翌朝、みれいは朝早くから電話をかけた。相手は、碓氷警部である。
「はぁい、もしもし。碓氷です」
「碓氷警部、おはようございます。有栖川みれいですわ」
「あぁ、有栖川さんね。どうもどうも、どうかなさいました?」
「ええ、その、るねっとさんから動機は聞けたのかと思いまして」
「有栖川さんも物好きですねぇ、それが知りたくてこんな朝っぱらから?」
「ええ、気になってしまって……もう全く眠れなかったんですの」
みれいは相手に見えないことをいい事に、堂々と嘘をついて小さく舌を出した。
「まぁ……そうですね。長電話もあれですから、どこか近くのレストランにでも」
みれいは碓氷警部が指定した近所のレストランにすぐ行くことにした。セーターを着てタータンチェックのマフラーを雑に巻くと、冬の寒空に負けないように歩いた。
まだ時刻は午前八時で、寂れたレストランは閑古鳥が鳴くほど空いている。みれいが中に入ると、すでに喫煙席に碓氷警部が座っており、コーヒーを飲みながら煙草を吸っていた。
「お待たせ致しましたわ、碓氷警部」
「あ、早かったですね。店員さーん、モーニングもう一つ」
碓氷警部がみれいの分を注文して、大きく煙を吐くと灰皿に煙草を押し付けて消した。
「さて、何から話したものか……まず、るねっとさんと黒騎士の繋がりからですかね」
「ええ、お願いしますわ」
「二人はですね、恋仲でした。るねっとさんは黒騎士にほの字で、もう、ね」
「ほの字?」
「あぁ、今はこの言い方しませんか。とりあえず、付き合っていたんですよ。それで、るねっとさんは黒騎士のアカウントでもゲームをしていたそうです。黒騎士がいつもランキング上位なのは、二人で協力していたから、という訳ですな」
「そんな事出来ますの?」
「そりゃもちろん、ゲームのIDとパスワードを共有したんでしょうね。それで、ほとんどるねっとさんが黒騎士のアパートに入り浸っていたそうです。ところがある日、彼女が自分の家でるねっととして活動しているときに、亡くなったみさっきーさんと、あつボンさん、二人の会話を耳にします。それは黒騎士に対する嫉妬に似た愚痴です」
「黒騎士が何かしたんですの?」
みれいが質問すると、ちょうど店員がやってきてモーニングのパンとゆで卵、ホットコーヒーが運ばれてきた。碓氷警部は隙ありと言わんばかりに新しい煙草を取り出して火をつけた。
「黒騎士は、何もしていません。強いて言えば、強すぎたというか、課金っていうの分かりますか?」
「ええ、分かりますわ。ゲームの中に実際のお金を投資して、売買を行うんですわ」
「そう。それが余りにも激しいものだから、妬んだんでしょうなぁ」
「どんな内容ですの?」
「黒騎士を陥れようとする作戦会議ですよ。ネット掲示板で黒騎士の酷評を流して、炎上させようとしたんです。何でも、みさっきーさんが必要以上に黒騎士にアイテム強請っていたんですが、余りのしつこさにるねっとさんが拒否させたそうで、それが波紋をよんでそんな計画が立てられたようですなぁ」
「え? たったそれだけのことで?」
「ええ……まぁ亡くなった二人にとっては些末な遊びだったのかも知れませんが、ネット掲示板とは恐ろしいですね。匿名なのをいい事に、もう罵詈雑言……あれは普通の人が見たら発狂しますよ。よくあんなのを最近の子たちは楽しんでいるものですなぁ」
「それで、炎上したんですの?」脱線しかけていた話をみれいは素早く戻す。
「あ、ええ、炎上というか……まぁほとぼりが冷めるまで、黒騎士は耐えれなかったようです。彼は社会でもうまくやっていけなかった人間でしてね、莫大な親の遺産と株やアフィリエイトで好き放題していたそうです。プラスして課金のために借金にも手を出していました。彼にとってはもはや、ゲームの世界が全てだったんでしょうな。それで、黒騎士は相手が誰かも分からない暴言に悩まされ、懊悩おうのうした挙句にギルドのメンバーも信用できないほど疑心暗鬼になった……。彼は首を吊って自殺していたそうです。それを、るねっとさんが発見したと言っていました」
碓氷警部は豪快に煙を吐いて頭を掻いた。
「でも、黒騎士の死体はばらばらにされて冷凍庫に入っていたのではありませんの?」
「ええ、その通りですよ。それはるねっとさん自身がやったと言っています」
「え?」みれいは飲もうとしていたコーヒーカップを下ろした。「そんな、どうしてわざわざ……」
「彼女はうつ病で、重度の依存症です。黒騎士が彼女の心の支えだったんですよ。だからこの世に残しておきたくて、腐らせないように冷凍庫に仕舞おうとしたんです。でも成人男性ですから、大きくて冷凍庫に入らない。それで、コンパクトにするために死体をばらばらにした、と言っていました。私には、到底理解できない思考回路ですよ。それから彼女は、黒騎士の自殺の発端を作り上げた二人を殺そうと考えたそうです」
「ああ……何だか頭が痛くなってきましたわ。でもるねっとさんには母親のひなたさんがいるのでは? なぜ黒騎士にそこまで固執するのか分かりませんわ」
「あぁ、それなんですがね。母親のひなたさんは半年ほど前に亡くなっていました。病死です」
「そんな……じゃあそれで黒騎士に必要以上に執着していたんですわね……。あの、本当にるねっとさんが死体をばらばらにしたり、黒騎士館で殺人を行ったと、そう仰ったのですの?」
「ええ、ボイスレコーダーで録音もされていますよ。有栖川さんと冴木さんのおかげで、私は早々に休めて気が楽です。まぁ、まだ色々と残ってはいますが……ともかく、そういった裏でのいざこざが引き金だったわけです。一応、今回の事件の真相、及び動機に関してなどは一切他言無用ということで……お願いしますね、有栖川さん。モーニングは私の奢りですから」
「ええ、分かりましたわ。碓氷警部、わざわざありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。調査に御協力頂き、ありがとうございました。またもし何かありましたから、今日のように電話してください。出来れば、事件なんかじゃないほうがいいんですが」
碓氷警部は先に席を立ち、会計を済ますと最後ににっこりと微笑んで手を振りながら店を出ていく。途中、自動ドアのセンサーが反応せずに思いっきり顔をぶつけていたが、みれいは見て見ぬ振りをした。
るねっとの犯行動機は、みれいの予想の埒外をいくものだった。父親であるあんずには、動機も話したのだろうか。
「はぁ……。私も、人の感情は分かりませんわ、冴木先輩……」
テーブルにある黒いコーヒーが、ゆらゆらと湯気を放っている。中の液体は真っ黒で、どこまでも黒い。みれいはそんな黒いコーヒーをゆっくり飲んだ。
「あんずさんも、コーヒーぐらいは一緒に飲んであげたら宜しかったのに……」
今回の事件を起こした黒騎士るねっとが心を開き、依存できるものは、今はもうどこにもいない。