冴木はあえて数秒の間を作った。るねっとは唇を噛みながら、恨めしそうに冴木を睨んでいる。
「いいですか、るねっとさん。あなたは、皆と合流して大食堂に行ったあとみさっきーさんがトイレから戻ってこないという話になって、様子を見に行こうとした時に談話室に向かいましたね?」
「そうですよ。だって女性用トイレに行ったんだから」
「なぜ、女性用トイレだと?」
「……え?」
「いいですか?」
冴木は手に持った棒付きキャンディーを顔の前で立てる。
「僕の聞いた話では、みさっきーさんがトイレに行ったけれど帰りが遅い、という情報しかその時点で掲示されていないんです。
それなのにあなたはトイレと聞いて談話室に向かった。それも、食事を運んできたイーグルさんより先に、です。
丁度あなたは玄関でトイレから戻ってきたシュダさんと会っていますよね。彼は一言も”男性用トイレ”とは言っておらず、トイレに行っていたと言ったんです。つまり、男性用と女性用とトイレが分かれていることを後から来たのであれば知りえなかった。なのでトイレと聞いたら、真っ先にシュダさんが現れた東側の通路にあるものだと思う筈です。
でも、あなたはみさっきーさんに扮している際に地図を見て男性用トイレと女性用トイレ、二つがあると記憶していた。だからあなたはあの時真っ先に女性用トイレがある談話室の方に向かったのです。本当に遅れてきたのだとしたら、あり得ない行動ですよね」
「……そんな、でも、じゃああつボンさんも私が殺したって言うんですか?」
「そうです。あれは簡単なすり替えですよ。
元から”客室E”と”客室F”の鍵は入れ替わっていたんです。鍵に付いているキーホルダーにどの客室の鍵なのか記されているというのが、肝ですね。
あなたは自分の鍵のキーホルダーとあつボンさんの鍵のキーホルダーを事前に交換していたんですよ。あなたがネームプレートや客室の振り分けをしたんだから、容易いことです。
スタッフルームのみさっきーさん殺害されて存在しない、そしてあつボンさんもいなくなれば、西側にはあなたしか行きませんからね。
でも一番最初に閉まっている扉を開ける際に鍵の不一致でバレてしまう、だから最初に荷物を置きに行ったときには、二階東通路の”客室E”と”客室F”の扉は清掃済みだと思わせたのか、全部開いていたんでしょうね。
あんずさんの話では西側の客室は全て施錠されていて各々が鍵を開けて入ったという話でした。そのせいで、東側も施錠されているものだと思い込まされていたのが、巧妙に出来ています」
るねっとは話を聞きながら掛け布団を強く握った。冴木は構わずに話し続ける。
「つまり、あなたは”客室E”と書かれたキーホルダーを付けた”客室F”の鍵を持っていたんです。
あなたはあつボンさんとわざとらしく親しく接していたので、怖がる素振りをして彼を殺したのでしょう。
その後、あなたは持っていた鍵で堂々と施錠して次にもう一つ持ったままであるバルコニーの鍵を使いバルコニーを施錠した。ここはさっきあなたがみさっきーさんに扮しているときに逃走に使った場所ですから、施錠しておく必要がありました。
そして西階段で一階に降りて事務室に行くとバルコニーの鍵をしまって、それから急いで娯楽室に向かったんです」
冴木はそこでようやく棒付きキャンディーを口に放り込んだ。冴木にとっては珍しく
「わざとイーグルさんを別の箇所に行くよう紙切れで指示を出したりして錯乱させたあなたは、何食わぬ顔でそのまま夜を迎える筈だった。でも、あなたは突然現れた僕と有栖川君という不穏分子が鬱陶しかったんでしょうね」
冴木がそう言い終えると、るねっとは急に相好を崩した。ゆったりと笑みを浮かべたかと思うと、まるで切り札を出すかのように言い放った。
「……じゃああんずさんも私が殺したといいたいの? 私は他でもない、冴木さんと一緒にいたじゃありませんか! 絶対に不可能です!」
「そこが、まさに偶然の一致というか、今回の事件を迷宮に誘おうとする出来事でした。この際だからはっきり言いますが、あんずさんは自殺です。それにもう隠す必要はありません、るねっとさん。あんずさんは、あなたの父親ですよね」
るねっとがついに諦めたように息を吐いた。心なしか、締め付けている包帯が緩んだ気がした。
「ふふっ……冴木さん、もう本当に全部分かっているんですね。そうです、あんずさんは私の父親でした。産まれてすぐに離れ離れになって、顔も名前も知らなかった、私のただ一人の父親だったんです」
「これは僕の仮説ですが、あなたは有栖川君が失礼にも踏み入った話をするものだから、ロケットペンダントを脱衣所に忘れたんじゃないですか? 恐らく後から大浴場に行ったあんずさんがそれを見つけ、妻とあなたが写っているのを見た。るねっとさんが自分の娘だと確信したあんずさんは、それであなたに一杯付き合ってくれないかとワインセラーに呼んだんです。あの時あんずさんは、いつも連れていっていたイーグルさんがいたのにあなたを誘っていた。それがちょっと、不自然に思えたんです」
「はい、その通りですよ。私のロケットペンダントを父が拾っていました。私の母……ひなたの顔をみて、すぐに分かったんだそうです。それで父は……私を黒騎士から守ると言ったんです。父の真摯な気持ちに、私は嘘をつき通せなかった。全て、話してしまったんです。自分が二人を殺したと……冴木さんとみれいさんが来たせいで、計画がバレそうだとも話しました……」
「それであんずさんは、完全な密室を作り、他の被害者と同じように自ら顔に十字の傷をつけて、胸を刺した……。黒騎士が殺人を犯したと思わせると同時に、自分の娘に鉄壁のアリバイを作った彼なりのクリスマスプレゼントだった、という訳ですね」
それを聞いたるねっとは、堰せきを切ったように涙を流して何度も何度も、小さく頷いた。
「何でも、お見通し……ですね。冴木さん。私、死のうと思ったのに、死ねなかった……私には背負いきれなかったんです……馬鹿みたいですよね。知らなかったとはいえ、父親に迷惑をかけて死に追いやって、それなのに……わ、私……。その、父のためにも、素直に自首をします……あの、警察と話をするとき付き添ってくれませんか?」
「えっとですね……その件なんですが、大丈夫です」
「え……?」
冴木は申し訳なさそうにポケットからスマートフォンを取り出す。それはみれいの物だった。
画面には、碓氷警部という名前と、通話中、という文字が映し出されていた。それを見て、るねっとはその周到さに圧倒されてか、力なく微笑んだ。