと予測した。つくづく無知である。


 萩原の説明を待っていたかのように冴木が小さく呟いた。


「金に成るから成金ってね」


「ちょっと、冴木先輩?」


「元々の語源が将棋からきているんだよ」


 みれいは冴木のどうでもいい雑学で早くも出鼻をくじかれた。完全に冴木のペースに乗せられている。


「あの、萩原会長。ちょっと冴木先輩をお借りしますわ」


「えっ? あぁ、いいよ。好きにして」


 萩原が肩を竦めて笑ったので、みれいは座っている冴木を引っ張りあげると玄関に向かった。もはや引っ張る動作に関してはプロ並みである。


「どうしたのさ、有栖川君」


「冴木先輩、あの、碓氷警部からるねっとさんの犯行動機をお聞きになりまして?」


「いや、興味ない」


「どうしてですの?」


「あのね……有栖川君。動機を聞いたところで何になるんだ? 犯人の気持ちをそっくりそのままトレース出来るわけでもないのに理由を聞いて、理解した気になりたいだけだろう。仮に動機が理解出来たらそれはもう殺人者と同じ思考の持ち主ということになるよ」


「それは極論ですわ。他人の感情を知るのは悪いことではないと思いますの」


「もちろん、それは君の価値観だから否定はしない。でも君は君。僕は僕だ。きっと碓氷警部からも口止めをされているだろう?」


「どうして分かりますの?」


「あれだけの事件なのに大樹が何も言わないからね。内々に色々済まされたんだろう」


「そうですけど……」みれいは口を尖らせる。「冴木先輩は事件解決の貢献者なんですから、聞いても問題ありませんわ」


 冴木が諦めたように肩を落とした。


「君が香車なのに歩で挑んだ僕が浅慮だったね。どうぞ、好きに話していいよ」


 みれいは待っていましたとばかりに意気込んで、碓氷警部から説明されたことを整理して話した。


「ふぅん……それで有栖川君はどう思ったの?」


「どうしてわざわざ黒騎士館という舞台で殺人を犯したのか、よく分かりませんわ。黒騎士を犯人に見立てると、彼の名前を汚してしまうとは考えなかったのかしら」


「殺す相手の顔を知らないから招集した。というのと、黒騎士の悪評を払拭するために、わざと見立て殺人を犯して力を誇示したかったのかもしれないね」


「あ、なるほど……ちょっとだけ理解しましたわ。じゃあもう一つ質問を……」


「あのね、僕は君の赤ペン先生じゃないんだけれど」


「まぁそう仰らずに。なぜ、人を殺してはいけないのか、冴木先輩の見解を聞かせてほしいですわ」


 みれいは目を輝かせて冴木を見つめた。赤ペン先生こと冴木は、腕組みして壁にもたれている。


「生憎、明確な答えは持ち合わせていない。でも、あえて挙げるとすれば……自分が殺したくないから、あるいは自分が殺されたくないからかな」


「自分が……?」


「そう。誰だって自分がかわいい。自分が生き長らえるために牛や豚は平気で殺すし、戦争だってするんだからね。なんとも自分勝手な生き物なんだよ、人間というのは。そう考えれば、今回の事件は実に人間味溢れていると言える」


「やっぱり、冴木先輩の意見はよく分かりませんわ」


「理解する必要はないよ」


 冴木が戻ろう、と言ったのでこの話はピリオドとなった。


 他人には無関心な冴木が事件の動機を聞いてどう思うのか気になっていたが、何とも適当にあしらわれた気がしてならなかった。だがそれでも、彼はやはり自分と他人に対して何か壁のようなものを作っている。みれいはそう確信した。

 その壁の内側に、入ることが出来るだろうか?

 だが今は……今だけは、こうして一緒に年を越せる時間を大事にしよう。


 みれいが決心していると、遠くで除夜の鐘が聞こえた。


「あ、冴木先輩。年越しまであとどれぐらいですの?」


 冴木が無表情で腕時計をちらりと見た。


「あと三百六十四日と二十三時間五十九分だね」


 凄惨な事件の話をしながら年を越してしまったことを若干後悔しながらも、みれいは笑みを浮かべる。


「冴木先輩、あけましておめでとうございます」


「君もね」


 冴木が僅かに微笑んだのを、みれいは見逃さなかった。



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