「でもね、有栖川さん。私鳴りに色々考えてはおるんですよ」
みれいが頭を悩ませていると、碓氷警部が不敵に笑った。そこには微かに、ベテラン刑事としての矜持というものが見て取れた。
「何ですの?」みれいはやや身を乗り出す。
「例えば、あんずさんを殺害したのがイーグルさんという可能性です」
「まぁ、面白そうな仮説ですわね。どうやって殺害したとお考えですの?」
「ええ、まず彼は既に起床済みで夜中のうちに調理室の包丁を盗んでいたわけです。それで、あんずさんが部屋に戻るときに偶然を装い廊下で会います。そして、ギルドマスターになってもいい、と話題を提供するわけです。そして、”客室A”に入って刺殺した……」
「そこからどうやって密室にしたんですの……?」
碓氷警部が口元を斜めにしてから額をぺちんと叩いた。
「そこが、分からんのです。窓が少しでも開いていれば、イーグルさんは隣の部屋ですから糸が何かで物理的な細工が出来るかも知れないと思ったんですがねぇ……」
「残念ながら、冴木先輩の証言では窓は開いていなかったということですわ。あつボンさんがいた”客室F”も同様に」
「まぁ、サイドテーブルもありますしね。それに、なぜ密室にしたのかもよく分かりません。ほんと、ええまぁ、とりあえず、ですね。今回はこれぐらいにして……」碓氷警部が手帳を閉じる。「また何か分かったら、そうですね、私の名刺を渡しておきましょう。いつでも結構ですので、何か些細な事でも思い出したりしたら電話してくれると嬉しいです」
「ええ……分かりましたわ。色々教えていただいてありがとうございます」
「くれぐれも、内密にお願いしますね」
碓氷警部が名刺を取り出す。みれいは名刺を丁寧に受け取ると、新しい情報に困惑しながらも一礼して取調室を出た。
それにしても、冴木と別々に取り調べを行ってこの時間とは、他の人たちとも取り調べをしていると考えると、あの碓氷という警部は何時間あそこで頭を悩ましているのだろう、とみれいは警部の大変さを痛感した。きっと頭を掻きすぎて、その箇所だけ早くハゲるに違いない。
警察署のロビーには、妹の専属メイドである恵美がメイド服のスカートを掴んだり離したりしてそわそわしながら椅子に座っていた。彼女はみれいの姿を見つけるとぱっと表情に花を咲かせて、おぼつかないいつもの足取りで駆け寄ってきた。
「みれいお嬢様、お疲れ様です。すぐご帰宅されますか?」
「いえ、入院しているたくみんさんとるねっとさんにお見舞いにでも行こうと思っていますわ」
「あ、車にいる冴木様もお連れになられるのですね?」
「え?」みれいは首を傾げる。「冴木先輩、まだいらっしゃいますの? もうとっくにお帰りになったかと思いましたのに」
「は、はい。あおいお嬢様と何やら長話をされていらっしゃるようですけど……」
「まぁ! 何だか出し抜かれた気分ですわ。車まで案内してくださる?」
「もちろんです。ではこちらへ」
みれいは恵美の後に続いて警察署を出た。恵美の動きに合わせて周りの目線が付いてくることに気付いたが、理由は不明だった。
駐車場は年末が近いせいか車が少なく、心なしか澄んだ空気が停滞している。
一際異彩を放つ白いボディの車の後部座席に、冴木とあおいの二人が並んで座っていた。
「冴木先輩、お待たせ致しましたわ」
「やっと来たね……有栖川君。ずっと取り調べ?」
「ええ、そうですわ」
「僕もだよ」
冴木は肩を竦めて隣のあおいに視線を向けた。みれいはそれを見ながら、同じ後部座席に体を押し込む。
「え、ちょっと有栖川君、君は助手席だろう」
「私、冴木先輩とお話をしたいんですの」
「前に座っても話せるだろう」
「あおいとは横に座って話しているのに?」みれいは冴木とあおいの反応を窺う。「あれ、あおいは何で黙っていますの?」
「ついさっき寝たんだ。これ以上刺激して起こさないで貰えるかな。ずっと彼女から取り調べを受けて疲れたよ」
「まぁ、何を聞かれていたんですの?」
「あ、家政婦さん。車出してください。僕のアパート……って言って通じますか?」
「ちょっと、冴木先輩。スルーしないでください、あと行き先は総合病院ですわ」
みれいは恵美に指示を出すと車を出させた。運転席に恵美が座り、後部座席にみれい、冴木、あおいと数字の百十一、あるいは漢字の川のように座っている。
みれいは走行中、碓氷警部から聞いた情報を事細かに冴木に伝えた。内密とはいえ、冴木は事件に関与しているので問題ないだろう。恵美とあおいはこの際除外した。不可抗力ということにでもしておこう。
冴木は相槌も打たずに呑気に棒付きキャンディーを頬張り始めたが、味について追求するのは
「本当、災難でしたわ。折角開催したミステリー研究会のクリスマスパーティー、少し覗いたんですが楽しそうでしたのに……参加できなくて残念ですわ」
「どうせ、飲んだくれるだけだろう?」
「よく分かりますわね? でも、それが醍醐味でしょう?」
「皆、大人の真似事をしたがる年頃だからね。二十歳を超えて堂々と飲酒が出来るものだから、羽目を外しすぎるんだ。家を飛び出した君みたいにね。全く、きっと風邪をひくだろうね」
「もう……家を飛び出したってこと、あおいから聞きましたの? でも、冴木先輩のお好きなオレンジジュースもきっとクリスマスパーティーならあると思いますわ」
「それはコンビニにもある」
「冴木先輩ったら屁理屈ばかり……そう、皆変装……じゃなくて、仮装もしてましたわ」
「ああ……そういえば、有栖川君の荷物が全部燃えてしまったからサンタ服が無くなってしまったね」
「それはまた来年買いますわ」
「買わないという選択肢はやっぱりないんだね」
みれいは、冴木にはトナカイにでもなってもらおうかと企みながら外の景色を眺めた。冴木のトナカイ姿を想像すると、自然と顔がにやけてくる。何ともだらしない顔が、サイドウィンドウに反射していた。
やがて、総合病院と書かれた文字が目に飛び込んでくる。
現在、総合病院にはるねっととたくみんの二人が入院している。二人とも命に別状はないが、火傷の治療を行っていると碓氷警部が言っていた。回復を待ってから、二人も長い長い事情聴取を受けるのだろう。
四人を乗せた車は軽やかに駐車場に入り、後ろ向きに駐車した。全く振動を感じさせない恵美の完璧な運転技術は他のどのメイドにも真似できない精巧さがあった。
車のロックが解除され、みれいは車から外に出る。眠ったままのあおいは別として、何故か冴木も座ったままだった。
「冴木先輩?」
みれいが声を掛けても、冴木は時が止まったかのように静止している。ただ口に咥えられたキャンディーの棒だけが、電池が切れかけているオモチャのようにぎこちなく動いていた。
「あの、冴木先輩? どうなされたのです?」
「氷解した」
「え?」
みれいが小首を傾げていると、冴木がキャンディーを噛み砕いて棒を取り出した。
「有栖川君、碓氷警部と電話は出来るの?」
「え、あ、はい。出来ますわ」
「ちょっと、電話してくれ」
まさに
「さ、冴木先輩、もしかして何か分かったんですの?」
「何か……じゃない。全部だ」